僕(やつがれ)も決して若者とはいえませんが、それでも質問者様のご意見には疑問符が付いてしまいました。
寄せられた回答に対する補足を拝見させていただきましたところでは、かなり固定的な物の考え方に固執されている方であると存じますが、そうしたお姿は如何なものでしょう。
>偏ったニュースの見すぎで疑心暗鬼になっているのでしょう。
日本国では「思想信条の自由」もあれば「言論・出版の自由」も認められています。ですから相互に意見を交わすこともできるのであって、様々な意見の存在によって「より良いアイデア」へと深化させることもできます。
もし一つの価値観で固定されてしまったならば、異見は認められず窮屈な社会にもなってしまいます。
偏ったニュースも「一方からみれば偏っている様に見える」けれども、別の人がみれば「偏ってもいない」ともなります。基準は個人によって異なります。一概に「偏っている」というのは如何なものでしょう、そうした姿を「かたわ」というのではないでしょうか。
>お墓参りでご先祖への忠誠をつくすことはとても大事なことですよ。
墓参は先祖への忠誠を尽くすとの意味よりも、むしろ季節の挨拶程度でしょう。もし先祖への忠誠というのであれば、私たち人類の祖先は600万年から700万年以前のアフリカにいたとされていますから、中央アフリカにまで墓参りにいかねばならないとの話になってしまいます。それぞれにとって「大切な人」の墓所を訪れることは、相手に対する思慕の情や供養として自然な発露ですが、それを「ねばならない」と強要する様なお考えには賛同しかねます。たとえ親族とはいえ疎遠な関係もありますから。
もとより「家柄」や「家格」などといった後から付け足して作られた要素で「人」を判断することなど適わない話です。
>イデオロギー、民族意識、伝統、アイデンテティ、文化侵略の排除など。洋服着ている時点で国売っているわけですから
私たちの身の回りにあって生活をより豊かで便利なものにする道具として「洋服」を考えるならば、それが即「売国」につながるとはいささか短絡的ではないでしょうか。現に質問者様はパソコンなり携帯をお使いになって、この様なSNSにご意見を投じられていますので、ご自身を否定することになるとはお考えになりませんか?。
イデオロギー・民族意識・伝統・アイデンティティーといっても、それが元からあったものでもなく、イデオロギーおよび民族意識といっても本居宣長の様な国学の立場から和魂洋才で知られる福沢諭吉(彼も後に転向して国家主義者に変質しますが)まで広い幅があります。一概に括れるほどのものでもないでしょう。
>若者は自分の頭にも命にも将来にも政治にも何も関心がありません。あと頭が悪い。目上を適当に敬語使っているのが見え見栄だから教える気にもならない。
少なくとも「若者だから真剣に考えている」部分も多くあります。年寄り達が作り隠してきた様々なミスを今になって若者達が懸命に修正しようとしている典型的な事例が例の「年金記録問題」です。
少ない給与所得の中から少なくない金額を天引きされて、将来の見返りも保証されないならば、政治に対する憤りや不信感が募っても不自然ではありません。
もしこの国の若者達が「本気で怒りを政治行動に示し」ても、元の数を比べれば年寄りのそれとは比べものにはなりませんから改革することはできず、いつまで経っても無力感に囚われてしまうことも理解できます。
だったら自分達の手で少しでも社会を変える推進力になろう、と様々な新しい発想で現場や社会をデザインする若者達も増えています。決して頭が悪いとはいえず、むしろ失礼にあたるでしょう(従来の枠組みがあればそれで良しとする老人達こそ頭が硬いともいえる)。
>いや衆愚政治です。天皇陛下がいっても若者は聞きません。首相が言っても動きません。国への忠誠心がない。親が言っても「うっせーよ」という国。豊かな国に生まれた感謝がない。他人が親心みたいに言うと「は?まじうざい」という国。わかりますね。ご近所づきあいもはるか昔に軽薄かしました。馬鹿が王様になった国。大部分はつける薬はないでしょう。病気だと思いますよ。あと、思いやりで言うほうが下手に出るという理屈は理解不能
衆愚政治と揶揄し、国への忠誠心がないとお嘆きですが、この国の主権者が「誰であるか」ご存知ですか?。天皇などではないこともお分かりでしょうね。天皇は国民統合の象徴であるだけです。では誰でしょう、他ならぬ「一人一人の私たち国民」です。国民の負託を受けた代表が立法府で民意を示す形です。国が先にあるのではなく、また国のために国民がいるのでもありません。国民が政治の主体であり主役です。
始めに国家ありき、との考えならば、自ら主体的に考えて行動する国民は邪魔なはずです。質問者様の価値観からすれば、今の若者達の殆どが、この邪魔な存在になるかと考えられます。命令に従わないから、との理由です。
「かつて正しかった論理」も検証してみれば「実際には誤りもあった」となることも学問領域では当然で、もし完全無欠な理論が最初からあったならば、その後の議論など起こらないはずです。にもかかわらず、様々な「論争」があることも確かです。何れかに誤謬あるから矛盾することとなります。誤謬があるのは「完全無欠な理論がある」との側であることも明白です。
『論語』の「為政編」を読み、国語の基本から勉強し直しましょうね、誤字脱字が多すぎます。耳年寄りの質問者様?。
お礼
むー、ただ、天皇陛下のお誕生日ふんづけてクリスマスの誘惑にだまされる国だし馬鹿の国だと思いますよ。よく言えば愚直。いい方向に生かされればいい国になるんですがね。マッカーサーは中学生だと笑いました。私もそう思います。^-^
補足
あ、誤字あればすいませんでした。ま、勉強しますです。ただ私が話した限りではアホの癖に話も聞かないやつが多すぎますね。衆愚政治で少子高齢化で国民主権ですからね。石原氏も天皇を神様に戻すべきだと述べています。森氏も神の国だと述べていましたからね。若者(ばかもの)にはイデオロギーなんてわからんでしょう。目がすでにカルトですからw腐女子マンガ読み漁った娘を更正させようとしても、親ですら言うこと聞かないらしいですよ。ま、こちらが言う前に目上を馬鹿にしたり、下手に警戒しているのばればれで、近寄りがたい。