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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:弱さに付け込む人が多いのは何故でしょうか?)

弱さに付け込む人が多いのは何故でしょうか?

このQ&Aのポイント
  • 昨今の日本では、セクハラ・パワハラ問題が大きく取り立たされており、弱さに付け込む人が多い理由について考えてみます。
  • 普段のやり取りにおいても、弱い者に矛先が向かいやすいのは、弱肉強食が基本の生物・動物の法則からくるものかもしれません。
  • 日本人の心構えや考え方の問題としても、強いものには良く合わせる傾向があり、弱い者を助けることが重視されない傾向があります。

質問者が選んだベストアンサー

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  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.3

"少なくとも、過去・現在において、私の周りにいる人々の多くは強いものには 良くあわせ、弱い者には厳しくなる傾向があります。" ↑ 人間の脳は二重構造になっています。 本能や感情を司る大脳旧皮質と、理性を司る大脳新皮質 です。 本能は、強いものに合わせ、弱いものに厳しく、という ことになります。 その方が己の生存に有利だからです。 しかし、人間は理性によってそれを抑制しようとします。 その抑制力には無限の強弱があります。 質問者さんのような人は、理性が強いので本能を抑制できます。 しかし、本能に負けてしまう人もいる訳です。 その負け具合にも無限の段階がある訳です。 ”乳児~幼児の間に学ぶことで、誰でも知っているはずの弱い者をかばい助けながら  過ごしていくことが何故出来ないのでしょうか?”      ↑ 理性を徹底的に叩き込めば、それは大脳旧皮質に入り込み 本能に作用するようになります。 その叩き込みが不十分なので、出来ないのです。 それは異性を観て、興奮するのと同じです。 理性の力が弱い人が犯罪を侵したりするのです。 これはもう、小さい頃から繰り返し叩き込むしか 無いでしょう。 宗教の力を使うと、比較的効果をあげやすいです。 新渡戸稲造の武士道に、あります。 「お国では宗教教育をしていないと聞きましたがホントですか?」 「ホントです」 「お~、それでどうやって子供達に道徳を教えることが出来るのでしょう?」 「我が国には武士道があります」 ”日本人が優しくなって欲しいと思い続けています”       ↑ 優しいかどうか、ということは相対的な程度の問題でしょう。 私には中国人の知人が多いのですが、彼らが来日すると 日本人の優しさに感動します。 だから母国に帰るのを嫌がります。 大宅壮一賞を受賞した「野村進」氏の調査によると、 在日中国人の80%は親日だそうです。 日本人は、世界でも優しい部類に属する民族だと思っています。 尚、イジメとかパワハラとかは世界共通の問題です。 日本特有ではありません。 念のため。 最近の日本人は優しすぎるのではないですか。 まるで競争することや争うことが悪い事のように思っている 人ばかりのように思えてなりまえん。 己の尊厳、名誉、誇りの為には戦うことも必要でしょう。 最近の子供は、イジメは出来てもケンカが出来ないように 感じます。

gdbnb6c
質問者

お礼

なるほどと思いました。 >本能や感情を司る大脳旧皮質と、理性を司る大脳新皮質です そういうことなんですね。 >宗教の力を使うと、比較的効果をあげやすいです。 宗教の力は大きいですね。 神様仏様がでっちあげなのかどうかはどちらでも良いのですが、行動・思考が効率よく楽になる事は良いですね。私は宗教の力を借りていませんが。 >尚、イジメとかパワハラとかは世界共通の問題です。 やはり世界共通なんですね。日本は優しい民族なんですね。 ありがとうございます。

その他の回答 (7)

回答No.8

現在的でない、凄く良い質問ですね。 まともに回答できる人は少ないと思います。  昔は、このような社会ではなく、40年以前は、多くの人達は助け合って生きてきましたね。  現在でも中国の農村、そして多分北朝鮮の農村の人達は、我々40年も以前に生きてきたと同様、、またそれ以上に人間らしい生活を営んでいると私は思います。  中国の農村では、両親を悪く言う人達には殆ど見かけません。  大人になるまで育ててくれた恩は忘れない、と言うわけです。  現在の日本の不具合は、インターネットが発達し、そして庶民通しの会話がなくなってきているからと思います。  孤立社会、労働が軽減されると、同様に力を合わせて生活の糧を得る必要がなくなり、只、優秀な人材を必要とされ、学歴および能力の劣ると判断された人達は、生きて行く術が少なくなっているからと思います。  会社に勤めても、肉体労働によって、お互いを尊重しながら作業を行う時代はなくなってきた。    現在の社会は、   > 「セクハラするほうが悪い。パワハラするほうが悪い。」という方向にハッキリしてきました。 > 痴漢やレイプが犯罪なのも、体力的に弱い女子を男子が力ずくに言うことを聞かせてはいけないという意味合いもあると思っています。    これは、私も非常にいけないと思いますね。一方的に悪人を作るようで、こんな事をしていたのでは、更に非道な悪人を創ってしまう。  ニュース報道では、悪人を創りたいように報道していますね、愚かな行為である。  大変な世の中ですね。  先ず、間違いなく、昔とは異なる非道なヤクザが増えることは間違いないでしょう。  昔のヤクザは人情味があり、一般庶民の人達も、助けられた事も多くあった。 貴方のように考える人達が多く集まり、社会を変えてもらえるよう願いたいものです。  日本は、公務員国家および漫画社会。漫画で育った人達が政治および社会を牛耳ることになり、偏見理想国家と云えるでしょう。  子供の頃に見た漫画の中に、ロボットがあり、現在の大人達は、その夢を忘れられず、手作りではなく機械をフル稼働して、これらのロボットを無駄なエネルギーを使用して作る世の中ですから、大変ですね。  > 出来る範囲で弱い人の手助け、フォロー、味方をする様に気をつけています  とても良い事ですね。  頑張って、仲間を増やしてください。影ながら応援しますよ  参考です。

gdbnb6c
質問者

お礼

そうなんです。 セクハラ・パワハラ・痴漢とか、一方的・絶対的に弱者をかばうというのは、正義ではないです。 食うに困らないから、協力出来ないなんて悲しいです。 我々日本人は、窮地に立たされていると思っています。 情報化や平和主義はとても良いことですが、その副作用で、日本人の心の成長と健康はかなりまずいレベルだと思います。 しかし、少子高齢化の問題が日本人に結束力・団結力を取り戻させてくれるかもしれません。 「外に強敵がいるのに、皆仲間で争うなよ」と言いたいです。 他人にも自分にも優しくするように気をつけます ありがとうございます。

noname#173017
noname#173017
回答No.7

人間はほとんど利己主義というか自分を変えられません 他人を思いやるのも環境や性格が原点であり、己のために人に優しくするしてしまうだけです 例えば内藤選手をいじめた者とてチャンピオンにさせた影の功労者とも言えます 結論は自分を正当化しない部分を少し取り入れることかなと思います

gdbnb6c
質問者

お礼

バカとハサミは使い用によって切れるという言葉があるように弱者からの信頼や力を得ていない人は、大成出来ないのではないかなと思っています。 弱者に優しくすることが、それ程重要なことではないかもしれませんが、弱者はある特定の土俵に上がると物凄い剛力戦士で有る事が多いです。 私はそういう人達の味方をして、いつの日か私が助けてもらう事を期待しています。 特定の個人ではなく、日頃の習慣としてそれをやっていれば、いつか・誰かが助けてくれるかも知れません。 こういう考え方は大和魂じゃないのかなぁと思っています。 ありがとうございます

  • thegenus
  • ベストアンサー率49% (330/673)
回答No.6

答えは、優しさの不足ではありません。答えは、卑怯を恥じるプライドの欠落です。 質問文最後の一文が、回答者はもちろん、質問者自身をも混乱させていますね。 さらにその前のくだりで、質問者は弱い立場からはいあがったからこそ弱い人の味方になる理性があるとご考察されていますが誤解されていますし問題解決をはばんでいる最大の偏見ですね。 弱い者いじめをする構成員は弱い者なのです。弱い者が弱い者をいじめるのです。はいあがった人(元弱者)も弱い者をいじめるのです。たぶん強い立場から弱い者いじめをしている人は元弱者ばかりだと思います。 つまり質問者は例外の人物なのです。はいあがる過程で復習心ではなく正義心をエネルギーにしていたからでしょうね。たいていの成り上がり者は復習心なのです。 タツヨシと内藤の差がそこにあります。タツヨシは半殺しにしたったわいというのがボクシングを始めたきっかけです。 弱い者いじめはプライドのない卑怯者がするのです。 現在、韓国人批判は悪い事にされていますから、卑怯者は韓国人批判をしません。日本人がどんなに凌辱されても韓国人を批判すると自分も非難されるから韓国人批判をしません。その理由は日本人は他人を批判しないとか、プライドがあるからと弁明していますが、ウソですね。仲間を助けない卑怯者は卑怯だから助けない上にウソまでつくのです。二重に卑怯者なのです。 プライドがあれば韓国人批判を恐れませんしウソの逃げ口上をしません。私は韓国人批判をするのが怖いからしません、そこまでして仲間を助けるのは馬鹿らしく出来ません、ごめんなさいと言えば優しい正直者です。しかし卑怯がそういう正直を言うはずがありませんね。 武士は特別に道徳的教育をされてません。腰抜けと呼ばれるのを死ぬほど嫌うのです。つまりは優しさがなくても腰抜けでなければ自分を不利にする選択を消去法しないのです。 足りないのは妥協しない個人主義精神です。 たとえば立場の弱い武士にバワハラをしたら大変なことになります。殺されます。立場が弱くてもそれは立場にすぎず、精神まで弱いわけではなく、武士はみな独立しているからです。 戦前にバワハラを続けたりしたら半殺しにされたでしょう。 現在のいじめモンダイは社会問題に責任転嫁されるから生じるのです。戦前は封建式で、戦後は武士のいない国の韓国式です。空気を読むが、戦いの殺気を感じる意味ではないのです。

gdbnb6c
質問者

お礼

>卑怯を恥じるプライドの欠落です そうですね。いじめは大体卑怯なことが多いです。 正々堂々と殴りあうという事はほとんどなく、体力的に負ける相手だとしても、弱みを握って叩いたり、集団リンチしたり等と卑怯なイジメが多いです。 私も復讐心はメラメラと燃えていました。途中から復讐してもおいしくないことに気が付きました。 それよりも自分の所属する社会、組織、家庭の中で弱い者に漬け込む習慣を無くすことや、その習慣が残っていてもなるべく誰も傷つかない方法などを探しています。 私を含めて、ずるいことをしない様に気をつけなければならないなぁと思いました。 ありがとうございます。

  • cherry77_
  • ベストアンサー率23% (291/1261)
回答No.5

私の想像ですが弱い人間と勝手にその人が決めつけ攻撃を有利な状態で 与える事で自分はそいつより幸せだ。と実感しやすいからでは? 人の幸せの価値観って人それぞれあるでしょうが一番は周囲との差が 大きく影響してると思いますね。 アフリカで飢えに苦しんでる人が日本に来れば天国でしょうね。 もっと極端な例で言えばどこぞの金持ちが貴方の会社(学生なら学校)へやってきて お金を配ってくれたとします。 なんと貴方は100万円もらいました。当然嬉しいですよね?(純粋にもらえたと過程) が、貴方だけがもらえたのなら嬉しいでしょうが逆に回りは1億貰ってたら? 嬉しさ半減と言うか下手したら悲しさ感じません?^^; 例えが分かりづらいですが人より何か優れている・・・得してる・・・と思うのって幸せを 感じやすい事何だと思います。 相手に強気に出る行為・・・攻撃する行為は相手を見下す事で楽に自分の幸せを感じれるのでしょう。 はははっ。俺様が上だぞ。お前は不幸だ。俺は楽しいぜ・・・・って心理があるのだと思います。 普通は理性と言う名の元迷惑かけちゃいけない。相手が傷つく。止めようと思うのでしょうが そういう理性が少ないのでしょうね。 人って正しく生きるのが難しい生き物なのでしょう。 朝きっちり起きてますか?夜更かししてませんか?つい食べすぎ、飲みすぎしてませんか? 食生活のバランス保ってますか??ゴミはポイ捨てしてませんか? >、誰でも知っているはずの弱い者をかばい助けながら過ごしていくことが何故出来ないのでしょうか? 上記の事から楽な方へ流れて行っちゃうのでしょうね。 >何故それを重視しないのでしょうか? 理性が少ないのでしょう。ましていじめ等のレベルならまだまだデメリット(罰則)もほとんど無いような状況。 楽な方へ楽な方へ向かって言ってるのでしょうね。

gdbnb6c
質問者

お礼

理性が弱い若しくは、弱い者を守りたいという価値観が弱いため 知識・認識と行動が矛盾することがあるということですね。 私も人の事は言えません。理性で抑えきれないこともあります。 生きていく根源は本能で、理性で本能を抑えることもある 価値が大きいと感じていないことに対しては理性で本能を抑えきるのは難しい と言う感じでしょうね。 歯を磨いた方が良い事は誰でも知っていますが、つい歯磨きをサボる人と、きっちり365日サボらない人がいます。それは大脳の理性の強さと、歯磨きに価値があると感じることの強さの双方から来ることだと思います。 >はははっ。俺様が上だぞ。お前は不幸だ。俺は楽しいぜ・・・・って となりやすい人は、理性が弱いかもしれないということと、弱い者をかばうことに大きな価値を感じていないかもしれないということですね。 ありがとうございます。

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.4

質問者さんはスポーツをやらないですよね、たぶん。そして、会社などでリーダーになった経験もないと思います。 元プロ野球選手の方がいってたのですが、万年最下位みたいな弱いチームには特徴があるそうです。それは、「ミスをしても慣れ合う」のだそうです。試合に負けたけど頑張ったからいいじゃん、エラーしても人間ミスするものだからしょうがない。そんな感じでね。 だけど、そうやっていると人間甘えてしまって成長しないのですよ。例えば最近「学校が嫌なら行かなくていい」っていうのがありますよね。だけどさ、そうやって「学校が嫌だから行かない」なんていって甘やかしちゃって引きこもりになっちゃっているような子が大勢いるわけでしょ。 元プロボクシングチャンピオンの内藤大助さんがいじめられっこだったのは有名な話です。内藤さんはいじめから自分を守るためにボクシングを始めたそうです。もし内藤さんがいじめから逃げて引きこもりになっていたら、チャンピオンになるのは当然のこと、奥さんと出会って結婚して子供を持つってこともなかった可能性が高いですよね。 嫌なことから逃げ回ってばかりだと、人間成長しないんですよ。お坊さんが厳しい修行をするのも、冷暖房完備の部屋で悟りはひらけないからです。 かばうだけが愛情じゃなくて、真剣に怒るのも愛情だと思いますよ。かばい合うことと馴れ合いは紙一重です。私は弱者をかばうことには肯定的だけど、だけど生活保護なんかを見るとああいうのがもらえることをいいことに働けるのに働かなくなる人が出てくるわけでしょ。

gdbnb6c
質問者

お礼

確かに、そうですね。 優しいさと甘やかすことは異なる部分もありますね。 ちなみに私は会社でリーダー職を務めており、学生時代は武道場へ通っていました。 武道場では怪我をしている部分に漬け込んで攻撃する人はほとんど居ませんでした。 弱い子が怪我をしない様に技をかけるのも当たり前でした。 強い人とやるときは全力でかけます。 強い人も弱い人もガンガンしごかれましたけど、かばう事は日常的でした。 怪我ではなくて、身のこなしとか技とかの弱い部分は漬け込まれますがそれは勝つための練習であり、「強豪に勝つ」という共通の目的に向かって協同作業をしているのです。 実社会(家庭・学校等も含め)では、競合他社に勝つという共通の目的がありますが、パーソナリティとして弱い部分や性別・体格的に弱い部分等色々とありますが、その組織の共通の目的達成から遠ざかってしまうのに、弱みを攻めていることが良くあります。 部下を攻めすぎれば、萎縮して仕事の効率はどんどん落ちます。セクハラもそうです。 友人や家族等の関係でも、弱そうな人に対して弱みを攻めたり、ガンガン注意したり、鬱憤のはけ口にすることが多いです。それは家庭や友達関係という小組織の目的から遠ざかってしまっていることが多いです。 しかし、前の方もおっしゃっているように、日本人は優しい民族ですね。 生物の本能として、強いものにあわせ・弱い者に矛先を向けるということがベースにある。自分が得をするであろう場面では理性を働かせ弱い者をかばう。という様な解釈をすると、多少疑問が解けます。 (道場で相手に怪我をさせないのは、自分もその方が得だからです。  そうすれが、「強豪に勝つ」可能性は上がりますから。) ありがとうございます。

回答No.2

こんにちは 個人的にはご質問には共感すべき部分が多々あります 短い間隔でのその視点は非常に素晴らしいと思います。 ですがやはりNo.1のご回答者様の仰る通り、長期的には良いとは思いません。 つまり行き過ぎた行為を抑えれば良いのだと思います。 今の世の中、セクハラ、パワハラはされている人がそう思ってしまったらそれで認定されます。 線引きは現実的には不可能という事です。 相手への感情次第でハードルが大きく異なるのがその原因です。 嫌いな人からと好きな人から同じ事を言われても印象が違うと思いますが、まさにそれです。 それに強い、弱いという事もパーソナリティーや環境によっても大きく変化します。 優しいという定義は非常に曖昧です。 「臭い物に蓋」と「苦労は買ってもしろ」はどちらが優しい言葉になるのかを考えて下さい。 例えば貴方が親だとして子供が可愛がっていたペットが亡くなってしまったとします。 貴方はその現実を子供が知らぬうちに処分し、事後報告だけを行うのか それとも死という現実を視覚的に理解させるのか 私はどちらも親の優しさなのだと思います ただし私であれば後者を取ります 悲しい事を隠すよりも悲しい事を克服させる方が人間にとっては必要だと考えるからです。 ただ、その様な事が起こったら私は子供と一緒に泣くでしょう。思い切り共感するでしょう。 そしてその先の事を一緒に考えたいと思います。 強さとは優しさであり勇気です。弱さとはパーソナリティーの欠落です。 強き者は決して弱者を咎めません。弱者であるから人を貶めるんです。 子供の環境であれば いじめる子供: 弱者 いじめられる子供: 一般に普通とは思われない者。それが個人の責かどうかは無関係 いじめを止める子供: 強者 でしょう。私も散々虐められてきました。10年単位で 虐めを恨むのは簡単なんです。ただ、そこに自身にも欠陥があったのではと第三者的に考えた結果です 社会であれば 上司: ただの役職上の存在。業務命令とは仕事を円滑にするものであり決して人を不快にさせるものではない。上司とは部下のために働く存在 部下: 部下とは上司の適切な業務指令を把握し、その指令が適切かどうかを判断できる。部下は上司の判断基準になる つまり良い判断ができる上司であれば、そのビジネスユニットの能率は飛躍的に上がります。 そうでない場合はその管理職になんらかの問題がある可能性が高いです。 従ってこれが会社にとっては益になります。 これは私が今年から管理職になったので言える事です。 以上より 事実隠蔽は優しさではない。乗り越えさせる事が重要もちろんそこに力、言語による暴力は存在しない 暴力は弱者のなれの果てが行う行為 優しさとは相手の人間力を高める行為であり、その成長を妨げるものではない 行き過ぎは暴力と同じ 庇う事は優しさではなく加害者を増長させる行為。双方に納得させる力こそが優しさ 周りの意見に流されない。自分を確立する という事になるかと思います。個人的ですが。

gdbnb6c
質問者

お礼

>今の世の中、セクハラ、パワハラはされている人がそう思ってしまったらそれで認定されます。 これもまた、行き過ぎているということですね。 >いじめる子供: 弱者 >いじめられる子供: 一般に普通とは思われない者。それが個人の責かどうかは無関係 >いじめを止める子供: 強者 確かに、そうですね。 よく考えればわかることですが、今まで気がつきませんでした。 行き過ぎた行為は、力や武器を使っても抑えるべきだとは思います。 (子供のイジメを色々と見てきましたが、大人で言えば実刑を免れないような傷害罪に匹敵するような酷いことが沢山ありました。) いじめ、セクハラ、パワハラにおいて、加害者=弱者と考えると私の感じていた矛盾が少し解けてきます。 ありがとうございました。

  • xKURO-69x
  • ベストアンサー率27% (112/406)
回答No.1

全員が優しくなれば、そのコミュニティは侵略され、消滅します。 幼い頃は、肉体的に、 成人後は、ビジネスで、強く、利己的な部分を持たねばなりません。 優しいばかりで居ることは悪です。 大切なのは、バランスです。優しい面も必要、利己的なゴリゴリの部分も必要。 敵対する企業を潰し、己の利益を追求することが、安くて良い製品を生み出し、 社会全体の利益になります。 また、いじめられる側は、強くならねばなりません。それも一種の教育です。 (無論、いきすぎてはいけませんが) 学生のうちは、それを本能でやっています。 だから、「なぜそんなことを?」と思うようなことをするのです。 一種の動物といってよいでしょう。 しかし、繰り返しますが、それは本能です。 原初の時代から、必要とされてきたものです。 闘争心、競争は、必要なものです。

gdbnb6c
質問者

お礼

>大切なのは、バランスです。優しい面も必要、利己的なゴリゴリの部分も必要。 その通りですね。バランスですね。 セクハラ・パワハラとかが、どんどん規制されるようになってきたのは、バランスが崩れすぎたからかもしれませんね。 (出来れば、規制・規則など作らなくても、バランスが取れているのが理想ですよね。) 参考になりました。 ありがとうございます。

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