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「信頼は胸の中でゆっくりと育つ植物である。」
「信頼は胸の中でゆっくりと育つ植物である。」という名言があったと思うのですが、皆さんが普段これを感じるときはどんな時ですか? 私は「本当に美味しい食パンは少し時間をおくとわかる。」と近所のパン屋さんが言っていた時にこれを感じました。 回答いただけると嬉しく思います。
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相手の事を信じたいという気持ちがあるにも関わらず、 細かな事でつい疑ってしまう時に感じますね。 信頼が植物に例えられている事に 私は何となく共感できます。 思いやりがなければ育ちませんが、 早く育てようとして相手を気遣いすぎても きっと枯れてしまいますよね。 しっかりと根を張るまではとても弱く、 ちょっとしたすれ違いでも致命的な傷を負いますが、 一度大きく育つと少しのトラブル位では びくともしません。 そして、いくら大きく育てたとしても、いつかは必ず枯れ、 新しい種を残していきます。 何の見返りも求めずに相手を信じる事が信頼とするなら、 それはとても崇高なものですが、植物はどうでしょうか? 周りの環境に逆らって我を通す事もなく、 水と空気、光から自ら養分を作り出し、 精一杯に根を伸ばし実をつけ、次の世代へ命をつないでいく。 私達を目立たない所からただひたすら支え続け、 生きるとは何たるかを身を持って教えてくれているのです。
人生は道路のようなものだ。一番の近道は、たいてい一番悪い道だ。 とタクシーの運転手さんに言われて、 じゃ、おすすめコースでお願いします。 と答えた時に感じました。
お礼
同じ言葉でも捉え方はさまざまですね。 勉強になりました。 回答ありがとうございます。
- mojitto
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いかにも信じることが美徳とされている、現代にウケそうな、うわべだけの言葉ですね。 その信頼が美徳という考えで、長い時間かけた信頼が裏切られたケースなんか、教科書にもニュースにも溢れているのに… 信頼は疑うことをやめた怠慢です。 信頼は植物ほど簡単ではありません。 突然枯れたり、トゲをもったり、毒をもったり、臭気を放つこともあります。 これも自己責任と受け取れるようでないと、信頼は破滅への引き金になります。 まぁ逆に言えば信頼というのは損得度外視のある意味崇高な考え方です。 そういう意味でも植物には例えられません。 あっちなみにバーテンダー曰く、酒は出されたらすぐに飲んでほしいそうです。 世の中、パンと同じではありません。
お礼
同じ言葉でも捉え方はさまざまなんですね。 勉強になりました。 丁寧な回答ありがとうございます。
お礼
とても参考になりました。回答ありがとうございます。