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霊魂にとりつかれることが本当にあるのですか?
- 霊魂にとりつかれることが本当にあるのか疑問に思っています。
- 仏教のお位牌が天理教の家にあるが供養されていない状況があります。
- 私の家族の健康状態が続いており、霊障に関連しているのかもしれません。アドバイスを求めています。
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追伸を含め本当に最後の回答にいたします。 それでもやはり気になる。ということでしたら、 死者の気持ちが判るお坊さんを探されるのがよいと思います。 死者の気持ちに対して気になることをぬぐい去ることは並大抵ではないでしょうから。 「他人事」、「なんだ、そんなこと」、と思われてしまうのは辛いでしょうね(自他共に)。 安心できるお寺お坊さんを探しましょう。供養をするお寺と必ずしもイコールでなくとも良いでしょう。 今のこの状態はどうなのでしょうか?と。安らぎは常に探しても良いでしょう。 魂の場所を探しましょう。安らげる場所を探しましょう。探してあげましょう。 舅さんがどう思われているのかも含め、判るお寺が必ず見つかるはずです。 現場のコミュニティ・情報網から当っていきましょう。 ですが、自身のお体もどうか大事になさってください。
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お礼回答ありがとうございました。 何はともあれ良かったです。 これからも、大切な家族、心を、成し続けていきましょう。 利用規約違反にあたってはいけないので、以上で回答を終了させて頂きます。 成し続け得れますよ
お礼
ondora さま 何度もご回答を頂きありがとうございました。 目にはっきりと見える解決には至りませんでしたが、色々助言下さって助けて頂きました。 感謝申し上げます。 利用規約に違反してはいけませんね。私もそろそろ終わりに・・・ 昨日、舅の位牌がまつられているという義兄の家にそのお位牌を確認に行ってきました。 その結果だけをご報告して終わりとしたいと思います。 2年前に亡くなった義兄の連れ合いである義姉が白い手袋をはめて、天理教の(分派)の仏壇から 天理教のお位牌? と言うべき木の筒・・上から赤い色の蓋をすつぽりかぶせた筒を出してくれました。 そのかぶせの蓋をとると、中には4~5枚の紙が入っていました。 それぞれ死者の名前と命日が書かれていて。その中に探していた義兄や私の主人の父親である・・舅の名前と 命日を書いた紙も有りました。想像していた木の札のものではないし、戒名も書いてなくて・・・俗名で 2年前に亡くなった義兄は、天理教で葬儀をしたので、そのやり方でよろしいと思うのですが・・・ 舅は仏教のお葬式をして一度は供養をしたはずなのです。ここの土地の大水害で戒名も書いたお位牌も仏壇 とともに流されたといわれていた通りと思われます。その後に、おそらく誰かの手で紙に書かれてこの木の筒 の中に。 死者の気持ちがわかれば良いのですが・・・私にはどうしてあげて良いのか・・・失望感とともに帰宅しまし た。昨夜は心身ともに疲れて、ご報告が今日になりました。 これからも舅は仏教での供養を求め続けるのか・・・霊障が本当にあるものなのか断言出来るものは おりません。天理教の大祭は年に一度ということで、皆さま一同にお参りなさるとか・・・ 木の筒の中におさめられた舅ですが、心をこめて私流に外から供養出来ると思いつつ。 ご回答を下さった皆さまの御健康をおいのりしております。 ありがとうございました。
相当弱っていらっしゃるようなので、あえて再度気にせずに書きます。 ガンが消えるということがもうない、ということがないことはないでしょう。解りも限りもありません。 今日生きている命も明日生きていく命も昨日生きていた命もないことにしてはいけません。 心があるから生きているのです。 心がなければそれは死んでいるのも同然です。 死んでも死なない死して尚生き生きこの生きですよ! 気休めのたわごと程度までになれば幸いです。 回答は以上です。 宇宙からエネルギーをもらいまくりましょう。タダですよ。いまのところ。
お礼
ondora 様 おはようございます ずっとフォロウして頂いて心強く元気が出てきます。 ありがとう。 今日はお位牌の有るという義兄の自宅に伺う日です。 義姉とその弟である私の主人と3人でまいります。 義兄は2年前に亡くなり天理教の分かれの宗教で葬儀しました。 その義兄の連れ合いである義姉が一人遺されて住んでいます。数日前に引っこしをしたということ。 義兄とその父である私が気にしています舅のお位牌は、まだそこにおいています・・ということらしいですか ら・・ややこしい話ですが。 天理教で葬式をすませた義兄の位牌?と仏教の舅の位牌が一緒においてあります・・・と数日前の電話では 義姉はいっておりました。どんな状態なのかちよっと想像がつきませんが。 今日その実態を見せてもらおうという・・・私の気持ちは・・そうです。 共に行きます義姉と私の主人の気持ちは、私の気持ちとかなり温度差があり、お位牌には関心は無いでしょう ただ、未亡人になった高齢の義姉の様子を見がてらということです。 帰りましたら又御相談に乗って頂けると嬉しいです。 いつまでも逡巡していてはいけませんので、しっかり見て考えるつもりです。 ありがとうございました。
深刻な事態だと思いますので気にせずに回答します。 早急に何箇所かのお寺に相談に行きましょう。 威圧的な態度や不機嫌な態度をとる坊さんは、マズイ、でしょうね。 供養されているかどうかも疑問ですね。 「あの人全く普通にしか見えないけどそんなに凄い人なの?」 格上であればあるほど<普段はそんな風には見えないもの>です。ただの豆知識ですが。 ほんと普段はただのふつーの、おっさん、おばさん、にーちゃん、ねーちゃん、です。 普通のときは普通。確かに普通とは少し違うかも?くらいです。 私は神です。なんて、 そーーーーうとーーーーーうに、、聞いたって答えてくれませんよ。応えはするでしょうけど。 人として信用できるお寺、を探しましょう。 いいお寺探し、は、てこずるでしょうけれど多くの人に聞いて回っていいでしょう。 脅されては、ダメです。 人間性というか、人柄は、当然求めましょう。相性もありますし。 こいつ変な奴と思うお寺、思われるお寺、は、避けましょう。 いくつも相談して、その上で決める。これが重要ですね。 いくつかのお寺に相談しに行きましょう。 変だとは思われませんよ。 親身に親切に時間をかけて何度でも聞いてくれます。そのお坊さんに安心できるはずです。 相談に行きましょう。手間ひま時間は覚悟しましょう。邪魔も絶対にしてきます。
お礼
ondora 様 再度のご回答ありがとうございます。 僧侶も人の子ですから、色んな人格があって不思議はありませんね。 本来ならば、宗旨は違っていても今お参りをお願いしているお寺に相談に行くのが筋道ですし そうすべきなのですが・・・しかし・・・ 心の中まで見てしまった以上、営利目的だけのお寺とはおつきあいを続けていくのは終わりにしていき たいと思います。 時間がかかりますが、お寺を探していこうと決心がつきました。 明日は本家にお位牌の様子を見に行く日です。 私のガンが消えるという奇跡はもうないことはわかっていますが、何かしてあげることで私の心の平安が やってくるように期待しています。 長いおつきあいありがとうございました。
連投ですません。補足です。 ゴーンやガランガランについて・・ 自分の家にやってきて、ノックをする、や、インターフォン(ピンポン)を鳴らす。と同じ意味合い。 そういう意味で書きました。 お経・・・・・ お経であれ般若心経であれ、心のこもって無いものは意味がありません(多少過言です) 自分をナイフで刺した人間に手当されて嬉しいか? 自分を殺した人間が墓に来て嬉しいか?お経をあげてもらって嬉しいか? ・・帰って下さいと思いませんか?心、気持ちの問題です。 心がこもっているほうが、より嬉しい。 自分の好きな人があなたの事を想って、下手だと思う歌や演奏した。とします。嬉しいでしょう! 心があるから、通じるから、通じたから、です。 心を込めてお経をあげる。お経自体は、あげてもらいましょう。できる人、に。 お寺に行って、聞く。そのほうがスッキリ解決します。 ここでのその質問、では<参考にする意見>が増える、だけにしかすぎません。 いくつかお寺をまわって意見を聞いてみる。そのほうが納得できますよ。周りとの状況も見えますし。
お礼
ondora さま お寺、お経、戒名などに懐疑的なもっと言えば否定的な私の質問にお答を即頂きまして 篤く御礼申し上げます。 ご回答はいただけないような気持ちがしておりました。 解りやすくお答えを書いて下さり、しかも否定的な言葉は何もなくすっと心に入りました。 お経は何か・・・ということについてのお答が無いことが少し残念ですが・・・ 私の家がお願いしていますお寺は、この家の宗旨と違うのですが、それは昔から来て下さっていたのお寺が 理由ははっきりしませんが住職様が亡くなってお寺が絶えたのだと思います。 それで丁度親戚にお寺があったので姑が頼み、宗旨は何であれお供養することは良いことというのでお願いし ています しかし、私はこのお坊さんが好きになれません。 ここのお寺はお葬式をお願いしますと3人の僧侶がユニットで来られます。何処のお宅もそうです。 姑の葬式の時もそうでした。かなり派手なパホーマンスをされる宗旨で(ごめんなさい。勿体ない言い方かも しれません) 当然お支払の費用も3人ですからかさみますよね 私宅の先祖の50回忌が済んでから、それまで毎月お願いしていたお参りを年4回(命日、春秋の彼岸、お 盆)に減らして下さいということをお願いにお寺に行った時も御機嫌が悪くて怖かったことがありました。 なかなか堂々たる風格の坊さんで、威圧されそうな雰囲気。講話なども無いし旅行はしているようです。 私としては、宗旨のおなじお寺に変わりたい、主人も変えたいという同じ考えなのですが、親戚ですし それはし難いことです。 以前、私がここに嫁いでしばらくのこと、この家の宗旨を知らなかったので坊さんに尋ねたとき、お寺紹介し ましょうか?と気色ばんで言われたので「いえいえ}と私はびっくり。 そういうつもりでたずねたわけではなかったのに・・・ ondora様に勧められた通りに、「お寺に行って聞く」私としては宗旨にはこだわりませんが、 どこか近く(宗旨の同じお寺が有るのです)でこのような話を聞いてもらいたいなぁということ考えてみたこ とがあるのです。 貴方様がもしお寺の側の方であったとしたら、そんな人がもしやってきましたら・・・・ 変なやつだと思われませんか?どのように対処されるのでしょうか。 その後ずーっとそのお寺でお世話になるのであれば良いのですが。 お寺の僧侶の人間的なものまで要求するのは、私は間違っていると思います。 話が横道にそれてしまいました。ごめんなさい。 うちのお寺の坊さんがもしかしてこれを読んでいるかもしれません。 このへんで終わります。 おつきあい下さって本当にありがとうございました。
先に結論。 ここより、お寺! あとはあくまで、参考程度に。 生きてる人間は、肉体と霊体なので、何であれ霊作用は少なからずあります。相互間作用。 霊には嘘ごまかしは通用しません。気持ちが筒抜けです。見透かされる。です。 あなたを供養したいのであなたの位牌をここに置いて供養します。 気持ちは伝わります。作用はどうあれ。 自分の家に友達を招待するときに、その友達を思って用意するでしょう。伝わる結果は別として。これと同じです。 供養したいのであれば、供養してあげましょう。写真だけでも供養はできます。 今から始めるよーーーー!!と呼べば(心で思えば)、来るでしょう。(ゴーンやガランガランですね) 気持ち、心の問題です。 誰にも供養されないと、訴えはあるでしょうね、大なり小なり。 中には、全く無い人?もいますけれど。(この場合、自分のことは自分でできる。ということでしょう) この世はこの世の法則、あの世はあの世の法則。 お墓を管理しているお寺があるのですから、そこのお寺への相談。まずは第一オピニオン、でしょう。 その地域を管理している役所、のイメージですね。 とり憑かれる、は、この世と同様、意志の問題です。 すごくこっちに行きたいの!! と思っていても、 すごく邪魔されたらどうか? 影響はこれと同じです。家族間、友達間etc・・みな同じです。 より強力な意識、が勝ります!! こうするんだよっ!!の勝ちです。 弾くも消すも挫くもできますよね。(相手の意思を) 何ごちゃごちゃ言ってんの、私は私で寝るわよ。 ・・この場合、この人は寝ますね。(結果はまた別でしょうが) 気持ちと宗教もイコールではないです。想う気持ち、その気持ち自体にかわりはありません。 はっきりと明確な意志を持って生きましょう。 とりあえず、お寺に行きましょう。自分と相手の心をもって。
お礼
ondora さま 早速ご回答ありがとうございます。 長いまとまりのない質問を読んで頂きすみません。 霊の作用はあると・・・おっしゃっていますね。 それと、誰からも供養をされていないと訴えがあると・・・・。 貴方様はお寺の僧侶をなさっている方でしょうか。僧侶をなさっている・・という表現も変な言い方ですが 失礼をお許しください。 少しお尋ねしたいです。 お経は死者にとってどのようなものになるのでしょうか。 私は現在生きておりますからでしょうか。お経を聞いても何も感じることが出来ません。 私が死ねば、お経はいらないし、戒名も自身はいらないと書き残したいと思っています。 しかし、亡くなった舅にはお経をあげてもらいたいと思うのです。 死後の世界に行けば私もお経がほしくなるのか・・・もしれませんね。 ご-ンやガランガランがこちらに呼びよせる合図なのですか? 主人は我が家にそのお位牌を持ってきて供養したら良いと言ってくれているのですが。 お寺は我が家の親戚筋にあたるので供養することはいと易いことと思いますが。 簡単にお位牌を他家に持ってきて良いものなのか。 そのお位牌は親戚とはいえ、他家にあるもの、なんでそんなに位牌にこだわるのか・・我が家の仏だ! 放っておいてくれといわれれば、わけを話さなければ説得力に欠けましょう? 私に降りかかる災難を話すのははばかられますし。 はっきりと明確な意思をといわれますが、なかなか理屈通りにまいらないのです。 悩ましいことです。 とにかくお経を舅にあげてもらいたいのです。死者が喜ぶというお経を・・それは本当なのでしょうか。 お経とは何ですか? その人のことを時々思い出してあげるだけでは念は通じないのですね? もう明け方になります。混乱してきました。 朝明るくなりましたらご回答を、しつかり読ませて頂きます。 取り急ぎお礼を送信します。 ありがとうございました。
- Xiong Qing Ying(@xiongqin)
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供養とは、家系を継続する必要がある場合において行いますが、ご主人が家系を大切にする意思がなければ、供養の意味は成立たない。 供養されていないからといって、死に至った人の霊が、あなたに纏わりつくことは有得ない。 あなた自身が再婚によって嫁いだ家を、代々に渡って意思を継いで行きたいと考えるならば、供養されるべきでしょう。 あなたには勝手な曖昧差がある。 > お経がほしいのでしたらいつでもあげたいと思うのみです。私自身は全く詠めませんが。 このような心理が有る以上、供養しても、供養にはならない。 供養とは家系の未来を視るところにあり、それが供養する者への意思の強さと、力強さが得られる事になるでしょう。 何の未来も見据えていない供養は何等意味を持たないものです。 供養する事によって、己が自信の家族への責任と、それを未来永劫に伝えるものが、心理的に強さを得る事になり、病気に対しても強くなる事になるものでしょう。 即ち、供養によって、己が自信の計画性と、心底強くなる事が何事へも好転させる切欠となるものですね。 昔から言われていた、病は気からと申しますのは、そこにあるわけです。 亡霊は、あなた自信が創るものであり、先祖霊があなたを助けたり苦しめることは有得ない。 そう云った意味では、確かにあなたに亡霊が憑いているといえるでしょう。 さて、あなたの意思はどこにあるのか?、ご主人に対して強く説得するものが得られたならば、供養も簡単に可能になると言えるのではないでしょうか。 現在のあなたではできるかな? 強くなれなければ、供養を語っても意味は無いように思います。 霊は確かに存在する、しかし、その霊を生前中の者が、誘き寄せない限り何事にも感覚は得られない。 現在は、あなた自信が己が心に有る悪霊を誘きよせているにすぎない。
お礼
xiongqin 様 早速ご回答ありがとうございました。 長々と行きつ戻りつのわかりにくい長文を読んで頂き感謝申し上げます。 確かに御指摘の通り私の考えには勝手な曖昧さが有ります。 強い意志でもって供養しようという覚悟がないのです。 始まりは、亡くなって後、誰からも思い出されることもない、息子ですらも冷たい言葉を吐かれるだけの 父親である舅が「なんて気の毒な!」という気持ちからだったのです。 連れ合いであった姑は世間並みに供養してもらっているのに、舅は事情があったとはいえ、忘れ去られ 位牌はあるようだけど、義兄の家でどのようなことに・・・ 私の考えがどんどん深みにはまっていったのです。 私が次々に災難に襲われる・・・と自分で思っているのは、「枯れ尾花が風に揺れるのを幽霊だと」 勘違いしているようなものかもしれません。病は気からと確かに申しますわね。 永年の家庭で勃発するストレスがどんどん溜まって胸にガンが出来たのかもしれません。 私は過去に霊の仕業?だと思える現象を2度ばかり経験したのです。またまた・・・と嗤っていらっしゃる 貴方様のお顔が見えるようですが・・・ やはり私には霊が何かするということを全く否定は出来ないのです。 我が家の中だけのことであれば、この私も決断は速いのです。 親戚とはいいましても他家の仏さまでありますし、うちにお参りに来てくれているお寺にも尋ねてからの方が 良いのか・・・などなど私の決断力にグズグズが出て悩ましいことです。 主人は情緒面が欠落している?お陰で、私のようなグズグズは全くなく、その仏様のお位牌を我が家に持って きてうちで供養したら良いとは申してくれておりますが。 強くならねば供養が出来ないとおつしゃいましたね。 火曜日に、主人とその姉と私もその親戚に行くことになっています。 お位牌がどのようなものなのか、御対面してまいります。 ありがとうございました。
お礼
0ndoraさま 本当に今度こそ最後の御回答になりますね。ありがとう。 昨夜は、遅くまで主人と葬儀(世間話から、われわれの葬儀、そして私の葬儀)について 話合いました。構えてではなく、自然な流れで・・・。 私の場合は、もう本当にそれは間近いことかもしれません。 主人も私もこじんまりと家族葬に・・・といつもは意見が合わない主人もそこは合致。 私は義理の娘3人にも、世話は極力かけないで逝きたいですし、一番の気がかりは、葬儀にはユニットで 3人の僧侶がやってくるいつものお寺の坊さんです。 姑の17 年前の葬式の時のお布施がただいましらべましたら3人分・・・63万円でした。 お坊さんの費用だけでです。こういうお寺も現にあるのです。 お金の問題だけではなくこのようなお寺の僧侶にはお願いしたくないです。 私の葬儀はこのお寺ではしないでほしいとそれだけは強く希望しましたが・・ しかしそれは遺された者の都合でどうにでもなりますね。 死者に口はありませんからああしてこうしてということは、亡くなってからは実現されなくても仕方ないと いうことです。 死後の世界とはどういうものでしょうね。漠然とした期待も少し・・・不安も勿論かなり。 どうか貴方様もご健康で。