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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:人生が終わりに近づくにつれて楽になるものでしょうか)

人生が終わりに近づくにつれて楽になる?

このQ&Aのポイント
  • 人生が終わりに近づくにつれて、(何も成し遂げていなくとも)気持ちは楽になるものなのでしょうか。
  • 10代の頃に描いた青写真が叶わず、20代の頃は焦りを感じていたが、30代半ばの現在ではそれほど気にならなくなった。
  • 20代の自分の行動を振り返ると愚かだったと気づき、成長を感じている。無用なこだわりが取れていく感じ。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.6

ご質問者様こんばんは。 ご質問者様の気持ちの変化は、社会や世間といった実体のない影からのプレッシャーからの解放されたことに起因するものかもしれません。~歳までに何々をしなければならないという思い込みからの解放です。 ご質問者様は「諦め」とおっしゃいましたが、ご自身の意図せぬ力が入って硬くなって緊張していた身体や精神が、肩の力が抜けたように無駄な力が抜けて、穏やかに、健やかに、素直に身体や精神が柔らかくなったのではないでしょうか。時間と共に人間として成熟されたのだと思います。 ご質問の人生が終わりに近づくにつれ気持ちが楽になるのか?ということを考えてみると、「どんな気持ちでこの世界を見るのか?」の一点に問題は集約されてしまうような気がします。ある出来事に対して、「暗く」「否定的に」「非生産的に」対応すれば、この世界は何とも辛く、苦しく、つまらない経験になりますが、「明るく」「肯定的に」「生産的に」その出来事に対応することが出来れば、学びがあり、喜びがあり、感謝の気持ちを持つことが出来る経験になるのではないでしょうか? 「諦め」ということの真髄は、「自分」を諦めることにあります。 自我や自分、己というのは人間を一人にするものです。他と分けて孤独感を高めるものですね。自分本位の考え方や生き方は、自分勝手であり、わがままであり、貰うことだけにこだわる生き方です。人間はいつかはそうは生きられない日が必ず来ると僕は信じています。そうでなければ自分で自分の首をいつまでも締め続けなければならないですからね。 自我や自分や己を諦めることは、相手本位に物事を考えることのはじまりです。相手の喜びに不思議と自分の心が感動したり、相手の悲しみを自分のことのように悲しんだりする経験を重ねると、相手との一体感を感じることが出来るようになります。人間の人生そのものはそうした経験の中にしかなく、本当の意味で人間が生きている時間なのだと思います。 僕もご質問者様と同年代の人間として、もう今まで生きて来た以上の時間は残されていないと感じることはあります。あっという間の歳月で本当に寂しいことです。でも、若い頃よりも生きることがもっと不思議で輝いて感じることがあります。生きる限り人間は変化して行きます。ときには自分の想像を超えるような変化が人生には起こるものです。それを拒まず、愛を持って受け入れることで、それらの出来事は驚きや感動となって、人生を豊かにするのではないかと思います(^-^) ご参考になれたら幸いです。

lovekeita
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 確かに私は過去、とんでもなく身勝手だったと、日々痛感しています。 >自我や自分や己を諦めることは、相手本位に物事を考えることのはじまりです。 >人間の人生そのものはそうした経験の中にしかなく、本当の意味で人間が生きている時間なのだと思います。 とても感銘を受けました。 >もう今まで生きて来た以上の時間は残されていないと感じることはあります。 同感です。しかし、終わりが見えてきたゆえの余裕がでてきたようにも思います。 何一つ思うままにならない人生でしたが、それゆえに学べたことがあるということに意義を見いだせたら、と思っています。

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その他の回答 (11)

noname#174726
noname#174726
回答No.1

人間は必ず死にます。

lovekeita
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 参考とさせて頂きます。

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