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亡くなった友人への劣等感を克服出来ません。

こんにちは。 目に留めて頂いてありがとうございます。 長文ですが読んで頂けたら嬉しいです。 現在27歳の女性です。 友人(仮にA)が、昨年の夏に自殺で亡くなりました。 私は、Aとライバルでした。 いえ、正確には、私が一方的にライバルと思っていただけで Aは私の事など気にも留めていなかったかもしれません。 Aが亡くなった事で、私はAを追い越す事も競う事も、 一生出来なくなってしまい、辛いのです。 Aとは、服飾の専門学校で知り合い 服の趣味が同じという事でとても親しい友達になりました。 Aは鬱を持っていて、恋愛で落ち込むと酷い状態になってました。 私はその度、全力で励まし「私が傷を癒してあげたい!」と 恋愛感情の様なものすら持っていました。 私達はお互い服作りが好きで いつしか、友達でありライバルのような関係になっていました。 学生時代からAは、自分の好きな物に対してプライドもこだわりも強く、 しかし技術は確かに高く、そして勉強熱心でした。 あまり着数は作らないものの、たまに作るものは凄かったと思います。 そんなAに対して尊敬の想いも持ちつつも 質より量。という感じで、私はAより沢山の服を作っていました。 が、大雑把であまりこだわりの無い自分に劣等感も感じていて でも一方で「いやいや、私だって負けてないはず。数をこなす事も大事。」と 劣等感を打ち消そうと必死な気持ちも持ってました。 そんな中、Aが「私、ライバルっておらんかってん。だから、yuchi0306ちゃん、ずっと私のライバルでいてな。」と言ってくれ、とても嬉しかったのを覚えています。 (ただ、私へのダメ出しは多く、しかも的を得ているので、ライバルである自信を失う事は多かったです) とにかく、Aに対しては、劣等感と尊敬と愛情と…色々な感情を持ってました。 学校を卒業し、お互い社会人になり 私は、仕事をする傍ら、オーダーメイドで色んな人の為に服を作る副業を始めました。 ある日、私の友人(仮にB)とBの友人達からオーダーが入ったので服を作らせてもらいました。 すると、仕上がりに対してBの友人の1人が「このクオリティでこの価格はあり得ない。」と怒っていたそうです。(大分後になってBから聞きました) その事を知った時とてもショックで 「Aならこんな事言われなかっただろうな。Aなら凄いものを作ったんだろうな…」と 落ち込みました。 そしてその後、Bは私には頼まなくなりました。 後にBのブログで知ったのですが、BはAに連絡を取り ちょくちょく服作りを頼んでいました。 (BとAは私を通じて知り合いになり、以前メアド交換をしていたようです。) 私は「やっぱりAなら凄いのを作るんだ…」と自信を完全に喪失してAへの劣等感はかなり強いものになってしまいました。 そしてその後、私とAはとある事でもめ、溝が出来、絶交をしてしまいました。 話し合いの末の絶交で「また10年くらいしたらお互い普通に接することが出来るやろう。またその日まで。」と言われ握手をして別れました。 それから3年程して、Aは亡くなってしまいました。 絶交状態でしたので、すぐに知る事は出来ず 共通の友人からの知らせで亡くなった1週間後くらいに知りました。 私は、絶交中も、なんとなく気になってAのブログを見に行ったりしていました。 そして「10年後、又遊びたいな。仲直りがしたいな。」と密かに思っていました。 Aがしてたように、どんな事でも真面目に勉強しよう。 そうすると劣等感と、失った自信を、克服出来るはず。と思い、服飾について色々勉強しました。 そして、オーダーメイドの服作りの副業も好評を頂けるようになって来ました。 でもAはもういないのです。 私の中で、Aは絶対に超えられないし、同じラインに立つ事も出来ない人になってしまいました。 「Bに選ばれたA」 「勉強熱心でカリスマ的だったA」 「的を得たダメ出しをしてきた、優秀なA」 そんな事ばかり考えてしまい、日常生活で事ある毎に無意識に比べてしまいます。 「Aなら出来るんだろうな…」と。 長くなってしまいましたが、こういう思いはどうやったら克服出来るのでしょうか? Aの事は尊敬し続けたいです。そして自分を卑下するのをやめたいのです。 長くなってしまいすみません。 どうか、アドバイスをお願いします。

みんなの回答

回答No.3

初めまして。 良きライバルとして、友人として質問者さんの心の中にいた、 ご友人に心よりご冥福申し上げます。 自分の好きなこと、仕事で一生のライバルに出会えるなんて、 とても素敵だなと思いました。ライバルと友人って簡単には相容れないような関係で。 だからこそ一時的に絶交という形にもなったんでしょうが。 でも、質問者さんにとって友人として、ライバルとして心の中に彼女がいる限り、 彼女は素晴らしい存在で在り続けるんじゃないですか。 ことあるごとに、出てくるAさんがいることで質問者は辛いですか。? 本当に辛いなら服飾を一度止めるがいいのかもしれないですね。 Aさんがいたからこそやってきた副業ですもんね。 関わっていると意識に反して出てくるのではないかと思います。 ただ、今の状況はほんとうにダメなんですか? 比較することが来ないライバル、そして大切な友人。。 人生で自分のモチベーションとなる人は簡単に見つかるものではないと思うんです。 ゴールのない事に全力で向かう、走り抜ける人生もそれはそれでありではないでしょうか。 『Aならこうしたかも』『Aならこんなものを創ったかも』。。 それを、質問者さんが代わりに実現していくのはどうでしょう。 Aさんに負けないものをと言うのはそういうことではないですか。 なんとなくですが今の質問者さんにはできるんじゃないかと僕は感じました。 Aさんを超えることができたか、できなかったかは質問者が自身の人生を全うされた時に、 聞いてはどうですか。それまで見えない目標を追ってはどうでしょう。 絶対にスゴイね超えたねって言ってもらうために。 Aさんは嬉しいでしょうね。亡き後も、必死に自分の意思を探り、 それを実現してくれる人が現実の世界にいるんですから。 自分を卑下せず、Aさんのしたかったけど、できなかったその想いを、 実現して欲しいと思いました。 ただ、ほんとうに辛いときは服飾やめて欲しいとおもいます。。 一番は自分が幸せとか楽しいと思えることですもんね。 少しでも参考になれば幸いです。

  • blazin
  • ベストアンサー率50% (20252/40150)
回答No.2

克服というマイナス方向の意識は要らないんじゃないの? 仮に劣等感であっても、 そういう形であっても、 今の貴方の中にそういう感覚が「活きて」いるなら。 それって同時に彼女という存在感が、 まだ貴方の中に「生きて」いる証なんだよ。 もっと言えば、 彼女が短い間でも「生きた」証なんだよ。 むしろオフにしてしまったら、 彼女の存在感自体が風化してしまう。 自分でこれまでの事を書き出してみて分かると思うけれど、 彼女の存在感って、 貴方にとって今後の人生の中でも、 おそらく5本の指に入る位の「特別」な人なんだよ。 本当に色々な感情が混ざった存在。 だからこそ、 今でも「活きた」感情で彼女の存在感に向き合えている。 一言で言えば、 それだけ「大切」な存在だったんだよ。 ただ、 色々な感情があり過ぎて、 彼女の存命中にその色々な感情を「整える」事が出来なかった貴方。 いつかそうしたいし、そう出来る事は望んでいた。 でも、 それって当たり前だけれど、 彼女が「存命」であってこそ。 貴方の長い目線でのプランニングだったり、 彼女との距離感も一つのモチベーションにして、 自分自身を高めて、自分自身を練磨して、 いつか良い距離感での再合流を図りたい希望だったり。 色々な思いを籠めていた存在が、 その存在ごと消えてしまった事への喪失感。 頭の中で出来る整理と、 感情の中で出来る整理が上手く嚙み合わないんだよ。 対象が居なくなってしまった事で、 貴方は、 自分の中に「ある」彼女の存在感を材料にして、 自分の思いとも向き合わざるを得なくなった。 貴方と同じ状況でも、 彼女が亡くなってしまわれた事を機に、 「活きた」感情を注ぐ事を止めてしまう人もいる。 プラスにも、マイナスにも。 自分の中で「活き活き」した部分が出ていかなくなってしまう。 でも、 貴方には今も「活きた」感情が動いている。 確かに行き場のない思いも含まれてはいるよ? でも、 そこには彼女という存在に出会えた事への感謝もあり、 尊重も含まれている。 ただ、 含まなくても良い部分も一緒に含まれてしまっている。 それが自分「卑下」の部分。 比べても良いけれど、 比べる事=上下を「決める」事では無いんだよ。 本来比べようのない部分で、 貴方は彼女を意識してきたんだから。 貴方は既に、 貴方という「個」を大事にし始めているじゃない? もう比べているステージは卒業しているんだよ。 でも、 彼女自身の存在の卒業(死)が突然だったから、 貴方の中の比較級や自分卑下の卒業のタイミングが創れずに、 今も名残りの中でもがいてしまう事が「ある」という事。 でも、 それはそれで良いじゃない? それ自体が彼女が「生きた」証で、 貴方の中に存在として「活きている」証。 必ず折り合っていけるもの。 改めて深呼吸。 貴方は呼吸が「出来る」んだから。 貴方は貴方のペースで、 良いなと思える自分自身を大切にしていけばいい、という事。 自分をもっともっと大切にね☆

  • nagaineko
  • ベストアンサー率28% (563/1990)
回答No.1

あなたは、プライドが高く、負けず嫌いなのですね。 Aをライバル視し、まけてたまるか!と思ったものの、 Aは優れており、あなたは、鼻っ柱を折られたんですね。 それが、あなたの劣等感になった・・・。 今でも、あなたは、Aの背中を追っかけている。 自分も、Aのようになりたい、と。 ここで勘違いしてはいけないことは、 あなたが目指すものは、Aのように 輝くことであって、決して、Aになることでは ないということです。 Aはバラ、あなたはユリだとしましょう。 バラと、ゆり、どちらがいいとか、悪いとか、優劣なんて あるんでしょうか? ないですよね。 どちらも、素敵です。 >そしてその後、Bは私には頼まなくなりました。 なぜでしょうか? Aはバラで、あなたがユリだからでしょうか? あなたがバラじゃないから? 違うと思います。 Aのバラは、大きくきれいに花開いていたからです。 あなたのユリは、大きく花が開いていなかったからです。 と言うことは、ユリであるあなたが、いくら、バラになりたいと言っても、 それは叶わないことなのです。 むしろ、バラになんて、なる必要がないのです。 あなたは、あなたで、素敵なユリのつぼみだからです。 あなたが、やらなくてはならないことは、バラになることじゃない。 自分のつぼみを、大きく膨らませ、大きな花を 咲かせることではないでしょうか? ユリが、バラに劣等感を感じる必要なんてないんです。 バラも素晴らしいし、 ユリも、素晴らしい。 あなたは、ユリの花を咲かせればいいんですよ。 そのためにがんばればよいのです。 >日常生活で事ある毎に無意識に比べてしまいます。 比べる必要なんてないんですよ。 あなたの戦う相手は、Aではなく、自分自身なのです。 あなたは、あなたなりに、大きな花を咲かせてください。(笑)