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親と妻、どちらを選びますか?
長文になると思います。また、私はタイトルの質問に答えを出してしまった人間です。 私には、今年85歳になる父と82歳になる母がおります。 父親は、75歳くらいの時から膝の具合が悪く、それでも杖をついてヨチヨチ歩きが出来ました。 私は年に3回くらい帰省していましたが、両親に東京で一緒に暮らさないかと頼みましたが、私の世話にならなくても生活出来るし、今更東京でなんか暮らしたくないと言われました。しかし、母は本心では一緒に暮らしたかったみたいです。 私には、4歳年上の姉がいました。地元に嫁ぎ家から車で30分くらいの距離でしたので、姉にすっかり頼っていました。 その姉が7年前に子宮ガンで早逝してしまい、再び東京の生活を打診しましたが、父は頑として断り続けました。 その父が一昨年まで介護3だったのに、昨春介護5になり寝たきりになってしまいました。 正月には割りと元気でしたが、昨年3月に突然母から電話があり、お父さんはもう死ぬかも知れないから、顔を見に帰って来いという事でした。 すると、骨と皮ばかりに痩せ細った寝たきりの父が、私の顔を見て誰ですか?と聞くのです。 こうなる前に、早く連絡くれればと母を責めましたが、お前はもう東京の人間だからと言われました。 母はオムツを取り替えるだけで、既に疲れきっておりましたし、床擦れによる辱創がかなり酷い状態でしたから、とりあえず入院させて特別養護老人ホーム入居の申し込みをして東京に帰りました。 父を見たときから、私はUターンする決意をしましたが、帰京したその日から、妻と子供たちとの話し合いが始まりました。子供二人は既に結婚し、次男は昨秋に結婚が決まっていました。子供たちは、お父さんが今帰らず一生後悔するならば、好きなようにしてと言われましたが、私の妻は反対しました。娘の子供(初孫3歳)と遠く離れたくない、早期退職したら職も決まっていない私の経済状態が不安、雪深い田舎の生活と僻地である事が不安、何日も話し合いましたが最後は私(妻)と両親のどちらが大事なの!と感情的になられました。 私は結婚してから、妻と子供たちの意見を尊重し家族は支え合う物と子供に教育し感謝してきました。結局私は、妻の意見を尊重し支える事が出来ませんでした。 妻の好きにしてくれと、離婚届けに判を押してUターンしてきましたが、次男の結婚式の時は一言も口を聞いてくれませんでした。私の決断は、間違いだったのでしょうか?
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お礼
ご解答ありがとうございました。 私の父親は、外国航路のタンカーの船員をしておりました。 幼少期から、父親は年に一回三ヶ月程度の休みで家におりましたが、残り九ヶ月はいないため、高校生くらいの時は単なる給料運搬人の感覚になりました。 そんな父でも、私には人間は全て平等である事、自分の我欲を考える前に相手の気持ちを考えなさいと、繰り返し厳しく教えられました。世界を周っておりましたので、差別も随分受けたらしいですね。 そんな父が、私の最初の要望を拒んだのは、私と妻への気遣いだと思っております。 年齢を重ね、体が思うようにならなくなってからは、ここで死にたいだったと思います。 人生の終着点を選択した事は、過去のいきさつ選択を抜きにしても、尊重されるべき(例えば尊厳死や献体)事であり、重い決断だと思います。 私は長男だからではなく、両親に残された最後の子供だからこそ、終着点まで無事に辿り着けるように、寄り添って行きたいのです。 仕事も見つかり、生活保護者より低い収入ですが、家賃のかからない分生活して行けます。 納税額が、前年収入に対して課せられますので、今年の三月までぎりぎりの生活ですけど、四月からは多少の貯えも可能と思われます。 また、私は東京に出て来てから妻と結婚するまで、ずっと一人で暮らしておりましたし、異性と付き合った事もございません。 従って、料理や簡単な裁縫ならば、今どきの若い娘さん達より、遥かに自信があります。=田舎の一人暮らし可能だと思いますよ。 また、田舎のコミュニティーは狭く深い分、家に引きこもりしない限り幼稚園児からお年寄りまで顔馴染みで、気軽に挨拶や会話してます。 体の続く限り、東京の子供たちへは定期的に通うつもりです。 昨秋に結婚した次男に子供が出来まして、今年10月予定なので楽しみにしています。 私の街は雪深いですけど、その分自然環境が良く土地も安いせいか、福祉施設が二つもあります。 ボランティアをしながら、地域コミュニティーに参加し馴染んで行くつもりです。 今のところ、この街の人間になるつもりですから、私も父と同様ここを終着点にするつもりです。 ボランティアしながら、施設長さんに体が思うようにならなくなったら、グループホームに入れてくださいと、冗談半分で頼んでいます。 ご解答ありがとうございました。 生きている限り、家とお墓は守って行きます。