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不幸な自分が好きという思考を変えたい
- 自己憐憫とは自分を可哀相に思う心のことです。
- 孤独でつまらない人生を送っていると感じており、一生懸命やっているフリをしていることに気付きました。
- 自己憐憫を解消するためには、自分自身と向き合い、自己肯定感を高めることが必要です。
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質問者が選んだベストアンサー
子供のころに、今のような思考になる出来事があったのでは ありませんか? どうせ俺なんか・・・・。 と、気持ちがねじ曲がるような出来事が。 その時の気持ちをずっと持ち続けてしまっている。 意地になっている。 どうせ、どうせ・・・って。 昔の事を思い返してみてください。 泣いている、苦しんでいる、ふてくされている、小さなあなたがいませんか? 慰めてあげて欲しいんです。 あなたが、声をかけてあげてください。 辛かったね、と。 もう意地を張ることないんだよって。 幸せになっていいんだよって。 きっとあなたは、昔、あなたに辛い思いをさせた相手に対して、 今も戦っているんだと思います。 どうせ、俺はダメなんだろ。 ほら、見てみろ!俺はダメだろ!って。 もう戦う必要はないのです。 自分自身を幸せにしてあげていいのです。
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- mysoramame
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お礼読みました。 あなたは自分で、問題点に気づいたのです。
- ele_sheep
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自分を助けてくれるのは 自分の前向きさだけ と考えてはいかがでしょう あらゆる困難な場面でそう考えてみると、 ちょっと物の見え方も変わってきますよ
- jbeam
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自己を省み、現状を改善したと望む質問者様の姿勢は、人として必要な事です。 自己憐憫は不幸の原因を全て自分に求めていることにあります。 問題が起きた場合、その責任を他人に求めた場合は、当然その人との間に争いが生じ戦う事になります。 (1)戦いに勝った場合は、傷つくが、自説が通る栄誉を得、勝利の優越感を味わえます (2)戦いに敗れた場合は、傷つき、責任を取らされ、自説を曲げる屈辱と敗北感を味わいます。 (3)戦わず不戦敗にすれば、責任を取るだけで済むのです。 (4)戦わずに勝てば、責任から逃れられます。 価値観にもよりますが (1)勝ち:損失1・利益2 (2)負け:損失4 (3)不戦敗:損失1 (4)不戦勝:利益1とそれぞれ考え いわゆる大人の対応では(3)を選びます。 (3)を選べば、戦いで傷つくことも無く、自説を唱えない為自説を曲げる屈辱も、戦わない為負けた敗北感を免れる事ができます。 自分が悪い事にしてしまえば、自分の責任にしてしまえば、誰からも反論は出ないし出たとしても「君だけが悪い訳では無い」程度で、基本は貴方に責任が有る事に異論はないでしょうから。 但し、常に(3)を選ぶと、自己否定の日常化は人格の崩壊を招くため、不戦敗を選ぶ理由を探しだし自分を貶め納得させる自己欺瞞に陥ります。 貴方の「自分に問題が有った」との見識を認めて貰える事で、貴方は人格まで認めて貰ったと思い込もうとしているのでしょう。これを自己欺瞞と言うのです。 この自己欺瞞は、さらに原因は自らのスペックや考えによるとし、自らを不当に貶め運命とさえ思う様に成ります。 当然ネガティブな感情はさらに自己欺瞞を拡大させ自己憐憫に浸ることになり、負のスパイラルは続きます。 人は、報酬に於いて絶対値より相対値による方が、幸せを感じるのです。 A:自分は3カ月の賞与を貰ったが回りが1か月の賞与だった。 B:自分は5カ月の賞与を貰ったが回りが10か月の賞与だった。 数字的にはBの5カ月がいいのですが、Aに幸せを感じるハズです。 >今地震が来てとても嬉しい自分 α:地震が来て周りと同様苦労する状況 β:不満のある自分の日常と幸せそうな周りの生活とが続く状況 ここで不幸が有っても相対的な理由でβを選んでいるのです。 自己憐憫と自己欺瞞から抜け出す第一歩は、こう言った心理を理解する事です。 自己欺瞞から抜け出すのは、自己正当化から抜け出すことで、精神的にはもっとも辛い作業となります。 最初の、戦わない(3)を選んだ心理を自覚する事です。 決して(3)を選んだことは間違いではないのです。争いを回避したことは、うまく立ち回っただけです。 決して卑怯では無いのです。そういう選択をするパーソナリティなのです。 ネガティブな発想はポジティブな発想より危機回避能力に優れているのです。 世の中、能天気な楽天家ばかりだと立ち行かないのです。 質問者様の様なパーソナリティは世の中に絶対必要です。 この事を認識する事から始めましょう。
お礼
「どうせ俺は~」というネガティブな人格と 「逃げてたまるか。いつまでも逃げてたら不幸のままだ」というポジティブな人格とが戦っています。 逃げて、逃げて、そんなことばかりしていたからクズになったんだと思います。
- aymhfgy
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自己憐憫に塗れて身動きできなくなる人もいますので、そのことに気が付いていて抜け出したいという気持ちを持たれているということは、そういう人よりは希望が持てるのではないかという気が致します。 ひとは可哀そうなひとには同情しますが、本物の愛情は向けてくれないことが多いので、誰でもが孤独でそれぞれに耐えているのだという真実を強く認識出来れば今の状態よりはましになると思えます。自分だけが不幸なんだと思う気持ちがそもそも錯覚だし、自己憐憫に酔ってもなまぬるい満足感しか出ないでしょ。 逃げるのではなく、自分を本当に本当に愛して何とかしてやろうと本気になって欲しいです。きっかけを待っているのではなく自分からつかみとってやるというような元気を持って欲しいです。誰よりも自分自身の為に。
お礼
逃げてばかりでした。大人になるのを逃げていた。 二十歳でハゲてそこから「どうせ俺は~」という思考が始まった。 今も自分が大嫌いで人に好かれたいのではなく、人に嫌われて「どうせ俺は~」と嫌われるのを期待している。 「俺ってクズだろ」「どうせアンタも避けるんだろ」というのを誰に対しても期待している。
- mysoramame
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自分が人を愛してさえいれば、例え一人でも孤独ではありません。 すなわち、不幸にもなり得ないのです。
お礼
今俺は果たして誰でもいいから愛しているかと考えた。 家族以外はそんなの持っていなかった。 誰もいないから。 自分すら愛していない。クズだと思っている。
- sanmanomanma
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その感じわかります。私も似たように考えています。私は「悲劇のヒロイン」って言ってます。それって考え方のクセなんじゃないでしょうか。 また悲しい自分によってる・・・と思ったらその考えをやめ、明るい未来を想像することで脱却したことがあります。でもクセのばねがつよいので、考えようとしてもすぐ悲しい自分に浸っちゃいますよね。 私は太宰治のような厭世的な主人公を好きになってしまって、いつしかそんな人間になっていました。そのような自分に気づき、もっと男らしくなりたいと思い、そんな映画がないか質問したところ、ロッキーを勧められました。 すると、子ども思いで、一生懸命な姿がかっこいいと思え、全シリーズ一気にみました。 まだ完全に不幸酔いは抜けていませんが、映画を見るなどして、本当になりたい自分をイメージできるようになってみてはどうでしょうか!
お礼
ロッキーはいいですね。 ガッツが出る映画はたまに見て真人間になります。 ただ不思議なことに不幸モードの時には見る気がぜんぜん無くなる。
お礼
物心ついたころからケンカばかりの両親でとくに父が大嫌いでした。 挙句に離婚して母方に引き取られそこから地獄の日々でした。 こんな状況にした父に強い恨みを持ち 父が築いた店を二代目の俺がアル中になって潰す、というのが夢でした。 そして父の死に際にアル中でイカレた俺が見事に潰して恨みを晴らしました。 父が死んで「てめえのバカ息子は狂ったぞ」と見せることが出来なくなり確かにつまらなくなった。