- 締切済み
アルコール依存症の父
私は父とどう向き合っていけばいいのか悩んでます。 父は… 現在50歳、無職でアルコール依存症で生活保護を受けています。 母とは8年前に別居し、4年前に私が結婚したことを機に離婚。 原因は、当時両親と祖父母で兼業農家をしていて、農家の経費の多額の借金があったうえに、父が勤めていた地元の小さな建設会社が倒産。 金融会社からの連日返済の電話がなり、当時中学生だった私がよく電話をとらされてました。 家にまで背広を来た人が取り立てに来ることもあり、裁判所からも手紙が来たこともありました。 母は毎日朝から晩までパートを掛け持ちして休みなく働いていました。 そんななか父はというと収穫したものを朝方市場へ持って行きお金を受け取り、行ったっきりなかなか家には帰らず、次の日の深夜に帰って来てました。 父は浮気をしていたんです。相手は父がPTA役員をしてたときに一緒だった人。 母はこの事実が明らかになったのが引き金となり、 私と二人で家を出ることになりました。 当時高校2年だった私は中退も考えましたが、母は今まで以上に毎日毎日働いて学校に普通に通わせてくれました。 学費に生活費に家賃にと、相当大変だっただろうなと思います。 その上、農家の借金も半分負担していました。 父はというと、別の建設会社に転職し働いて、たまに母と私のアパートに寄って行ったりしてました。 しかし私が高校を卒業し初出勤の日の朝。 茶の間へ行くと、部屋中アルコールの臭い。 うなだれた父。重苦しい顔をした母。 何があったのか聞くと、父が飲酒運転と信号無視で捕まり免許停止になったと。 会社の車だったので会社もクビ。 それから父は毎日うちに入り浸り、仕事もせず酒ばかり飲み、その後も飲酒運転で2度も捕まり、罰金は祖父母が親戚に頭を下げたり大事にしてきた畑の土地を売り払ったりしてました。 父はアルコール性の肝硬変なり入退院を繰り返すようになりました。 その入院費も全て母や祖父母が工面してました。 アルコール専門の施設への入院を父に何度も話したけど、私の気持ちはいつも伝わらず、今はもうそういう気持ちさえしません。 私が結婚して家を持ち、毎週のように電話してきてうちに今から来ると言います。 正直父には会いたくありません。頬はこけて目にいつも黄疸が出ていて、話していても会話にならなくて幻滅していく一方です。 まだまだ働き盛りなのに、仕事もせず酒飲んでは生活保護費で入院生活。 今月また入院して、『心配せんでえぇから』と電話してきてワケの分からない言い訳を長々と話します。 父から電話がかかってきたとき携帯のディスプレイに"親父"と出るだけでため息がでます。 寂しさがあるのだろうと分かってはいます。 でも父と関わることにもう疲れました。 そして私は父からの電話を今、拒否にしています。 話が長くてすみません。 客観的にみて父のことをどう思うか意見を聞きたいです。 自分の父親がこんな人だったらどう付き合って行きますか?
- みんなの回答 (7)
- 専門家の回答
みんなの回答
- pct10968
- ベストアンサー率21% (641/2971)
じじいです。 精神的に脆く、酒に逃げた結果でしょうけれど、親父さんの自力での回復は無理でしょう。 アルコール専門の施設への入院は、良かったと思います。 精神的に弱ければ、自力でアルコール依存の連鎖を止める事は出来ないので、 全てアルコール専門の施設に任せ、連絡も取り合わないことです。 親父さんの精神的弱さから出た結果なので、経済的にも精神的にも 少しでも逃げ道がある限り克服出来ないでしょう。 >そして私は父からの電話を今、拒否にしています。 あなたは、肉親とはいえ心を鬼にして連絡を絶ち回復した父親を待つべきです。
私はアルコール依存症でしたが酒は辞めました。 あるとき大量の血を吐いて、すぐ病院に行かなかったものだから危うく死ぬところでした。 原因は食道静脈瘤破裂でした。医師からはこのままだと5年で7割の確率で死ぬと言われました。 これを期に酒を止めたわけですが内科に通院はしています。 肝硬変で何回も入退院を繰り返している人が何人もいます。 肝硬変も進行してくると非代償性肝硬変となり、黄疸(目が黄色くなる)が出たり、腹水がたまったり、肝性脳症になったり と合併症との闘いになりますよね。そして行つく先は肝ガン。 ウィキペディアより抜粋 『アルコール依存症の形成を助長するものとして、アルコール依存症になる人の周囲には、酒代になりうる小遣いを提供したり、過度の飲酒で生じる社会的な数々の不始末(他人に迷惑をかける、物品を壊す、等)に対して本人になり代わり謝罪したり、飲酒している本人の尻ぬぐいをする家族など(イネーブラー(enabler)と呼ばれる)が存在することが多い。』 『イネーブラーは飲酒している当人の反省を必要とさせず、延々と過度に飲酒することを可能にしてしまうとされる。逆に、一切のイネーブラーがいなくなったり、医師から死を宣告されたりしたことをきっかけに、本人が「底つき体験」(「どん底体験」ともターニング・ポイントとも呼んだりする。“このままでは大変なことになる”という意識の発生)をし、それをきっかけにアルコール依存症から立ち直ることがある。』 とありました。この際廻りが心を鬼にしてイネーブラーとなることを止めるしかないでしょうね。 さぞ大変な状態であろうと察しますがこれしかないですよ。酒は簡単には止められません。
- sayudkohti
- ベストアンサー率15% (9/59)
義父が25年間アルコール依存症です。 アルコール依存症の方はお尻を叩いてもダメ。 切るなんて簡単に言う人はそういう経験をしていないから。 何があっても最終的には家族の責任なんです。 入院、通院、断酒会様々頼りましたが何も変わらず結果義母は離婚しました。 嫁とは違い、親子は死んでも親子なんですよね。 残念ながら、肝硬変にもなられているようなので先は長くありません。 うちの主人は『死ぬのを待つ』という気持ちで過ごしています。 手立てがないなら、極力関わらない。 それしかないです 。
- satotyaman1020
- ベストアンサー率26% (19/71)
父がアルコール依存です。 アルコール依存に限らず、依存は自分で治す気持ちがないと、一向に治りません。 幼い時も私にいやなことをしたので、母方の親(私から見たら祖父母) に引き取られた時点で会っていません。 なんでもない方から見たら「お父さん見捨てるなんて、ひどい!助けてあげて」と思います。 だけど貴方はあなたです。 お父さんの介護ヘルパーではありません。 お父さんも一人の大人です。 もし、「お父さん見捨てるなんて、ひどい!助けてあげて」と思うそういう人が 助けてあげればいいと思います。 あなたは一人の人間です。 好きな人やモノと、自分の人生あゆんでください。
- tenten41
- ベストアンサー率10% (37/338)
アルコール依存症は治りませんよ、よほど本人の意思が強くないとね。 私の知り合いの父親は退職まで、普通の人でした。退職してから無趣味もあり酒を飲むようになり、気が付いた時は遅く、 アルコール依存症でした。お酒がきれると手が震える、家族がお酒を隠すと暴れるようになり、病院に入院させました。 入退院の繰り返しで最後は病院で亡くなりました。「自宅にはお酒を置いていない」安心できない、目を離すと酒屋に買いに行くのです。「つけにして」で終わりです。 彼方が辛い気持ちわかります。でも結婚して家庭を持ったのですから自分の家族を守ってあげてほしいです。 父親の電話には出ない!距離をおきましょう! そうしないと彼方の幸せが壊れてしまいますよ!
- yama-koke-momo
- ベストアンサー率34% (352/1008)
50歳。お若いですね。私と変わりません。 その若さで肝硬変とは、自業自得とはいえお気のどくです。 先は長くないでしょう。 でも飲酒運転で犠牲者を出してはいないのですね?それは不幸中の幸いです。 もし死亡事故でも起こしていたら賠償でさらに人生が変わってしまいますから。 更生施設などに入所して自ら立ち直ろうという意志が本人にないままではどうにもなりませんね。 アルコール依存症は一人では克服できません。 今は距離を置くしかないでしょう。拒否で結構と思います。 もしもお父様が自分の意志で更生を試みる時が来たら、その時は協力してあげてもと思います。 それまでは、どうしようもないです。 二度とハンドルを握ることのないよう願いたいです。 ちなみに私の父は酒もタバコも女もやらずに真面目に働いていた人でした。 借金もありませんでした。 それでも家族と断絶して裁判沙汰まで起こし、母と熟年離婚し今はどこでどうしているやら縁が切れてます。 父と心が通うことは生涯ないとわかった私達親子にとってはもうただの他人です。 もし葬式の報せがきても行く気はありません。 あなたはお優しい方ですね。
切る。 付き合う理由ないし。生活保護受けてるんなら生きていけるでしょ。 家の住所とか教えちゃったの?それはご愁傷様…。 寂しいのは父親の自業自得。 「会いに着たいならアル中なおしてこんかいぼけぇ!話はそれからじゃ!」で終了。 まじめに相手をするから疲れるんだと思う。 てか、両親離婚してるならあなたに関係なくね? 病気が自分を直さないように アル中も自分を治そうとはしないものだと思うよ。 病院いかせたいならなだめすかすよりケツひっぱたかなきゃだめな状態じゃないかな。