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大学生のアスペルガーサークルの参加について
- 大学生のアスペルガー症候群の男子が茶道サークルに参加しているが、人前に出るプレッシャーやじっと座っていることの苦しさから、参加するのが精神的に厳しくなってきた。
- 茶道を始めた目的を達成するためにはサークルを続ける必要があるが、適性の問題や精神的な負担を考えると続けるべきか悩んでいる。
- アスペルガー症候群の診断を受けており、皆さんの意見を聞きたい。
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質問者が選んだベストアンサー
茶道が好きなら、べつにサークルでやるべきようなもんではございませんので、 教習本も出ていますし、(口伝といいながらも開かれた茶道のために家元が書くようになった)、 おうちで、簡単なお道具でも揃えながら、ぼちぼち1人で稽古すればいいです。 社会人になってから、ひととおりの作法を知っていて茶室で飲めるだけでも役立つことがあります。 茶会の空気によって他人との溝を埋めるのは、アスペさんならとても便利かもしれません。 矯正目的はひとまずやめておいて、お茶を知り楽しむだけにとどめましょう。 そもそも1人でやるか、好きな人と数人で部屋にこもるかして楽しむものです。 そこで面白さがあれば夢中になって集中するはずです。 お点前の細かい違いとか、動線とか、お道具の見立てとか、季語とか俳句とか花とか、 知識がどんどん掘り下げられますので、 本から吸収するのもよし、師匠について稽古するのもよし、 とにかく無知どうしが集まって何も考えずにのろのろと漫然とやって楽しみが深まるもんではありません。 稽古は稽古として、サークルと分けて取り組むことをすすめます。 何事もそうですが、自然に集中できるような環境をみずから選んでいかないと、頭も使えないし心も踊らないではありませんか。 サークルではお茶会などもあるでしょうし、知りあったみなさんとせっかくの縁ですから付かず離れず、適当に参加しておくのがよいと思いますし、居心地が悪くなったら辞めていいと思います。
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- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
No.2です。先だってはご丁寧なコメントをいただきありがとうございました。 僅かながらの言葉でしたが、少し気になる部分がありましたので、少しばかりお話ししてもよろしいでしょうか?。 何か、質問者様が御自身を追い詰めているように感じられ危惧を抱きました。何か一つの物事にトライすることも確かに大切ですが、それが限られた時間内で結果を出すことのできる問題か、それとも制限時間を設けずとも許容されるかによって、どう向き合うかも変わってくるとも考えられます。判断の難しいところです。またそれぞれに対する答えも幾つかありうるものであり、一概にこれが正解などとは言えないと僕は考えています。 人それぞれに求める形が違うのであれば、それはその人の価値観ですから、部外者にはコミットすることなどとんでもない話ともいえます。 けれどもそんな中にあって気になったのは、質問者様が「本来の目的を達成するためにはこれを乗り切らなければならない」と自らに重い十字架を背負わせてしまっている部分でした。「あるべき自分」を求めて茶道を選んだのかもしれませんが、その「あるべき」の基準は一体何でしょう。 実際の僕は仕事を2つ持っています。一つは民間企業でシステム設計および後進の育成や従業員教育などに携わる仕事であり、もう一方は大学での専門領域(歴史学・日本史学)に関する研究と教育です。前者の日常を有り体にお話しするならば、それこそ自らのデスクにピッタリと張り付いて仕様書や設計書を作成しプログラムやシステムチェックに専念しているわけにもいかず、社内やクライアントとの折衝で部内には殆どいない状態です。まさに「落ち着きのない存在」そのものです。気が付けばあっという間に時計は定時を過ぎている状態です。時には電車で爆睡して乗り越しも珍しくありません。傍から見れば「非人間的人間」そのものとも映るでしょう。 そんな僕を「平凡な人間」に押し戻してくれるのは、研究室の仲間達や学生との週に一日の出会いです。何気ない遣り取りの中に刺激を受ける言葉も多々あるなどもしこのメリハリがなかったならばと考えたら、ゾッとしてしまいます。 質問者様が今、手にしているのは学業と茶道の2つですよね?。で学業には3年後に卒業しなければとの一応のタイムリミットがあります。けれどそこに至るプロセスは自らがデザインしなければなりません。選択科目の組み合わせは人それぞれの目的によって変化します。どれを基準とするかなどのガイドラインは殊に設けられてもいません。 こうした「モデルがないものの発想」を質問者様の茶道に採り入れてみたらどうでしょう。今までは「形に囚われ仰ぎ見ていた」ものが、遙かに自分の近いところにあることにお気付きになりませんか?。 もっと肩の力を抜いて、重い荷を負って坂道を登っている御自身の姿を時には想像し、時には休みながらまた歩き始めるスタイルではいけませんか?。恐らく利休は「よく来ましたね、一緒にお茶でも飲みながら世間話でもしていきませんか」と笑顔で貴方を迎えていると思いますよ。
お礼
ゆっくりと読ませていただきました。 ありがとうございました。
- E-1077
- ベストアンサー率25% (3258/12620)
我が家の息子がASなのでアドバイスを一言。 息子はピアノを習っていました。 じっとしていましたよ。 勿論投薬治療は受けていました。 茶道もやりました。というか私がやるのでどうしても生徒さんのお点前の時に主客が必要になるので座って貰っていただけですが・・・・・。 適正はどなたにもあります。 要はきっかけなんですよ。 あなたは自覚して努力しようとしているのですから、目的の半分は達成できたと言えます。 ASではじっとしていることの方が多い。ADHDの方が強く出ることもあるようなので、やはり精神的に自制をするのはもう限界だというのであれば、薬の力を借りることも視野に入れてもいいかもしれません。 視力が悪いからメガネをかけると同じです。 落ち着かないから落ち着くように薬を飲む。 風邪を引いたら風邪薬飲みますよね? 頭が痛いなら鎮痛剤だし。 息子は小4からずっと投薬治療とSSTをしていますが、ASは得てして年長者と教師には受けがいいので区別がつかないそうです。自宅にいるときの様子を話すと皆驚きますもの・・・・。 結論:活動回数を減らし、自分にあうペースでの参加を続ける。 のが良いと思います。合わない・出来ないからとサークルを脱会すると益々そこに劣等感を持ってしまう可能性があります。 サークルは「どうしてもしなくてはならない事」ではありません。大学は「勉強」するところですから(笑 授業中に集中できなくなったらそれはもう・・・・急いで心療内科で相談に行くべきですがね。 自己分析が出来るのもASの特徴です。しかしちょっとずれるのもASならではの事です。 大丈夫だと思います。 カテゴリー的にはあっていますよ。
お礼
ご返答ありがとうございます。大変御礼が遅くなってしまいまして申し訳ありません。 同じASの息子さんをお持ちの親御さんからのご回答、それも茶道とかかわりがある方からということで、正直感激しています。 薬物療法は一応受けています。 ですがどちらかというと気分を安定させる薬(エビリファイ)のようでちょっと効果が違う気がします。 今週心療内科に行きますので、そこで少し相談してみようと思っています。 結論:活動回数を減らし、自分にあうペースでの参加を続ける。 確かに、これが一番よいような気がします。 といいますか、選択肢がないように感じました。 E-1077さんが言われるように、やめてもいいのでしょうが、もしやめてしまうとドミノ倒し的に大学も辞めてしまいそうな気がしますので。
No.3の再訪。 >気質、ですか。やはりそうなのですよね、でも何とかしたいのが本音です。 >せめて決められた時間だけでも、じっとしていられる人間になりたいのが私の願いです。 じつは,ぼくも幼少のころから「落ち着きがなく,心ここにあらずの問題児」でした 笑。小学校のベテランの先生でさえ,新年度しばらくのあいだは「passersby2君は,べつの学校に移すべきではないか」と悩んだといいます(ずっと成長してから聞きました)。精神科医に診せれば,なんらかの病名はつくはずです。 その気質や個性(ぼくは決して病気だとは考えない)は一生のあいだ変わらないでしょうが,年齢を重ねてくると自然に体が鈍重になりますし,社会での責任も重くなり理性的判断によって行動は慎重になります。18歳で落ち着こうなんて,早すぎます。 「決められた時間だけ座していなければいけない」と<考えて自分を追いつめる>のが,いけないと思います。座していることを忘れるだけの「なにか」をすればいいわけで,頭の中で設計図を引くとか,数学の難問の解法を考えるとか,あるいは狸寝入りするとか。ただし,これは社会で「長」職に就くまでです。会議中に議長が眠るわけにはいきませんので 爆。
お礼
ご返答ありがとうございます。遅くなってしまい申し訳ありませんでした。 私も小学校時代にはpassersby2さんと同じようなことがありました。後から聞いたことですが、それがきっかけで私は受診しました。 >> 「決められた時間だけ座していなければいけない」と<考えて自分を追いつめる>のが,いけないと思います。座していることを忘れるだけの「なにか」をすればいいわけで,頭の中で設計図を引くとか,数学の難問の解法を考えるとか,あるいは狸寝入りするとか。ただし,これは社会で「長」職に就くまでです。会議中に議長が眠るわけにはいきませんので 爆。 最後の一文を含め、「座していることを忘れる方法」を少し考えてみることにします。 よく考えれば、今ですが、こうやって大学のコンピュータ室のパソコンに向かって作業をはじめて1時間ほどになりますが、特別座しているのが辛いと感じることは少なかったことに気づきました。(モゾモゾしたりしているからだ、というのはありますが。) これはタイピングすることによってうまく座しているという状況を忘れられているということと思います。 こんなことをサークル中に探してみたいと思います。 ありがとうございました。
- oakfyks
- ベストアンサー率47% (8/17)
No.1です。 「何かうまく伝えるよい方法などあればご教授いただけるとうれしいです。」とのことですが、質問者様は少し深く考え過ぎかもしれません。 自分も色々とこだわりが強く、集まって何かする時には周りに迷惑をかけてしまいますが、そこは自分の個性なんだと説明しています。集合時間・進め方など気に入らないと本当に何度でも意見します。迷惑ですね(笑) 障害は個性のひとつだと思っています。だから別にその特性の一部に障害という枠組みを与える必要はありません。 「自分は~するのが苦手だけど、…」みたいな感じで、軽く出してみたらいかがでしょうか。 大学なんていろんな人がいますから、「へー」くらいで別段周りも気にせずにいてくれるのではないでしょうか?自分の周りはそうでしたよ。 むしろ、「こんな世界もあるんだということを教えてあげる」くらいの感じで行ってみたらどうでしょうか?もちろん横柄な態度ではダメですが(笑) いずれ伝えるにしろ、しないにしろ、一生付き合っていく「個性」を大切に、そして好きなものとの折り合い方を考えながら仲良くなさってください。
お礼
ご返答ありがとうございます。遅くなってしまい申し訳ありません。 障害=個性ですか。 どうも私は「障害から来る特性で自分にとって大きなマイナスのもの」といった形で捉えているようです。 これではデメリットとしか考えられないですよね。 考え方を改める必要があるという課題に出会えました。 ありがとうございました。
>高校時代に始めたときの本来の目的を達成するためにはこれを乗り切らなければなりません。 たかが植物の乾燥粉末を座して飲むのに,そんなに気張らなくてもいいのでは? 爆 帰りにマックで,泥水みたいなコーヒーを立ち飲みしようよ。落ち着きがないのは,気質。一生このままでしょう。
お礼
ご返答ありがとうございます。 気質、ですか。やはりそうなのですよね、でも何とかしたいのが本音です。 せめて決められた時間だけでも、じっとしていられる人間になりたいのが私の願いです。 何か茶道に変わるものを探すのもよいのかとも思えてきました。難しいですね。
- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
こんばんは、夜分に失礼します。先ずは質問者様御自身がとても勇気ある人物であることに敬意を表します。 余り茶道には詳しくないので、誤りがありましたら正していただければと存じます。 茶聖の利休が茶を恃む時に最も大切にしたものは何でしょう。客人に茶を振る舞う手順でしょうか。それとも客人をもてなす気持ちでしょうか。飾り気のない二畳から三畳ほどの空間に相手を迎えるために打ち水が打たれ、一輪挿しには季節やもてなす相手への気配りが施されるなど様々な仕掛けも施されています。 二度と会うこともないかもしれない相手と暫しの時を共に過ごす。けれどその相手にとっても迎える側にとってもその出会いだけは大切なものとしてしまっておきたい、こんな出会いを求めて始めたのが茶だったのかもしれないなどと、僕は勝手に考えています。 こんなことから、もし世俗にまみれた僕などが茶席を設けるならば、今度はどんな人に会えるのかとのちょっぴり不安とそして楽しみ以外の何ものもありません。そして一服のお茶でしばしの時を共に過ごす中でなにがしかの通じ合うものが得られれば、それはまさに至福の出会いともいえましょう。俗な言い方が許されるなら、それこそ裸の付き合いにも匹敵する感じです。 ですから茶道を楽しむならば、茶道の原点に立ち帰って、出会いを求める場くらいのお考えになっては如何でしょう。柔道や相撲が衰退している背景には、それとは全く無縁な「~道」の様にヘンにオカシナ精神性を求めてしまい迷宮に立ち入ってしまったことが仇なしていると僕は勝手に考えています。 もし質問者様が「茶道の力を借りて自分を鍛えたい」などとお考えならば、この柔道や相撲と同じ形になりかねません。その上、利休の言葉をお忘れになっているともいえましょう。利休が茶席で自らを相手よりも上段に置きましたか?。あの狭い空間では信長といえど利休と全く同じ立場でした、一服の茶と暫しの語らいを楽しむとの意味においては。 物事の手順が最初から最後からまで完結することと、物事に関わることは意味も異なります。茶道サークルに所属し茶道の手順を身に着けるだけと「茶」がどのような工程で人の手を経て作られているのかや茶道が中国でどの様にして生まれ日本へと伝えられたのかなどを理解して茶道に接しているのかでは意識も異なるのではなかろうかとも考えます。 こうした意味で、僕ならば「部活で鍛える」なんぞとの括りではなく、「茶道とどう付き合うか?」とリラックスした感覚ではいかが?とご提案させていただきます。 かく言うこの僕は、人と話すことが苦手で引っ込み思案な人間です。ですから余計に「言葉」には敏感になってしまいます。こうした部分では僕もアスペルガーに近いといえるでしょうね。
お礼
ご返答ありがとうございます。 全文読ませていただき、考え方、感覚の変換という新しい概念と出会うことができました。 また、私の考えは利休の言葉を忘れているという一文から、自分の無礼さを感じたと同時にもっと利休の考えを知らなければならないと思いました。 私がそのようなものにふさわしいのかも含め、何度か読み返し考えてみたいと思います。
- oakfyks
- ベストアンサー率47% (8/17)
質問者様が茶道が好きならお続けになることをオススメいたします。 確かにアスペルガー・ADHDをお持ちの方に必ずしも向いたサークルではないのかもしれないですが、質問者様はご自身が最近うまくいっていない理由にお気づきのようですから、克服の余地があると思いますし、質問者様だけが考えるのではなく、他のサークル員に理解してもらうように障害の特性などを説明するのも良いかもしれません。 どうしても無理な場合を除いて、障害を理由に何かを諦めるのはもったいない気がします。 質問者様の当初の目的が、果たして茶道を続けることで達成されるのかはわかりませんが、決して茶道をやっていたことは無駄にはならないと思います。 とても個人的な意見になってしまいましたが、少しでも参考になれば幸いです。
お礼
ご返答ありがとうございます。 特性の説明とのことですが、このことをオープンにするのは今の段階では避けたいと思っています。 ただ機会があれば、さらっと簡単に伝えてみたいとは思っています。 何かうまく伝えるよい方法などあればご教授いただけるとうれしいです。
お礼
>> 居心地が悪くなったら辞めていいと思います。 そうですね、気楽に考えたいと思います。 お礼遅くなってしまい申し訳ありません。 ご回答ありがとうございました。