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合唱曲「落葉松」は前向きな意味がありますか?
先日行われた娘の高校の卒業式のことですが、卒業生退場のときに 合唱部が歌ったのが「落葉松」でした。 「落葉松」は美しい合唱曲なので私もとても好きな曲なのですが、 歌詞としてはセンチメンタルな内容と思えますので卒業生を送り出す はなむけの曲としてどうしてこの曲を選んだのかがすっきりしません。 落葉松 作詞 野上彰 落葉松の 秋の雨に 私の手がぬれる 落葉松の 夜の雨に 私の心がぬれる 落葉松の 夜の雨に 私の心がぬれる 落葉松の ひのある雨に 私の思い出がぬれる 落葉松の 小鳥の雨に 私の乾いた目がぬれる 私の乾いた目がぬれる 目がぬれる 落葉松の 秋の雨に 私の手がぬれる 落葉松の 夜の雨に 私の心がぬれる 落葉松の ひのある雨に 私の思い出がぬれる 落葉松の 小鳥の雨に 私の乾いた目がぬれる 私の乾いた目がぬれる 目がぬれる 落葉松の 秋の雨に 私の手がぬれる 落葉松の 夜の雨に 私の心がぬれる このような歌詞です。 もちろん音楽部の先生にお聞きするのが手っ取り早いのですが、 学校にわざわざ問い合わせをするわけにもいきません。 私のイメージが悪いだけで、本当は前向きな意味合いがあるのか、 ご存知の方がいらっしゃれば教えてください。
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- rikusso
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再度失礼します。no.1です。検索済みでしたか! ・・・私も質問者さんと同じ意見ですね。卒業のはなむけの曲としては少しふさわしくないですよね。雨だとかぬれるだとか、後ろ髪ひかれるような旅立ちですね~ おそらく、「この曲なら仕上がりが良い」とか「メロディーが良くて感動を呼びそうだ」とか、そんな簡単な理由で選んだのではないでしょうか。 途中のピアノソロあたりから「これでもか!」と言わんばかりにもりあがっていきますから。きっと観客(卒業生など?)を感動させようとしたかったんだと思います。 野上彰さんは自身が大好きな軽井沢でこの詩を書いたそうですね。 その詩に感動して作曲した小林秀雄さんは「曲は高原の霧雨からやってくる。やがて激しく心を揺さぶり再び高原の秋の雲霧の彼方へと去ってゆく」とコメントしています。 どちらも景色や情景を思って作ったようで、何かの意味のある心情を込めて作ったのではないと思われます。 ・・・やっぱり卒業生を送る歌ではないですね。 合唱部なら、もっと言葉の意味を考えてふさわしい選曲をしてほしいと、願って止みません。
- rikusso
- ベストアンサー率23% (21/91)
とてもきれいな曲ですよね。私も好きです。 「合唱曲落葉松の歌詞の意味が知りたい」という過去質問があります。 検索してみてください。
補足
rikissoさん 早速のコメント、ありがとうございます。 「歌詞の意味が知りたい」は検索済みです。 >全体の意味としては、 >「手が冷たい雨にぬれ、寂しい気持ちになり、忘れていた悲しい思い出がよみがえり、涙が出てくる。気がつけば、冷たい雨に身も心も濡れて涙が出ていた。」 >こういう状況・気持ちの変化を、から松林に降る色々な雨にイメージとして乗せたものです。(以下省略) このような解釈を読み、漠然と抱いていたセンチメンタルなイメージがますます強くなってしまいました。 曲の美しさにあたたかな涙のイメージもあるのですが、卒業生を送り出す曲としてはいかがなものか、とちょっとスッキリしないところです。 合唱部の生徒さんが、先輩と別れる寂しさを託したものかとも思われるのですが・・・。
お礼
rikussoさん 再度のコメントありがとうございます。 私と同じ考えの方がいらっしゃって安心?いたしました。 やはりそうですよね。 あれ以来他のお母様方とも会う機会がないので、「なんで?」と疑問を語り合う人もなくモヤモヤしていました。 娘に聞いたところ、1年生で卒業式に参列した時にもこの曲だったということで、いつの頃からか退場の時にはこの「落葉松」が歌われているようです。 なので、当人たちには違和感は無いようです。 私も同じ高校を卒業しているのですが、その頃は「ともしびを高くかかげて」という曲で送り出されていました。 (この曲は入学式の時の新入生退場の際に歌われて、それはそれで感激したのですが) ありがとうございました。 この質問にはこれ以上のご回答はいただけないかもしれませんが、今しばらく他のご意見もお聞きしたいと思いますので「ベストアンサー」の評価は少し先にさせていただきたいと思います。 (初めての質問で、このあたりの進め方が未だよくはわからないのですが、すみません)