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覚醒剤(ヒロポン中毒)について
とても無知な、素朴な質問ですが、この間、覚醒剤中毒の歴史に関した本を読んでいたら、戦時中に“覚醒剤は兵隊や工員に給与されていた”と書いてあり、“日本ではそれが(ヒロポン)大量に市中に出回り、いわゆる「ヒロポン中毒者」を数多く生んだ”と書いてありました。別の本は“敗戦後、軍関係からの放出を契機に、、”と書いてあります。しかし、それ以上は書いてないのです。 どういう理由で、そんな危険な薬が大量に放出されたのですか?そして、どういうルートで販売されたのですか?誰の考えによってですか?何の目的で? もし、知っている人がおられたら、教えてください。
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「ヒロポン」は商品名で、昭和十六(1941)年に大日本製薬から発売されたそうです。 当時は健康人であれば「疲労回復」「眠気予防」等の効果があると考えられていたそうです。勿論、副作用に関しても認識されていたようですが、それよりも「効果」の方が大きいと判断されていたみたいです。 そのあたりの「認識」の変化に関するレポートを見つけました。 http://www.let.kumamoto-u.ac.jp/satoa/subject/on_medical_philopon.html
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- koa-fuka
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「ヒロポン」ですかぁ~。いわゆる覚醒剤ですね。 う~ん。以前、何かのドラマでスマップの中居君が飲んで、昼夜を問わず勉強をしていた様なのがあったと思います。 「ヒロポン」はギリシャ語で「仕事好き」の意味で、メタンフェタミンの事です。 大脳に非常に強く作用して、良く言うと、集中力や活動意欲を高める効果があります。悪く言うと、自律神経に異常をきたして、動悸・呼吸が激しくなり、循環器に異常をきたして、死んじゃいます。 先の戦中、使用されたのは、恐らく前者の効用を狙って、兵士に戦闘意欲保持させる為であると思います。 また、戦後流出したのは、戦後の混沌とした世の中に、やる気をなくしたあふれ返る帰還兵に、やる気を出させ、維持させる目的であったのではないかと思います。 でも、常用していると、耐性ができてしまい、相当量を摂取しても平気になってしまいます。 ちなみに「ヒロポン」の名前自体、商品名であり、戦後直後には、民間に出回っていたそうです。
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もとは軍が管理してくたヒロポンがどうして大量にヤミに流出されたのか、まだちょっと解らなくて。これは、個人が自分の利益のために保管してあった倉庫などから盗んで売ったのでしょうか?それとも、医療のルートで、必要に応じて医者が患者に与えたからなのでしょうか?ヤミで民間にでまわるということは、犯罪ルート、しかも大量ならば、割合組織的のようにさえ思えるのですが、、、。 一応この質問は絞めきらせていただきます。 どうもありがとうございました。
- onamomi
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まず、なぜ戦時中に兵隊や工員に給与されていたかですが、 これは彼らに不休で使役させる為ですね。 で、戦後なぜ大量に流出したのかといえば、単にそれだけの需要があったからってことでしょう。 何も軍や政府が明確な目的を持って正式に放出したわけではありません。 ほとんどがいわゆるヤミ。つまり「流出」です。 戦後の混乱の中で犯罪の急増とともに薬物の乱用も激増したようですね。 ちなみに覚せい剤取締法が制定されたのは1951年のことです。 もっとも戦前は「気分爽快、疲労、眠気の防止に」とかいって普通に薬屋で買えたらしいです。 湯たんぽや歯磨きと並んで新聞広告も出ていたそうです。 「ヒロポン」てのはそのときの商品名ですね。
お礼
丁寧なご回答ありがとうございました。はじめは良い薬を思われ、販売されて、後にいろいろな害が判明した薬は多くあるので解るのですが、 もとは軍が管理してくたヒロポンがどうして大量にヤミに流出されたのか、ちょっと解らなくて。これは、個人が自分の利益のために保管してあった倉庫などから盗んで売ったのでしょうか?それとも、医療のルートで、必要に応じて医者が患者に与えたからなのでしょうか?ヤミで民間にでまわるということは、犯罪ルート、しかも大量ならば、割合組織的のように思えるのですが、、、。
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丁寧なご回答ありがとうございました。はじめは良い薬を思われて販売されて、後にいろいろな害が判明した薬は多くあるので解るのですが、 もとは軍が管理してくたヒロポンがどうして大量に“ヤミ”に流出されたのか、ちょっと解らなくて。 研究学文面白かったです。どうも有り難う御座いました.