こんにちは。
統合失調症の主症状と言われる幻聴ですが、体験したことが未だかつてない立場で申し上げるのは恐縮ですが、
命令に従うか否かはあなたの性格によるものだと思います。
もしも、私にそのような幻聴があったら、間違いなく、
「うるせー、余計な指示だすんじゃねえ」
「あんたに金貰ってるわけじゃないんだから、指示には従わねーよ」
と、ぶつぶつとその「幻聴さん」とやらと口論するでしょう(笑)。
私の知人に催眠術の勉強をしていた人がいましたが、残念ながら私は催眠術にはなかなかかかりにくかったです。
だから、すべてはひとそれぞれです。
ちなみに私は今まで、かつてものすごい困難に直面した時に、不安、孤立、過労、不眠では、確かに疲労こんばいして、耳鳴りがしたことがありますが、それは幻聴ではないです。
よく、「神のお告げ」が聞こえたという人がいますが、そんなのはありえません。
人の人生は小さな選択の積み重ねであり、その一つ一つを経験したことで結論・結果がもたらされることがあると思います。
どんな醜悪な出来事も、その時はとても困難であっても、その困難があったからこそ、自分が学ぶことができた、そして今があるのだと思えると確かに理想的ですよね。
見守ってくれている…それは、人かもしれないし、いわゆる神かもしれないし、仏かもしれませんし、この世を去った大切な人かもしれません。それは人それぞれの解釈です。
私にとって、今までずっと疑問に思ってきたことがあります。
それは、聴覚障害の方は、統合失調症になるのだろうか?
ということです。
視覚障害の方は、幻覚を体験することはあるのだろうか?
ということです。
ですから、私自身は個人的に、精神科医の方には恐縮ですが、統合失調症そのものが一生薬を飲み続け、一生向き合う疾患なのではなく、何かのきっかけによる、人の感じ方の一形態なのかもしれないと思ったりもします。
つまり、五感の敏感な方が陥りやすい一症状なのかもな、というふうに感じたりもします。
病名を付けられることにより、様々な可能性を閉ざし、甘んじなければならないこともありうると思います。
これは私の一意見であり、きっと専門家の方からはたくさんの反対意見もあるかと思いますが、いかがでしょうか?
お礼
お早うございます。ご回答ありがとうございました。 幻聴を意識して返事などして口論したら大変な事になります。完全な統合失調症ということになってしまうと思いますよ。意識すればするほど幻聴はしつこくなります。必死に無視しようと頑張った私でもしつこい命令に従ってしまい、それが深い心の傷になっています。病院に初めて行った時、余程のことがなければこんなにならないとびっくりしていました。幻聴には基本的に相手にしないというのが治療法らしいです。 でも、私の場合非常にしつこく幻聴で命令され、それに便乗して実際に喋って命令した奴といろいろいますが。何日もねかされず、恐怖感をあたえられた私は何も考えられず命令に従ってしまいました。 死んでしまいたい位の心の傷です。
補足
それと最初は幻聴だなんてわからず、本当に言ってるんだと思い、だんだんおかしいと思いつつ、幻聴と実際に喋っている犯人が同一人物では訳わからなくなりますよ。