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いじめに対する復讐心と高校での挫折感
- 過去のいじめを乗り越え、高校入学で成績を上げて復讐を果たす意志を持つが、目標の高校には届かず、挫折感に苛まれる。
- 周囲からの認められない不満と、自己中心的に振舞った人間が得をすることへの疑問に直面し、自らも振舞って見下し軽蔑する意図を抱く。
- 自分がいじめられた人間には何の社会的制裁も与えられていないことへの不公平感を抱き、高校での成績維持を通じて自分より下の者を軽蔑することを目指す。
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これは私見ですが、 当事者は、いじめられた経験から、 自己肯定感(ありのままの自分の受容)と自己の存在理由の2つを失ったと考えられます。 そのためその失った2つを取り戻すべく、 勉強をして良い成績を取り、いじめをした相手を見返してやろうという目的を得ます。 しかし当該目的では前者の自己肯定感を取り戻す手段にはなりえますが、 後者の自己の存在理由を直接的には取り戻すことができません。 なぜなら、自己の存在理由を取り戻すにはそれを否定した相手を屈服させる必要があるからです。 当事者は無意識のうちに、当該方法で両方を取り戻すことができるものと想定したため、 自己の存在理由を得られないことに不満を覚えたと考えられます。 (なぜ自分を認めないのかという感情から) そこで当該目的の意義を失ったと思い込み、 (自分は損をしているという自己否定の感情から) 自己を否定した相手と同条件の存在である成績劣位者を用意するために成績を維持し、彼らを軽蔑する(屈服させる)ことで、間接的に自己の存在理由を取り戻そうとしたと考えます。 質問文から察するに、 当事者は思い込みが激しく、極端な結論を出す性格だと思われます。 そしてこの考えがもし当てはまるのならば、 いじめをした当人としっかり向き合い決着をつけるか、 その出来事そのものを全て受け入れて前に進むことをしなければ、 これから先常に誰かを見下して生き続けることになるでしょうね。 (仮想の相手を作り続けているうちは本当の意味で満たされることはないでしょう)
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- gozyou3553
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色んなものに捕らわれていて、自分の人生を歩けていない気がします!! 他人はどうでも良いじゃないですか? 私の好きな言葉「無一物」を送ります!! 「神に逢ったら神を殺せ、祖に逢ったら祖を殺せ、何事にも捕らわれず縛られず、ただあるがままの己を生きる」 「サヨナラだけが人生だ」 コノ盃ヲ受ケテクレ、ドウゾナミナミ注ガセテオクレ、花ニ嵐ノタトエモアルゾ、「サヨナラ」ダケガ人生ダ。井伏鱒二「勧酒」厄除け詩集 筑摩書房刊
- hiro822
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見返すとか、認めさせるいうよう負の動機では、 一時のパワーにはなるかもしれませんが、長期的にはうまくいかない場合が多いように思われます。 好奇心とか向上心とか野心とか そういうものの上に動機がないと先々行き止まると思います。 まあまあと思える高校に入れたのであれば、 そうでない高校よりも、視野の広い教育が受けられるし、可能性は広がっているので、 過去のことは忘れて、今得られている環境から自分をどう活かすのかを考えたほうがいいです。 社会的制裁は、あなたが軽蔑したり、手を施さなくても、 いろいろなところから間接的に与えられていくものです。 心配は無用です。 あと、成績というのは一つの指標に過ぎないと思うので、注意が必要です。 そこに集中してしまうと、物事の本質を見落とします。 負の動機、高学歴、劣等感という組み合わせは、結構危険要素が高いと思うので、 どこかの時点で、見直しが必要そうですね。
- anndoromeda
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勉強したって、其奴の上には立てないのさ。 人間的に、負けているのだから・・ 軽蔑? >>私よりも勉強が出来ない愚かものどもを 見下し軽蔑してやるのだ。 勉強など人間の能力の極々一部に過ぎない事も知らない? まあ、井の中の蛙・・的発想だね。 自分よりも下の者を軽蔑しても良い? その下と思っている人間が何時もまにか自分より上になるなど、世間では良くある話。 その時に、仇を討たれるのさ。 それも手酷く・・ 良いかい・・ 勉強など人間の能力の極々一部なのさ。 そして、その様な物が通じるのは人生のある一時期だけの話。 其奴よりも、人間的に成長する事を考えないと、あるいは其奴よりも強くならないと、其奴と同じだよ。 現状では、其奴以下に感じるよ。
そんなもの、親が親たる愛情をその人に注がなかったから、そんな歪んだ認知をするような人間になったんですよ。 勉強が出来る人間が、必ずしも人として出来た人間では無い事は、有名大学卒の人間が、企業では何の役にも立たないなんて話しを聞けば、一目瞭然じゃないですか? しかし、その人には、それが分からない。誰かに認められたいがために一生懸命勉強したのに、周りが認めてくれない。だけど、勉強出来る人間が必ずしも人として立派でないというのが有る以上、認めない人間が居て当たり前です。それが分からないのは「認知が歪んでる」としか言いようがないと思います。 人間、誰かから必要とされてる、誰かに認められてる、誰かに愛されてる、そう思えれば、いじめるヤツが居ようが、勉強ができなかろうが、生きていけるものです。そして、そういう絶対的な味方で有り得るのは、「親」しか居ないんですよ。 だけど、街中で、他人の目も有る中、大声を張り上げられて怒られて、それでどうやって親から愛されてると実感しろ、って言うんですか? いじめられた悔しさ、それは、当然です。そして、現在の日本の法律では、いじめでは、社会的制裁は与えられない。良い・悪いじゃなくて、それが現実です。そのやりきれなさから、他人を恨んで生きたり、他人を見下して生きたりして、私には何の不思議も有りません。むしろ、私みたいに、もはや他人に対する恨みの感情しかないのに、それをごまかして周りとの調和を図ろうと生きてる人間に比べれば、自分の気持ちに正直になるという点で、立派かも知れません。 傍から見れば、質問文中の方のような生き方は、なんの実りももたらさないし、その人をより孤独に追い込む生き方に見えます。だけど、今のその方には、その生き方しかできないんだから、本来、周りが何かをとやかく言う筋合いの事では無いと思います。認知が歪んでると思おうが、不幸な生き方をしようとしてると思おうが、その方がそれに気づくまで、放っておくしかないんじゃないですか? まぁ、その方には、多分、もう他人に対する恨みの感情しか残ってないんだと思います。もしかしたら、私自身の心の在り様を、投影してしまってるかも知れないので、私自身、公平さに欠けると思いますが・・・・・・。
- every2007
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どうしようもなく卑屈な状態と評価します。