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中学校の先生が忘れられません
- 中学校の先生に恋をした高校生の悩みとは?
- なぜ中学校の先生が忘れられないのか
- 先生との関係を保つために考えるべきことは?
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困らないと思う。 ただ、 伝える事が貴方にとっての「変化」を求めた動きなら。 それは難しい、という事。 何故なら先生は、 貴方に対する変化って求めて「いない」から。 昔も今も。 貴方は貴方。 個性ある貴方。 大事な教え子の「一人」。 貴方に限らず、 今関わってい「る」、過去に関わってい「た」、 どの生徒や人間関係に対しても、 先生は自分から変化を求めて「いない」んだよ。 自然に生まれる変化はありだよ? 例えば、 進行形での関わりが無くなったとしても、 卒業生として、OBとしての関わり方だってある。 当時とはまた違う目線で、 違う感覚でコミュニケーション出来る新鮮さ。 単なる懐メロにならないで、 「今」の貴方を感じながら、 「今」の自分として対応出来る優しさもあるのがその先生。 でもそれって、 決して自分「から」求めに行こうとしている姿勢では無いんだよね? 先生が「一貫」しているのは、 自分の「出来る範囲」を大事にしている、という事。 言い換えれば、 出来ない範囲は出来ない範囲として同じように大事にしている。 先生は安易に公私を混同していない。 優しくて、貴方寄りの目線はプロデュースしてくれても。 それでも先生は、 「公」としての柔らかさの「中」で対応しているんだよね? 公の先生も私的に優しい雰囲気がある。 貴方も実は分かっている。 貴方は公では無くて「私」でしょ? 「公」の先生に対して、 貴方はいつの間にか「私的」な感情を抱くようになっていた。 卒業の際に告白した貴方のメッセージは、 私は先生との公の接点も、 「私的」に受け止めて、そして「私的」に育んでいましたよ、と。 そういう伝わり方なんだよ。 それに対して、 先生は丁寧に「出来る範囲」の受け止め方をしてくれた。 貴方に感謝されている事。 貴方が好きという気持ちを勇気を出して伝えてくれた事。 それ自体は受け取っている。 でも、 受け止める事=「出来る範囲」であって。 先生は自分「から」貴方に何かを返したり、 貴方の思いに「応えて」何かをしようという気持ちは無い。 それでも良い訳でしょ? 受け止めて貰えた事だけでも、 貴方は先生に「大人」扱いされたんだよ。 受け止め「ない」選択だって出来たんだよ? もっとメリハリ意識がハッキリした先生なら、 貴方にはハッキリと受け止め「ない」意思表示をするんだよ。 気持ちは嬉しいけれど、 君の思いは受け止められない。 君はまだ若い。 受け止める相手あってこそ活きた思いだ。 受け止める相手が心地良く感じてこそ活きた思いだ。 僕に伝えてくれたその思いは、 相手「と」心地良く育み合っていける関係性の中で、 相手「と」一緒に分かち合いなさい。 そういう時間や機会が始まるのが、 君のこれからの高校生活なんだからね? そう伝えても良かったんだよ。 でも、 そう伝えてしまうと、 貴方には事実上「失恋」になってしまう。 何だかんだ言っても、 先生に拒まれて、諭されて、成長を促された。 分かってはいても、 貴方は先生に振られたような気持ちで進学してしまう。 だからこそ、 先生は貴方の立場も汲み取って、 「丁寧な返事」を返してくれたんだよ。 貴方もそれを分かっている。 分かってはいるんだけれど・・・ 貴方の中に「少しだけ」都合の良い解釈がある。 それは、 丁寧な返事をしてくれた=拒まれなかった、突き放されなかった。 「出来る範囲」ではあっても、 受け止めて貰えたんだという感覚に「近い」意識があるんだよ。 だからこそ、 貴方はその意識の延長上を感じたくて、 母校に度々遊びに行っているんだよね? 告白を挟んでもグラグラしなかった事、 告白を挟んでも変わらない丁寧な対応がある事。 それが貴方には、 段々「淡い可能性」にさえ思えてくるんだよ。 今の貴方だよね? 好きで好きで堪らない貴方。 でも、 先生は「堪らない」ほどの思いって誰に対しても欲しくない。 受け止める相手があってこそでしょ? 貴方の「堪らない」思いって、 受け止める相手の心地良さなんて関係ありませ~んと。 私「が」とにかく好きで堪らないんです。 私「が」コンフォータブルになりたくて溜まらないんです。 そういう思い方になっているんだよ? それってやっぱり子供っぽい。 それも、 貴方は自分の子供っぽさを発揮出来る「根拠」を感じている。 根拠とは、 私の事を今でも先生が「構って」くれる事。 告白をしても、 関係が拗れずに今の今にまで至っている事。 貴方はそれが、 私の思いが先生に植え込まれていて、 その思いが伝わっている「上」で、 今の私に向き合ってくれているんだ。 貴方はそう思い「たい」いんだよね? だからこそ、 堪らないと感じるような偏った思い方が出来てしまう。 ただ、 それでも貴方には冷静な感覚もある。 一生懸命動いているのは自分だけじゃない? 先生は動いていない。 動いてくる貴方に対して、 「出来る範囲」を安定して提供してくれている。 貴方はその先生の安定感に甘えている。 それが今なんだよ。 実は分かっている。 だからこそ、 先生へ思いを「今」ピークにしてしまう事に半信半疑。 まだまだ自分の経験も世界も狭い。 人と出会う「だけ」では世界は広がらない。 広がっていくだけでは無くて、 自分「で」広げていける力が育ってこそ。 貴方はようやく両輪で成長していけるようになる。 その部分はまだ未踏。 貴方も分かっている。 でも、 先生がいつでも貴方の目と鼻の先に居る訳じゃ無い。 先生という、 馴染みの存在だからこそ。 自分の手に取れる範囲からいなくなる事が不安なんだよ。 学校ではいつも会っていたし、 卒業後も自分から会いに行って距離を保てていた。 でも、 先生が転任してしまったら・・・ 心の中で、 先生に対する思いを小さいけれど確かな炎にして。 貴方は貴方の場所で丁寧に頑張っていく事。 本来はそういうスタンスで、 もう少し「今」に対して穏やかに向き合っていけば良いんだけれど。 貴方は先生の転任が「別れ」のような寂しさになっている。 何故なら、 堪らない~という偏った思い方をしているから。 自分自身を保てなくなっているんだよね? 感極まって書き込んだ貴方がまさにその姿。 忘れられないという抱え方を変えてみる。 忘れられない、では無くて。 忘れたくない存在が先生でしょ? その先生が貴方に齎した影響は計り知れない。 それだけでも貴方には良い出会いなんだよ。 でも、 貴方はまだまだ成長し切れていない。 自分の先生への気持ちの確からしさとか、 自分の思いが単なる憧れでは無くて、 明確な好きであり、恋なんだとか。 自分の心の「内側」の選別作業には誠実なんだけれど。 相手「と」育んでいく、 受け止める相手「が」心地の良いと感じる、 適量で、適温の思いを大切にしていこうとする、 そういう目線には実は「不誠実」な貴方がいるんだよ。 今の私と、 今の先生の間における「適量」、「適温」とは? そう考えてみたら、 貴方が必死に必死に先生を思い続けている事自体が、 既に「適」の部分を逸脱している事が分かるでしょ? それって先生には嬉しく「ない」貴方なんだよ。 優しい先生だよ。 これからも出来る範囲では貴方を「構って」くれる。 でも、 貴方は構われる事を求めているのか? 本当に先生と大人目線で対峙したいなら、 貴方に構う必要性を感じなくなった時なんだよ? 貴方は分かっている。 早く大人として対峙したい自分と、 まだまだ子供として構われたい自分。 その構われる延長上に、 何となくふんわりとした「恋愛」目線が育っている。 でも、 それは先生が求めている関係じゃない。 これからも、 縁が無くなる訳じゃ無い。 先生も先生の場所で自己練磨し続けていく筈。 17歳の貴方には、 先生「以上」の意志ある一歩が求められているんだよ? いつか成長した私を伝えたい。 そう思える相手がいるだけで貴方は幸せなんだ、という事。 改めて深呼吸を忘れないで。 バランスの良い貴方を大切にね☆
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回答が遅くなって、ごめんなさい。 「恋」は、神さまがくれた幸せへのストーリーだと思います。 トランプで例えるなら、クローバー・スペード・ダイア・ハートの うちのハートが、今、続いていると思います・・・。 ジョーカーをひいてしまったら、負けです・・・。 私は、このトランプをクリアーしようと思います!! いかがでしょうか・・・?
お礼
回答ありがとうございます。 幸せへのストーリーですか。なんだか素敵な喩ですね(^^)
お礼
回答有難うございます。 確かに、忘れられないんじゃなくて、忘れたくないだけなのかも知れません。 先生が、いつでも優しいから、甘えているだけなのかもしれません。 結局、先生はやっぱり大人で、17歳の私はまだまだ子供で。 私の中でだけ、気持ちはどんどん大きくなっていって。 このままじゃ何年経っても何も変わらないんですよね。 少しずつ、冷静に、前を向いていこうと思えました。 本当にありがとうございました。