- 締切済み
親と妻、どちらを選びますか?
長文になると思います。また、私はタイトルの質問に答えを出してしまった人間です。 私には、今年85歳になる父と82歳になる母がおります。 父親は、75歳くらいの時から膝の具合が悪く、それでも杖をついてヨチヨチ歩きが出来ました。 私は年に3回くらい帰省していましたが、両親に東京で一緒に暮らさないかと頼みましたが、私の世話にならなくても生活出来るし、今更東京でなんか暮らしたくないと言われました。しかし、母は本心では一緒に暮らしたかったみたいです。 私には、4歳年上の姉がいました。地元に嫁ぎ家から車で30分くらいの距離でしたので、姉にすっかり頼っていました。 その姉が7年前に子宮ガンで早逝してしまい、再び東京の生活を打診しましたが、父は頑として断り続けました。 その父が一昨年まで介護3だったのに、昨春介護5になり寝たきりになってしまいました。 正月には割りと元気でしたが、昨年3月に突然母から電話があり、お父さんはもう死ぬかも知れないから、顔を見に帰って来いという事でした。 すると、骨と皮ばかりに痩せ細った寝たきりの父が、私の顔を見て誰ですか?と聞くのです。 こうなる前に、早く連絡くれればと母を責めましたが、お前はもう東京の人間だからと言われました。 母はオムツを取り替えるだけで、既に疲れきっておりましたし、床擦れによる辱創がかなり酷い状態でしたから、とりあえず入院させて特別養護老人ホーム入居の申し込みをして東京に帰りました。 父を見たときから、私はUターンする決意をしましたが、帰京したその日から、妻と子供たちとの話し合いが始まりました。子供二人は既に結婚し、次男は昨秋に結婚が決まっていました。子供たちは、お父さんが今帰らず一生後悔するならば、好きなようにしてと言われましたが、私の妻は反対しました。娘の子供(初孫3歳)と遠く離れたくない、早期退職したら職も決まっていない私の経済状態が不安、雪深い田舎の生活と僻地である事が不安、何日も話し合いましたが最後は私(妻)と両親のどちらが大事なの!と感情的になられました。 私は結婚してから、妻と子供たちの意見を尊重し家族は支え合う物と子供に教育し感謝してきました。結局私は、妻の意見を尊重し支える事が出来ませんでした。 妻の好きにしてくれと、離婚届けに判を押してUターンしてきましたが、次男の結婚式の時は一言も口を聞いてくれませんでした。私の決断は、間違いだったのでしょうか?
- みんなの回答 (46)
- 専門家の回答
みんなの回答
- hehehefo1
- ベストアンサー率20% (11/55)
奥様も別に悪気があって、言ったんじゃないと思います。 寂しかったんですよ。貴方と離れるのが。だからついムキになってしまったんです。 だけど自分も歳なので、ついて行くことも、がむしゃらに賭けをするみたいに突っ走れない。 人は簡単に慣れた生活を崩せるもんじゃない だから貴方に自分から残ると言って欲しかったのでしょう。 親には時々会いにいく感じのスタイルで。 何年も一緒にいたんだから離婚届けをつきつけられ寂しかったと思いますよ。 だけど貴方の事情もやめなさいと押し付けはできない。とちゃんと心では奥様も解ってるし貴方の事考えてると思いますよ。 ただ現状をまだちゃんと受け入れられないだけですよ。 何度かお互いに冷静に話し合ってはいかがですか? お互いに妥協出来る範囲内の話し合いをしたり 夫婦には他人には解らない絆がありますから 離婚にまでは至らず済むかも知れません どっちが大事なのと言うくらいですから。 貴方を愛しているでしょうし 何年も一緒にいたら、言わなくても色々解ってると思いますよ。 誰だって気持ちが暴走したり、テンパったら 馬鹿な事も言っちゃいますよ
- wktk6927
- ベストアンサー率35% (5/14)
すみません。 若輩者ですが、どうか回答させて下さい。 この質問文を読んで、涙が止まりません。 私は、ほんの5ヶ月程前に 母方の祖母を亡くした者です。 親と奥様、どちらかを選び 選択した質問者様を 誰が責めても何も戻らないかと思います。 私は結婚なんてしていませんから、 質問者様の気持ちも、奥様の気持ちもわかりかねます。 無責任ですみません。 ですが、祖母が亡くなった時 心に言いようのない虚無感が私を襲いました。 それがもし親だったなら、私は一体どうなっていたのだろう。 考えるだけで、涙が止まりません。 質問者様は、皆様の回答に一字一句丁寧に回答されて、 奥様やお子様の事も十分に愛されて、 私はもうそれでいいのではないかと思えて仕方ありません。 質問者様よりも遥かに年下の私が言うことですから 具体性が無く、稚拙ですみません。 何を言いたかったのかといいますと、 質問者様は十分悩んで苦しんだと思います。 この先どんな事があろうと、自分を責めないで下さい。 自分の人生です。後悔するもしないも自分次第です。 くどいようですが、 若輩者の私がおめおめと口を出してすみません。 質問者様は頑張っていますよ。
お礼
解答ありがとうございます! いいえ、私は体育会系の人間だった故に、年下の人間だからと言って馬鹿にしたりしません。仲良くなるまでは、例え小学生でも丁寧語で話しますし、相手の人格を尊重した上で間違いは間違い。良い事は認めて自分も見習います。 あなた様の解答歴も、少し拝読させていただきました。 ちょっとうちの長男に似ていると思いました。長男は妻が離婚した為、幼少期から下の妹、弟の面倒を見ながら大きくなったので、いつも妹と弟を優先させて我が儘を聞いた事のない優しい男です。 私が東京を離れる時、いつも電話しかしない長男が、お母さんは僕に任せてくださいと、一言だったけどメール送ってくれました。 あなた様も、このまま素直で優しい強い男でいて欲しいと思います。 恐らく素直で優しいと、傷付いたり騙されたり利用されたり、損をする事が多いと思います。 しかし、傷付けたり騙したり利用したりする側になる時もあるかも知れませんね。 それは、あなた様の人生ですから、ご自分で判断なさって下さい。 最近、御祖母様を亡くされたそうですが、身内や友人の死はなかなか受け入れ難く、乗り越えるのが大変なようです。 あなた様は「トイレの神様」という歌をご存知ですか?大ヒットしたので、恐らくご存知かと思いますが、「人は人を傷付け大切なものを無くしてく、いつも見方をしてくれたおばあちゃん残して、一人きり家離れた」という歌詞がありますね。 私は、優しかったおばあちゃんを思い出しながら、悲しく落ち込みどうしようもなくなった時、山奥へ行って大声で歌って、時には泣いて歌った後はスッキリしますね! おばあちゃん残してを、妻を残してに置き換え歌ったりしました。 良い歳した大の男が、可笑しいでしょ? でも、悲しみも思いっきり真剣に悲しんでやると、案外乗り越えられるものですよ。 質問する前は、自分の気持ちや決心がぐらつき、時には向き合う事を避けていましたが、皆様のおかげで心と覚悟が定まりました。 あなた様を含め、たくさんの解答者様たちには、本当に感謝しております! 「この道より、我を活かす道無し、我この道を行く」 武者小路実篤の言葉です。好きな言葉なのですが、勝手にアレンジしちゃってるかも知れませんけど、あなた様に送らせていただきます。 健治の雨ニモ負ケズも好きなのですが、あなた様が50歳過ぎたら送りたいですね! ありがとうございました! 私も前を向きます!
- uiill0001
- ベストアンサー率18% (8/44)
お礼見たけど 俺の回答読んで理解してる? 「親と女房のどちらか選べ」と質問するあんたの女房はクズって言ってるのよ。 判らないの? まして理由は、てめえのことだけ考えて、あんたがどんな思いでいるかなんて無視してさ まあ他人の痛みは幾らでも我慢できるからさ あんたは女房にとって他人って事さ。あんたの痛みは幾らでも我慢できるんだ。 あんたは女房を子供を捨ててなんかいないだろ。 女房に拒否されたから、相手に選択を任して出たんだろ。 金だって殆ど置いて出てきてんだろ。 甘い顔するからナメられているんだ 俺なら、頭下ない限りそんな女 許さないよ
お礼
再度のアンサーありがとうございました! 文章読解力がなく、申し訳ございませんでした。 しかし、妻のその言葉だけを切り取って、妻の全人格を侮辱する事は容認出来ません。 あなた様の年齢が、おいくつくらいなのか存じ上げませんが、簡単に気楽に使って良い言葉ではありませんよ。 私は、慣れない工事現場で若い職長さんに、散々罵倒されましたから何を言われてもこたえませんけど、クズという言葉は人を侮辱するものです。拡大解釈すれば、人間のクズ=人間の出来損ない→人間ではない、とも取れる言葉です。 ある人間の一面、一言だけに対する評価に、使用出来るものではありませんよ。 罪のない何人もの人を、殺したような犯罪者に対して使われるような言葉には、私の妻は値しません。 憲法で表現の自由は許されている? いえ、人として社会人としての常識、良識の問題ですよ。
- kosiitamama
- ベストアンサー率18% (2/11)
私は妻側ですが、主と同じくバツイチ子持ちの再婚です。 血の繋がらない私の子供達をすごく可愛がり、時には厳しく育ててくれている主人にはとても感謝しています。 主人のご両親も私達も都内在住なのでちょっと違いますが、私なら主人についていきます。 子供も成人しているとのこと。 何よりもご両親の様子が心配なこと。 豪雪地域でお母様が一人で暮らしてるのが心配です。 安くても良いからお互いに仕事を決めてからの移住にはなるかもしれませんが、私はついていきます。 と、言うのも私の母が千葉県で未婚の妹と2人暮らしをしています。 妹には同居希望の結婚と視野の狭い結婚にとらわれて欲しくなく、気にかけていたんです。 そしたら主人が母に万が一のことがあれば、転勤移動出して実家で母を看ようと言ってくれました。 都内より給料は下がりますが、そう言ってくれる主人です。 色々あるだろうけど、主人と一緒なら頑張れるから私なら行くな。 私達夫婦は30代で、親は60代前半。子供も小学校高学年なのでまだ先かもしれませんが、それが夫婦だと思います。
お礼
ご解答ありがとうございました。 私が愚かであった為、もっと早く手を打っておけば、妻ももっと若かったら、一緒に暮らせていたかも知れません。 妻と結婚を前提に付き合い、初めて彼女の子供たちに会った時、妻との初夜より緊張してドキドキものでした。 子供好きを自負しておりましたが、不安でした。 そしたら長女が私の右腕に、次男が左腕につかまり「ねぇ、ママとどうして知り合ったの?ママのどこが好き?」と娘。「ねぇ、もうパパって呼んでいいの?」と次男。 嬉しかったですねぇ、あの日の事は一生忘れられません。 私が妻をお母さんと呼ぶので、妻が私をお父さんと呼び、半年しないうちに3人の子供たちもパパママからお父さんお母さんになりました。 子供たちの学校を卒業させるのに無理しましたけど、やはり親として人様並の結婚式を挙げさせてやりたいと思いました。 三人目が大学を卒業した頃、我が家の貯蓄は底をついていました。 さすがに私も体に無理が祟り始めましたので、新聞配達は辞めましたが、結婚式の資金を貯める為に、複数の仕事をこなしていました。 だから、両親を呼びたくても呼べなかったですよ。余裕がなくて… 言い訳だと言われますよね? でも、両親はわかってくれていました。 家には何も送って来るな!そんなカネがあるなら子供に使えと、お歳暮が送り返された事があり、その言葉に甘えて来ました。 次男の結婚式も終わり、ホッとしました。 妻も東京で仕事を持っております。 そして、子供や孫を通して私と繋がっていると感じます。 子供と孫が「絆」なのでしょう。 そう信じて田舎で暮らして行きます! ありがとうございました! あなた様のご主人様が、ちょっぴりうらやましいですね。 お子様とお母様、そしてご主人様とお幸せに!
- uiill0001
- ベストアンサー率18% (8/44)
決断が正しいかどうかなんて関係ないよ。 人によって価値観は違うからな 女房子供を捨て自分だけいい思いするのが正しいなんて奴もいるよ でも、俺なら 親に「親と女房のどちらか選べ」なんて質問されたら、女房を選ぶ 女房に「親と女房のどちらか選べ」なんて質問されたら、親を選ぶ 「親と女房のどちらか選べ」なんて最低の質問する奴なんかクズだろ 選ばなくて済むようにするのが愛情ってもんだろ 腐ってしまったクズの気持ち考えろ? そんな、クズとは暮らせないさ
お礼
ご解答ありがとうございます。 人によって価値観は違うから、と最初に書かれてありましたので、「親と女房のどちらか選べ」と質問するやつはクズというのは、一般的な事ではなく、あくまでもあなた様の価値観で判断するとそうなるという事でしょうか? 確かに今回の私のしようは、短絡的であったと反省しておりますけど、この場合に私にクズと言えるのは妻だけだと思うのですが…? ああ、あなた様が妻の変わりに言って下さったと… どうも、ご親切にわざわざありがとうございました。 それと、私の問題は愛情で全て解決出来たのでしょうけど、愛情だけでは解決出来ない問題もありますので、ご親切のお礼にお伝えしておきます。 ありがとうございました。
- HanpaMon
- ベストアンサー率31% (81/254)
50代男 新潟県在住です。 まじめな回答、レスが多いので、ちょっと横道。 新潟県。雪多いし、夏暑いし。 過疎地だし。 産業少ないし。 雪の朝、もう嫌だーと思いながら雪を掘る。年を取ると、 寒さが身に応える。生まれ変わったらハワイに住みたい。 でも、離れられないんですよね。 30年前に就職する時、田舎在住の両親と離れない方がいいなーと、 漠然と思ってました。 自分もあんまり想像が付かなかった。 10年前、リストラされた時。 地元を離れる選択肢があったけど、 やっぱり離れられなかった。 質問者様、まじめな方ですね。 そのまじめさを貫く事で、良い事、悪いことあったと思います。 今更、その生き方を変える事はできないですよね。 でも、時にはちょっと力を抜いて。 ケ・セラ・セラ。なるようになる。
お礼
ありがとうございました! いや~、なじでもねぇてばって言いたいところですけど、今冬は大雪でしたよね! やはり雪国で暮らさないと、雪の大変さや辛さがわからないと思いますね! 目一杯働いていた時に比べれば、随分楽させてもらっていると思いますよ。 ですから、仕事に関しては気楽なものです。 今年から畑を借りて、野菜でも作ろうかと考えております。 今日の長岡市は、大変良い天気です! 寝雪が溶け始め、土の匂いがします。 雪の匂いと土の匂いが混ざったこの時期は、春の到来を感じることが出来るので大好きです! もうすぐ土手に、つくしんぼや蕗の薹が顔を出し始めますよ! この頃やっと自然に方言が出るようになりました。 同郷の方からのアンサー、とっても嬉しかったです! ありがとうございました!!!
- hnahana
- ベストアンサー率12% (111/909)
貴方が親孝行したい気持ちは解りますが、奥様は50代?からの田舎暮らしで しかも雪深い場所なら、誰でも行きたくないです。 若い頃の様な順応性もありませんし、その歳で知らない土地に行っても友人も 出来る可能性は低いですから。 貴方の離婚は冷静さに欠いていたと思います。 離婚しないで、ご夫婦で協力して看れる時に帰省して看病していれば良かったのでは? 母親が1人になったら東京に引き取ればいい訳ですし。 貴方と母親2人で、やって行けますか? 貴方も自分の老後考えませんでしたか? 男は女より先に死ぬ確率高いです。奥様にしたら自分勝手な行動だったと思います。 今からでも遅くないですから、謝ってこれからの事を話し合った方がいいです。 早まって愚かな事したな~と思います。
お礼
ありがとうございます! 妻は、なかなか許してくれそうにありませんね。 私は田舎で一人で死ぬと思います。 元気でポックリが理想ですけど、体がきかなくなったら、早めにグループホームに入ります。 30代の半ばくらいから、毎年元旦に遺言書を書いております。 勿論、今年も書きました。 両親が逝って、後片付けが済んで私がポックリ、そして私の生命保険で妻の老後が安泰というのが理想です。 多くの方々に解答していただき、本当に感謝しております。 ありがとうございました!
- jbeam
- ベストアンサー率41% (85/204)
質問者様の選択が間違えていたとの回答が多いですね。 論理的思考に乏しく、他人の不幸を喜びかつ、その傷に塩を塗ろうとする浅ましい大衆ですので、参考にする必要など有りません。 殆どの回答者は矮小な自分と置き換えて、身勝手な思いを主張するために、金銭的な事や、質問者様の行動を非難しているにすぎません。 過ぎてしまった事を、とやかく言っても始まらないのが、分らない後ろ向き人間達です。 冷静かつ善意の第三者の立場から回答を寄せてくれているのは小数ですね 雪深い田舎道を肩に雪を付けてトボトボ一人で歩く年老いた母親、しかも帰っても会話もままならない寝たきりの夫のいる家に帰る。 そんな様子を想像し、切なくやりきれない思いに成った事は容易に想像できます。 質問者様に会った事の無い私でさえ、質問者様の短い文章から想像できるのですから、長く連れ添った奥さんに分からない訳が無いのです。 今までの経緯を考えれば、両親を見る人が居る時は、家庭を選択していたが、そばに居る人が居なくなったので、仕方なく帰郷するのです。 雪深い田舎に体調を壊し、頼る人も無い奥さんをたった一人残して、ご両親の許に行ったのでは無いのです。 恵まれた環境でしかも、暖かい家族が近くにいる奥さんと、厳しい環境のなか年老いて、体調を壊したご両親と全く条件が違うのです。 質問者様が今の奥さんを選んだ理由は、母子家庭で子供を育てている女性に対する、憐憫が愛情に変わったのだろうと想像できすし、それが質問者様の性癖なのでしょう。 そんな質問者様に自分か両親のどちらかを選べと言うのでしょ。 感情的になったにせよ、質問者様に愛情や思いやりが感じられませんね。 私は、質問者様の性格や考え方からすると、今の選択は当然の帰結と考えます。 まあ、お父さんが逝ったらお母さんと東京に戻り生活をするのがいいでしょう。 離婚届けに奥さんがハンコを押すようでしたら、それはそれでいいのではと思いますよ。 亭主に稼ぎが無くなったら、金をむしり取って離婚する女と大差ないですよ。 ハンコを押してなかったら、話し合ってください。まだましでしょう。
お礼
色々な分析、解析していただいた解答、ありがとうございました! 確かに、社会問題のカテゴリーに「豪雪の僻地に社会支援は必要か?」という質問をしたら 別に、そこに住んでくれと頼んだ訳じゃない。 嫌なら他に引っ越しすれば?自由だし 高齢の非生産者に、これ以上貴重な血税をかけるべきではない。 くらいの書き込みは、十分予測されます。 心ないと思われるものも、たくさん見かけます。 個人を限定されない匿名のコミュニティーですので、それを承知で質問させていただいております。 しかし、悪意があろうと自分の出した質問に対する反応であり、その真意を私が読み取れなかったかも知れませんので、お礼文は感想や私の経緯などを補足して、お礼とさせていただいております。 私は、物事を客観的に見て判断したがっている人間です。 若い時から負けず嫌いで、感情的になりやすかったので、自制しているつもりなのですが、この歳になっても今だになりたがっているだけですね! なかなか明鏡止水の如くとはいきません。ただ、凡人の私が理想を諦めたという訳じゃないのですが、若いときに読んだ池波正太郎作品の中に「人は良い事をしながら悪事も働く」、「相手に悪意があれば、自分も悪になる。相手が善意であれば自分も善意で対応する。自分は相手を映す鏡のような者である。」といったような内容のものがありました。 それらが、最近少し理解出来て来たような気がします。 私は客観的に考えることは否定致しませんが、人間の感情や情愛は客観性だけで割り切れるものではないと考えています。 情と情のぶつかり合いは、愛や憎を生み出し易く、言葉に出さなくとも伝わる愛や思いやりもあれば、言葉に出さなければ伝わらない愛と思いやりもあると考えます。 客観的にこうあるべきが先行し過ぎ、情と情のぶつかり合いのないのが、今の学校教育とも感じております。 最後に、私が妻を愛したのは憐憫の情から始まったのかは覚えておりませんが、そういう感情がなかったとは言いませんけど、当時恋愛対象にしていた女性達とは、会話も続かずただ着飾って綺麗なだけ(女性を見る目がなかったのでしょう)で、妻は質素な身なりで控え目でしたが、話題や価値観が一致しておりました。家族で外食しても注文すること無く、私が子供たちに好きに注文させた料理の食べ残しを食べていました。それを見て、良い嫁貰ったと喜んでおりました。 ご解答感謝致します!
- kenichiken1
- ベストアンサー率7% (1/13)
正直、どちらをとるのが正解という問題ではないですよね。 難しいご決断だったと思います。 個人的に思ったのは、奥さまに対して、行くか別れるかではなく、 ご両親が生きているうちだけでも単身赴任のつもりで行かせてほしい といった話しにできなかったのでしょうか。 現在、奥さまが離婚届けを提出せずにおられるのかどうかはわかりませんが、 何年後になるかわからないが、しばらく自分のわがままを許してほしいと、 伝えてみるのもいいのかもしれないと思いました。 奥さまやお子様、お孫様も、夏休みなどに田舎に遊びに行ける口実にしたりと、 前向きに捉えられるとよいのですが。 (私が脳天気過ぎるのかもしれませんが)
お礼
ご解答ありがとうございました! 母から連絡があり父を見た時、この夏越せないと思いました。 父は膝の痛みと床擦れの傷が悪化し、食べる気力生きる気力を無くしていました。 緊急入院した後、少しずつ回復致しましたが、父のそのような姿は二度と見たくないし、私自身がそうさせないようにしなければならないと思いました。 母と二人きりにさせると、母の力では寝返りをうたせる事も叶わない為、また同じ状態に成り兼ねず私は焦っていました。 結果、短絡的だったと反省しておりますが、離婚届けを妻に渡してしまいました。 妻から返事は来ませんが、近況報告みたいなメールは送っております。 今年の10月に次男の初めての子供が生まれる予定です。 生まれたら上京し、孫の顔を見に行く予定です。 恐らくかなりの確率で、妻と顔を合わせると思われますので、その時に和解出来ないものかと密かに願っております。 ご心配いただきまして、ありがとうございました! 田舎で粛々と、そして、生き生きと頑張って暮らします! ありがとうございました!
あなたが故郷に戻られた理由には、このような事情があったのですね。 そしてこれが、以前からあなたが質問したかった事なのだと受け止めております。 >私の決断は、間違いだったのでしょうか? 人間は、常に正解だけを選んで行ける程、強い訳ではありませんし、今ある覚悟を未来に渡っても貫いて行ける程、正しい訳でもありません。 自分の望んだ通りの人生を歩めていない事。 大切だった奥さんの意志を尊重し、最後まで支える事が出来なかった事。 理想と現実が異なる事。 自分は一人だと、孤独を感じる時間が増えた事。 自分自身が選んだ事なのに、それが本当に正解だったのか間違いだったのか分からなくなるには、十分過ぎるほどの理由ですね。 ただ、忘れてはいけないのは、人生は「選んだだけ」で答えが出るほど、甘いものでは無いと言う事です。 選んだ後の道を、正解にして行くよう努力し続けなければ、例え過去にどんな選択をしたとしても、正しい答えにはならないのではないでしょうか。 自分は、それが本当の意味での「覚悟」と言うものだと思っております。 >親と妻、どちらを選びますか? 「両方を天秤にかけた時点」で、あなたに取っては「どちらもそれだけ大切な事だった」のでしょう? ならば、どちらかを選んだ事は、それ程重要な事ではありません。 どうしても大切なものがある。 どうしても守りたいものがある。 どうしても譲れないものがある。 時として、それが自分の首を絞めたり、足枷になる事があろうとも、基本的に、それはとても幸せな事なのだと思います。 奥さんも、本当はあなたと同じ気持ちなのではないでしょうか。 あなた達夫婦に足りていなかった事は、お互いのそれを認める事が出来なかった事ではないですかね? 妻より親を取ったから旦那失格。 旦那より今の生活を取ったから妻失格。 そんな単純な答えを簡単に出せるような生活を、あなた達夫婦は今まで送って来た訳では無いのでしょう? だったら、もっとその事に胸を張って下さい。 離婚と言う選択は、その当時にはケジメとして必要な出来事だったのかも知れませんが、今がこうだからと言って、過去の事実まで否定する必要はどこにも無いのですよ。 不思議なものですね。 相手を尊重したいと思えば、自分が尊重されないのではないかと不安になるし、相手を理解したいと思えば、今度は自分が理解してもらえないのではないかと心配になる。 別に、そんな決まりなどどこにも無いのに、それが原因で、お互いの気持ちが見えなくなる事の方が多いのです。 相手を尊重する事も、相手の為に尽くす事も、基本的には全部、自分の心の為なんですよ。 だからこそ、今のあなたに出来る、全ての事をやりましょう。 奥さんに連絡を取って見るも良し。 あの時はすまなかったと謝って見るも良し。 受け入れられるか拒否られるか、まぁ結果は大した事ではなかったりするものです。 きっと奥さんも、自分の気持ちをあなたに理解してもらえなかった事の気まずさ、冷たい人間だと誤解されているのではないかと言う猜疑心、あなたを理解出来なかった事への罪悪感、きっと、色々な事を抱えているのではないでしょうか。 あなたは性根の良い、立派な人間です。 そんなあなたが選んだ女性であれば、きっと奥さんも素晴らしい方なのだろうと思います。 どうか、「今」積み上げている時間を大切に、「今まで」積み上げて来た時間を誇りに、「未来」と言う今の時間を正しかった答えにして行けるよう、頑張って下さい。
お礼
ありがとうございます! はいっ!あなた様の解答を首を長くして待っておりました! そして、今までのカテ解答同様に素晴らしい解答をいただき、本当に感謝しております! 私は人生において、本当にどうしようもなく二者択一の選択をしなければならなくなった時、自分に取って嫌な方、損をするだろう方を選択して参りました。 そして、それらを乗り越えられた事が、自分を向上させて来たと信じております。 妻と結婚を決めた時も、何も3人の子連れのバツイチの女性よりも、もっと若くて自分の子供をバンバン産んでくれる若くてピチピチした女性が良いと、両親を初め上司や同僚に反対されました。しかし、自分を犠牲にして懸命に子育てしている妻を守れるのは自分しかいない、彼女となら幸福な家庭を築く事が出来る、彼女となら苦労しても良いと確信しました。 船乗りの父を持つ私は、普通の家庭の父親を知らず、妻のおかげで幼少期より憧れていた両親がいつも家にいる家庭を作る事が出来ました。 妻と離れてしまいましたので、カミングアウトしますが、度量の狭い私は子供を平等に愛せるか? 自信が持てませんでしたので、こっそりパイプカットの手術をしてから結婚致しました。子供は神様からの授かりものと言っていた妻は、特別私の子供を欲しがる訳でもなく、俺は種なし西瓜なんだね?の言葉を笑い飛ばしていました。 社会人になって、一番楽しい幸福な時間でした。どんなに苦しい仕事でも、どんなに睡眠不足でも、子供たちと妻の笑顔を見れば耐えられました。 妻からの愛情は、なくしてしまったかも知れませんけど、私には妻と二人で育てた子供たちとかわいい孫がおります。 だから、この先も生きていけます! 父と母の笑顔を見る事が出来ます。 この先も、私のモットーである「ありがとう」の心で、この場所で一生懸命咲きたいと、あなた様の解答を拝読させていただき、その思いを強くさせていただきました! 本当にありがとうございました! 山形や秋田が、一時期豪雪災害に見舞われ、あなた様のご苦労を心配しておりました。 また、北海道で娘さんを守って、凍死されたお父さんがいました。 残された娘さんと、お父さんがどんなに無念だっただろうかと涙が出ます。 歳ですかね? これからも、宜しくお願い申しあげます。 ありがとうございました! 故郷にkaeruzoより
お礼
多くの方々にアドバイスしていただき、心より感謝致しております。 ありがとうございました! ちょっとお恥ずかしい話しですが、私と妻は子供たちに、いつまで経ってもラブラブだねって、言われておりました。 私の父が、割りと厳格な教育だったせいなのか、血縁のない子供たちを自分の本当の子供にしたかったので、私は日常的に妻や子供たちとのスキンシップを、意識的にして参りました。 途中からは、私を含め家族全員で、無意識にじゃれあうように冗談っぽく、スキンシップを続けて参りました。 子供たちの思春期のころは、多少嫌がられた時がありましたが、ほっぺにチュ~1ポイントゲット!おでこにチュ!同点~!という感じで、娘が嫁に行ってからも続いていました。 妻とは、妻として以前に人間的に私と価値観が似ているところが多く、物を大事にしない子供たちに、お金があるから物が買えるのではないのよ。物を作ってくれる人がいるから、お金で買うことが出来るのよ。だから、お金も大事だけど、物を作ってくれた人に感謝して大事に使わなければいけません。と話して聞かせていた時も、私が子供たちに話して聞かせようと思っていた事だったので、内心驚きました。 また、二人とも本が好きで、好みの作家が一緒でした。 私は、山本周ご郎氏の「さぶ」を、妻は三浦綾子氏の「塩狩峠」を、それぞれ選び子供たちが高校生の時に読ませて、みんなで感想を話し合ったりしておりました。 妻と私は、お互いを人間として尊敬しあっておりましたし、女と男として愛しあっておりました。そして、夫婦として信じあっておりました。 と、私は100%信じ思いこんでおり、その自信もありました。 小さないさかいはありましたが、これ程話し合った事はありませんでした。 思い返すと、私自身は冷静に話し合いをしたつもりなのですが、私には少なからずショックな結果になり、感情的になってしまいました。 サッカーの沢穂誉さんのように、苦しい時は私の背中を見てついて来なさいと、家族を引っ張り走り続けて来たつもりの私でしたが、思い上がっていたのでしょうね。 皆様のおかげで、私が意地を捨て、例え一緒に住めなくとも、妻に自分の気持ちを伝えたいと考えております。 ありがとうございました!