※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:歌舞伎等の古典芸能に付いて)
歌舞伎等の古典芸能について
このQ&Aのポイント
歌舞伎等の古典芸能は元々は出雲の阿国に代表されるように河原乞食でしたが、段々と小屋を設けて芝居をするようになりました。
歌舞伎は野郎歌舞伎に変遷を経て、男が女形になりました。しかし、現在のマスコミ報道は歌舞伎界を持ち上げ過ぎていると感じる人もいます。
古典芸能を名乗る割にはいい加減な連中が多いと感じる人もいます。歌舞伎界は芸だけは修業しているかもしれませんが、道徳的な問題もあります。
歌舞伎等の古典芸能は
元々は出雲の阿国に代表に代表されるように河原乞食ですよね、芸人が旅回りしてて河原で
煮炊きをしててこういわれる様に成ったと思いますが
それが段々小屋を設けて芝居をするようになったんですが
当初は女性だけでしたが歌舞伎はそれが野郎歌舞伎に成ったり変遷を得て今の男が女形に成ったりしての現在と思いますが
現在のマスコミ報道は歌舞伎界を持ち上げ過ぎかと私は思ってるんですがいかがですか、
所詮ルーツは河原乞食上りですから残念ですけど
それを何を勘違いしてるのかスター気取りで六本木でいい気で真夜中まで飲んでて事件を起こす輩も入るし何を勘違いしてるのか女性関係もダラシナイ連中も多いし何なんでしょうか、古典芸能を名乗る割にはいい加減な連中が多いと思いませんか、歌舞伎界は芸だけはそれなりに修業してるんだろうけど、日本人としての道徳は修業してるのと言いたいんですがただの芸能人に成り下がった輩が余りにも多いと思われるので苦情を書かせて貰いました、反対意見有りましたらどうぞ。
お礼
回答ありがとう 四条河原の件と河原乞食の件でもルーツは同じと思いますが始めからその河原の近くに 芝居小屋を建てて興業を出来た分けでは無いと思いますが京都自体が選都1000年チョツトですよね、 それ以前の芝居芸人はまだ歴然と区別の無い時代は漂白民族でそこに定住しないで各地で芸を見せながら 転々と全国を渡り歩いてた時の呼称が河原乞食としての呼称が有ったんじゃ無いのかな、芝居小屋が立って興業する前から、その伝統で無くて習慣でも無いし名残かな、芸人十把一重で芸人≒河原乞食が定着したと私は思ってます、他の人が一生懸命食糧増産等に励んでる時に食べる為だけには何にも約立たない職業ですから芸能はそれを卑下して河原乞食と蔑称で呼んでた面は捨て切れ無いと思います。 それが時代を経て歌舞伎.能.狂言等が時の権力者に認められ.庇護されて今に至ってると思います。 まだまだその他にも芸能は有るのに時の権力者に認められて現在に来てるから他の芸能より各上とか思ってる歌舞伎役者はノボセ上がりも甚だしいと思います。 それと出雲の阿国の名前の由来を知ってたら教えて下さい、 私は出雲方面から都に流れて来た漂白系と思ってますがそれで踊りがたまたま優れてて人気が出て来て秀吉の目に留まったのが最初かと他の漂白系の殆どは山脈の尾根を伝い全国を定期的に渡り歩いて香具師等で生計を立てていました、時折里に下りて来て物々交換をしながら昭和の初め位まではそういう人は入たんじゃナイカな、人口統計に入らない人たちが。