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クリスチャンのためのカウンセリング(プロテスタントです)
色々サイトを見たけれど、参考になるようなものがありませんでした。クリスチャンになる前から、外に出て他人と接することが嫌いで2年間ほど閉じこもりがちだったんですが、今では大学にも通えているし、最近やっと避けてきたバイトも始めました。クリスチャンにもなりました。でも、最近余計、気分が沈んで、毎日が苦しいです。信仰が薄いせいもありますが、どうしようも無いんです。何か良い情報ありませんか。
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- puregrape
- ベストアンサー率25% (12/48)
クリスチャンという意味は、キリストの者という意味です。旧約では、おもに羊の血によって罪を贖ってもらいました。それは、後にお越しになるイエスキリストの予表だったのです。その予表であったイエスキリストが、この世に来られて、全ての人々の罪の身代わりになって血を流して下さいました。このイエスの血によって、自分の罪が赦されたと信じる人は、救われた人です。ですから、イエスキリストが自分の罪の身代わりとなって死なれたことを信じない人は、例え彼が牧師だとしても、キリスチャンではありません。ウェブで<聖書から人生を考えよう「信仰と救いについて」>を探して読むと役に立つと思います。難しいところは、いつでも、どうぞ。。。
- satoyaeko
- ベストアンサー率50% (2/4)
>クリスチャンにもなりました。 初めまして。 ずいぶん前の投稿のようですが、今はいかがお過ごしでしょうか? さて、お困りのご様子をうかがい投稿させていただく次第です。 早速ですが、ご質問内容の「クリスチャンにもなりました」という言葉が気にかかりました。 私もクリスチャンです。 しかしもしかしたらなのですが、Amy-Kayさんはこの「クリスチャンになる」ということをお勘違いなさっていらっしゃるように思いました。 クリスチャンになる、別の言い方をしますと「キリスト者になる」ということですよね。 キリスト者になるということはどういうことかといいますと、自分の人生、過去も現在も未来も、イエス・キリストというお方にこの身をお預けして生きるということです。 もちろん、最初のうち、クリスチャンになったばかりのときは、なかなかこのことがどういうことかわかりません。 しかし、だんだんと「イエス・キリストを信じて生きる」ということがわかってきて、何ともらくちんな人生であることがわかるのです。 私たちは、確かにクリスチャンにはなりましたがしかしクリスチャンではありません。 どういうことかといいますと、ちょうど私に4人の子供がおりまして、今年、下3人が、高校生・中学生・小学生に「なりました」。 しかし、彼らが全く高校生であり、中学生であり、小学生であるかというとそうではありません。 確かに、外見上は高校生ですが、中身はまだまだ中学生のそれです。 中学生の子も外見は最も中学生らしいのですが、内面は小学生のままです。 ということはどういうことかといいますと、私たちはクリスチャンとして歩む、のであって、クリスチャンになってしまってはいない、ということです。 クリスチャンの生き様というのは、イエス・キリストというお方を信じて歩む、ということです。 Amy-Kayさん。 がんばって生きようとしていませんか? なんとか、明るく生きようとがんばっていませんか? いいんですよ、がんばらなくって。 この世の中ですもの。思い通りにならないことだらけです。 悪いと思えるようなことばかりです。 そんなとき、わたしたちクリスチャンは「イエスさま!」と声をおかけすることができる。 お頼りすることができる。 「地獄のようなこの世の中ですが、主イエス様、あなたは死に打ち勝ったと、この世に勝ったとおっしゃいますので、それを信じます。ありがとうございます」。 ということができるじゃありませんか。 どうにもならない自分をなんとかしたいと思っていらっしゃいませんか? いいんですよそのままで。 聖書にはキリストを信じるものへの約束として、「終わりの日までにキリストの似姿にかえてくださる」といっています。 信じるとは何かをすることではありません。 「約束を信じる」というのがキリスト者の信仰です。 聖書は、あなたも私も「神の子」として、いつまでもともにいてくださる主イエス様が育ててくださると約束しています。 私も、どうにもならない自分に腹を立て、いまでも時々、じぶんにがっかりしていますが、たった一つ、以前と違うのは「主イエス様のお約束ですから信じます」といって、感謝の祈りができることです。 豊かなる主イエス様の平安と祝福を祈ります。 「疲れたもの、重荷を負っているものは私のもとにきなさい。休ませてあげます」と主イエス様は、あなたに声をかけておられますよ。
- hureguranto
- ベストアンサー率35% (5/14)
以下のURL、クリスチャンのサイトですが私自身励まされてます。 このような心の病を持っている状態で、クリスチャンなのに・・とか信仰が薄いのかなぁ・・等とご自分を責めてしまうとどんどん深入りしていってしまいます・・ 自分を受け止めてあげることも大切だということを教わりました。 このサイトで「心の掲示板」というのがありますがみんな弱いんだな・・と少し心が軽くなりますよ! クリスチャンのカウンセリングもお勧めします。 Amy-Kayさんが何処のお住まいなのか分からないので難しいかもしれませんが、田中信夫牧師のカウンセリングが良いみたいです。 クリスチャンのカウンセリングは通常よりも安いそうです。
私は大学で主に臨床心理学と健康心理学を学んでいます。 臨床心理学を学べば誰でも知っている名前、ロジャーズは元牧師だそうです。訪れる人たちが自らの罪を告白したあとに結構すっきりしているようだということに気付いて、『受容(相手を受け入れる)』『共感(相手の気持ちに共感する)』『自己一致(言っていることと心に思っていることの一致)』を打ち出しました。本当の真の姿で相手に接すれば、相手も信頼してくれると思います。 信仰がどうこうというのは別にして、人と接することは大事です。段階的に慣れていくのはいかがでしょうか?家族とか本当に信頼できる人とかに、自分の悩みを吐露することで、気持ちは落ち着くかもしれません。沈んだ気分も少しはマシになるかもしれません。その次に、軽くなら悩みを打ち明けれる人と話をしてみる。という風に、対象を広げていくのです。「それが出来ないから困っている」と言われたら、それまでですが・・・。 自分で自分のことを見つめなおす機会を設けてみてはいかがでしょうか?「今なぜ自分は沈んでいるのか」「こうなったきっかけは何か」とか「今まで自分が役立ってきたことはないのか」「同じようなことで今は役立てないのか」とか。「自分の長所は何か」「それを生かせるものは何か/どういう場面や環境か」とか「自分の短所は何か」「それをどういう風に克服していくか」「短所を長所と解釈できないのか」とか。「いま自分に少しでも出来ることは何か」とか。 私は無宗教者ですので、クリスチャンとしての貴方の気持ちは全く分かりません。ただ、一般人として、大学で心理学を学ぶ学生として、回答させていただきました。参考になれば幸いです。
- katyan
- ベストアンサー率9% (201/2029)
おめでとう!バイトもできるし他の人とも接する事も出来るようになった。 誰でも初めから出来る人はいません。祝福を考えましょう。 >信仰が薄いと・・・ 意味がわかりません。 教会に行っていない 聖書を読んでいない。 祈る時間がない 等考える事ができますが。 もう一度、神様の元に行きましょうね。 基本的にはNO1様の答えになりますが
- Syo-ya
- ベストアンサー率31% (558/1780)
宗教のことは詳しくないのですが、ラリー・ドッシーという人の本をお薦めします。 医学博士で「祈り」を研究・科学している人です。 これはつまりイメージ、想念の力のお話です。 対人恐怖も、引き篭もりもイメージ次第だと思います。 イメージにはプラスとマイナスがありますから取り扱いには注意が必要です。 この本に書かれていたか記憶が定かではありませんが、 例えば「神さま癌を治してください」と祈るのは駄目なんです。 これでは心の中で「私は癌なんです、だから・・」と、「自分は癌だ!」という負のイメージを強くしているようなものだからです。 それよりも 「癌がスッカリ治りました!、神さまありがとう!」と祈るほうが良いんです。 何故ならば、その喜びの祈りが、喜びのイメージを作り、脳内にやる気、癒しホルモンを分泌させ、免疫力を高め、実際に病気を自然治癒してしまうからです。こういう想念による自然治癒力の話は中国の気功の世界にもありますし、良くある話です。 メンタルヘルスも当然一緒です。 「明日こそは良い日になりますように・・・」は、 「今日も最悪でした」とのイメージを強めています。 それよりも「今日も最高に楽しかったです」と祈れば 気持ちよくなってきて、実際にそうなってくるんです。 ですから神さまに請求書を出しても、支払いは行われません。 むしろお叱りを受けるだけなんです。 何故ならば、すでにお支払いは完了しているからです。 私達には既にイメージという「能力」を与えられているん です。 このイメージ力・想念力を認めた時に、信仰心が生まれてくると思います。 私は何処の団体にも属さない人間ですが、自分の経験・勉強等々から、この想念力の凄さを実感しましたので、この凄い「何か」を信仰するようにはなりました。しかしそれは特定の神仏では無く、もっと宇宙規模の自然の摂理とでも申しましょうか。 塩谷信男氏の「正心調息法」というのは、このイメージ・パワーを活用するものです。実際に同氏がこの「呼吸法+想念法」の生き証人ということですから反論の余地がありません。 図書館でラリードッシーさんと、塩谷さんの本をご覧下さい。 あと長文ですが、こちらの#5も読んでみてください。 http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=802073
- depthol
- ベストアンサー率27% (5/18)
あなたの通う教会の、牧師や教会員たちにありのままの自分でいることが、あなたにとってのカウンセリングだと思います。 それ以前に、本当は神様との対話(祈り)によってあなたの苦しみが和らげばいいのですが。 まだ祈りによっては癒されないというのなら、 牧師や教会員に苦しさを打ち明ければいいと思います。 いいにくければ文書だっていいと思います。 それを拒絶するような人たちだったら、教会やめたっていいですよ(親身に聞いてくれるだろうな、ってことです) それとは別に、脳は、一度くたっとなってしまうと、出せる物質も出せなくなってしまうことに気づいてください。 意欲や前向きさを出してくれる物質を出す能力が、今のあなたにないということも考えられます。 気軽に、心療内科、または精神、神経科で、今のあなたの状況をお話してみてください。 プロテスタントのクリスチャンの私の伯母は、昨年第三者の私から見ても本当に辛いことを経験したとき、 迷わず精神科を訪れていましたよ。ナースだからかな? お薬をきちんと飲むことによる治療に加え、 神様への祈りによって、自らを立て直していたようにみえました。 「信仰が薄いせいもある」などと、自分にも非を見つけることはないですよ。 神様を信じ、まわりにいる人ひとりひとりを信じ、そして自分を信じてください。 言い換えると神様や周りの人に甘えてください。「苦しいよ~」って。 私はクリスチャンではないのですが、「神様はあなたをいつも愛している」という理念はとてもすばらしいと思います。 だって、誰かが無条件に私を愛しているなんて、普通ではありえないですもの。 それを心から信じられたとき、それは、やっぱりその人 にとっての救いなんだと思います。 私にたとえばあなたほどでも信仰があれば、つらいときはもちろん、 うれしいときも、コンビニの店員が態度悪くてむかついたときでも、 あらゆるときに神様に話しかけるかもしれません。 いつでもあなたを愛し、あなたの話を聞いてくれる人を、あなたは救い主として受け入れてるんです。 今の苦しさも神様は耳に手をあてて聞く体制だと思うんだけどな~。 「神様、苦しいです! 助けてください!!」こう心から祈ることで、聞かれるのではないでしょうか。 私も、できれば、神様を信じたいんです。 だから、あなたのように信仰を持っている人がうらやましくもあり、 あなたは、しあわせになるべき人だと考えます。