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家出
あなたは家出をしたことがありますか? 小さい時から、一度家出というものをやってみようと思いながら、いまだに実行していません。 どんな気分のものなのでしょう。
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高校卒業し当時電車で14時間もかかる地方の大学に入学しそこで過ごしたあと東京に就職して34年。もう40年近く「家出」したままですね。父母も鬼籍に入り、私の故郷は窓辺の小さな漆塗りの「家」になってしまいました。 夫婦仲の悪い母が気の毒で、親に反抗したことはなかったです。最初の結婚では先妻が私に「反抗して」よく家出してました。 どうせ近くにある実家に泊まったのだろうとたかをくくっていたら、先妻は遠く離れた元彼に会いに行っていたのでした。 ともかく家出する先のあてがあるのは、いいことですね。先妻の元彼が住んでいたのは私の実家よりさらに新幹線の駅で2つ向こうでした。 家出ってなんか少年期の郷愁に浸れるいい響きの言葉ですね。 子供の頃は近所の繊維工場の資材倉庫に「隠れ家」を作って、親にしかられたりすると、飼っていた雑種の犬をつれて大きな木箱を積み上げた「隠れ家」に籠っていました。そこに籠っていることで、自分だけが世の中とは別の時間を生きて隠れ家からでてくると、父も母も別人のようにやさしく上品になっていて、テーブルの上にはおいしいトンカツが出されていて・・・みたいなことを考えているうちに腹が減ってきてこそこそ勝手口から家に帰る。 食堂のドアをあけるとまぶしいほどの光があふれ、そこには鬼のような形相で僕を見据える母親。父は脇を向いて晩酌をしている。弟はまるで自分がそこに存在しないかのように静かにうつむいて何かを口に運んでいる。 もちろんテーブルの上にはとんかつなどなくて、サトイモの煮物と名前も知らない煮魚が並んでいる。たぶん食べても骨だらけで身の少ない変な魚だ。 「こんな時間までどこに行っていたんだぁ」 父がこぶしを振り上げ、母が泣いて止める。巨人の星の星一徹をTVで見た時僕は何の違和感もいだかなかったのは、この父のせいだ。 なかなか家出も楽ではなかった。 それでも、派手な家出をしたことが一度ある。昔は子供向けの映画の割引券を学校で配ったものだ。東映アニメの作品が多かったが、よく同級生と見に行った。その日は休日で、同級生とみにいくからと小遣いをもらった。友達はでかけていてそれでも観たかった僕は一人で映画館に入った。昔は途中から見て次の会の途中で帰るみたいな観方が許されていた。途中からみて2時間ほどの上映が終わって休憩ののち最初からもう一回終わりまでみた。つごう4時間ちかくが過ぎていた。 冬の日はとっぷりと暮れていて、私は意気揚々と家路にむかった。考えてみれば映画館というのは、ちょっとした家出の小宇宙だなんて、当時小学生の僕が思うわけもない。鉄道の陸橋をわたってその先を見たときだった。 血相を変えた母親が、僕の顔を見るなり駆け寄って身体を抱きしめた。 「あなた、どこに行ってたの。○○ちゃんのところに行ったら映画には行ってないっていうから、そこいらじゅうを探し回ったのよ」 当時はまだ子供が川にはまっておぼれ死ぬなんてことがめずらしくなかった時代だ。人さらいこそいなかったものの、親たちは本気で人さらいを信じていたむきがある。 親父には殴られるだろうと覚悟した。親父も僕を強く抱きしめて涙をぬぐっていた。 だから、僕は家出はできないと思った。その僕が40年近く故郷を離れて家出してしまった。存在感の希薄だった弟は10歳の時に小児癌で夭折した。もうじき父の命日だ。今年の冬こそ墓参りにいこうと思う。
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家出してやるって捨て台詞‥行き先は家の敷地内の蔵(笑)1時間ももたなかった(-_-#)探している感じもなく、慌てている感じもなく‥。淋しくなってくる。家に入りたいのだけど捨て台詞の手前何か入りづらくてモジモジ。窓から家の中の様子を伺って‥『お帰り~』と言われた(笑)根性Nothingです(笑)‥小学3年生の頃。
お礼
ご回答有難うございます。 あ、その時の気持ち、同じです~。さすがに、家出してやるって捨て台詞まではなかったし、 当時のわが家は下町の、医院という立場上ちょっとだけ洋風な造りの家だったものですか ら土蔵なんて立派なものもなかった。 住まい側と医院側のちょうど間ぐらいの階段下に、使われていなかった薬品庫のような狭い 物置があって、わたしはもっぱらそんなところに隠れたものでした。 意地を張って、それでも一時間ぐらいはその物置に隠れていたでしょうか。次第にひとり寂 しくなってくるし、カギこそ掛けないながらも、扉を閉じた内部は真っ暗、でも、根が意地っ張 りですから、自分から投降して出て行くわけにも行かない。 ただひたすら、家人がご機嫌を伺いに来てくれることだけが心待ちの、今思えば馬鹿馬鹿し い抵抗だったけれど、でも、あの精神、あれは家出の衝動と同じ性質のものかもね。
ありますよ。 といっても小さいころ(6歳くらい?)でほんの数十メートルで 追って来た母親に連れ戻されてしまいました。 家出とまではいえないかもしれませんね。 兄弟喧嘩してのことだったので、 母に泣きながらわけを話しました。 涙が止まった頃に 母は「○○には内緒ね」と スーパーで買ってきたお好み焼きを わたしひとりに食べさせてくれました。 お好み焼きはまだほんのりあたたかかったです。 懐かしい思い出ですね。 不思議なことに 畑の中を走る自分(家の裏が畑だったので)と それを追ってくる母親の姿が まるで映画のように目に浮かびます。 母はたぶん覚えていないと思いますね。
お礼
ご回答有難うございます。 なんて微笑ましい家出ですこと。ほんの数十メートルであえなく挫折…だったとはいえ、その 意思をもって決然と出てお行きになったのですから、こりゃもう立派な家出(^^)。 お母様が、内緒ね…とひとりだけに食べさせてくださったお好み焼き…、そうなんでしょうね、 こんなに“温かい”お好み焼き、後にも先にもなかったのではありませんか。 畑の中を走るご回答者様とお母様、淡い色調が似合いそうな、なかなかいい雰囲気のシー ンじゃないですか、ぜひ、お母様にもお話ししてさしあげてくださいませ。
- hyakkinman
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ありません。 素晴らしい家族に恵まれて、幸せですから。 ひとりになりたい時もあるけど、それは家族に恵まれているからこその宝物の時だから。 たぶん、家出はいろいろ思い詰めてのことだろうから、【孤独】ですね。 いちばん嫌いなキーワードです。 そういえば… 子供の頃に、両親が共稼ぎのために、学校から帰っても家に誰もいなくて淋しくて… 長いこと、となりのおばさんにお世話になりました。 やがて、泣きながら両親に訴えました。 【となりのおばさんの子になりたい】と… そしたらなんと… すんなり養子縁組が決まってしまって… 10歳にして、親公認の家出をした私です。 優しい実の両親や兄と別れる日には、涙が止まりませんでしたが… それ以上に優しい養父母の愛につつまれて、幸せでした。 突然に姿を消す、純粋な家出とは違うけど… 淋しさにたえかねて、思い詰めた私がいたことは、事実です。 家出って、直面した苦難から逃げることなのかもしれないけど… 自分自身を見つめ直すきっかけみたいな感じで、前を向ければ悪くはない気がします。 突然の一人旅でもしてみませんか… 変わるんじゃないかな、いろんなことが…
お礼
ご回答有難うございます。 ・・・たぶん、家出はいろいろ思い詰めてのことだろうから、【孤独】ですね。いちばん嫌いな キーワードです・・・ この質問の答えが出たような気がするお言葉です。 ・・・となりのおばさんの子になりたいと…、そしたらなんと、すんなり養子縁組が決まってし まって…。 10歳にして、親御さんもお認めになった「家出」・・・、突然に姿を消す、純粋な家出とは違 うけれど、それでもなお、淋しさにたえかねて思い詰めたことは事実です・・・とおっしゃるご 回答者様、でも、そうしたご体験があるからこそ、いつも、どこであっても、とても暖かく人を 愛してやまないご回答者様が今居らっしゃるのでしょうね。 …家出って、直面した苦難から逃げることなのかもしれないけど、自分自身を見つめ直す きっかけみたいな感じで、前を向ければ悪くはない気がします… …突然の一人旅でもしてみませんか、変わるんじゃないかな、いろんなことが… とてもさわやかなお考えですこと。わたしには到底「家出」などと決意の要ることは出来ない でしょう。でも、このお言葉はそのまま理解できる気がします。そうですね、旅にでも出かけ てみましょうかねぇ。
- higan7813
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家出 65歳♂ 高校卒業後、東京に憧れて親に内緒で上京し数十年、 一度の家出でそのまま東京に住み着いてしまいました。 親に詫びを入れて、行き来できるようになったのは 東京で勝手に結婚した後のことです。 旧国鉄の鈍行列車で26時間かけて東京の上野駅に 着いたときはヤッターと新鮮な想いだったような気がします。
お礼
ご回答有難うございます。 終戦からまもなくのこと、親御さんに内緒で、旧国鉄の鈍行列車で26時間もかけて上野駅に、 憧れの東京はまだあちこちに戦災の傷跡が残っていた頃、駐留軍の兵士たちの姿もまだ多か ったことでしょう。そんな混沌とした東京にそのまま根をおろしたご回答者様、当初はいろいろ 大変なご苦労もあったことでしょう。でも、やがて生活の基盤も定まり、ご家庭にも恵まれ、その 後親御さんに詫びての許しも解けて・・・。 これはまさにドラマを見るようなご体験、家出にもいろいろな思いや動機があるのでしょうけれ ど、男子と生まれたからにはの大英断、なんですかとても素晴らしい「家出」のご体験談に接し て、わたしまで嬉しくなる気がいたします。 こんな時代に一世を風靡したという「上海帰りのリル」、ひとしおの想いがおありになること でしょう。
- alterd1953
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結婚前に親と喧嘩して、ちょろっとだけ家を出ました。 定期もおろして、さあ、どうしようかと思ってると 空に婚約者の顔が大きく浮かびました。 このままでは、まともな結婚式は挙げられないなと思い 家に帰り、親父に詫びを入れたら、おかんに顔を叩かれました(笑)
お礼
ご回答有難うございます。 ・・・このままでは、まともな結婚式は挙げられないなと思い、家に帰り、親父に詫びを入れたら、 おかんに顔を叩かれました・・・ 家を飛び出す…ということは、もちろん尋常なことじゃないでしょう。でも、次第に頭が冷えてく ると、いろいろ考え方も違ってくるものなのでしょうね。そうしながら、一段一段と、分別のある 大人になって行くのかもしれませんね。そうした人生の切り替えポイント、その瞬間を象徴する ようなお母様のビンタ、さぞかし効いたことでしょう…… な~んちゃって、経験のないわたしの こと、生意気な言葉になっちゃったかも、ごめんなさい。
- cucumber-y
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離婚のゴタゴタ時に半年ほど家出してました。 自由だけどなにをやっても楽しくならない・・・寂しいですよ。(^^;
お礼
ご回答有難うございます。 半年とはすごい!、 自由だけどなにをやっても楽しくならない・・・、そうなんでしょうね。 たとえ、今で言うなら、なにかのことで主人と大ゲンカをして家を飛び出したとしても、 ・・・今頃彼どうしているのかなあ、何かちゃんとしたものを食べているのかしら… とか、 どうせそんなところ。 これじゃほかの男の人と遊び回ってみたところで、心を熱くすることもできず、見えて くるのはただ自分の愚かさと寂しさだけ。結局は、帰るべきところに足が向いてしまい そう。
- NANAHUT
- ベストアンサー率42% (116/270)
ありますよ、今までに2回。 1回は子供の頃。 姉と喧嘩して家を出ました。でも7~8歳の頃の事。結局行くところがなくて、家の敷地内にある離れの物置に隠れました。 この時は見つからないようドキドキして、でも暗くなるし、お腹はすくし、トイレは行きたいし、どうしようかと思っていたら父親に見つかりました。 父は一言「何やってるんだ!」と語気を荒げましたが、それだけで夕飯の待つ家に。何事もなかったように終わりました。 2回目は新婚の時。 身勝手な主人に腹を立て家を出て友人宅に転げ込みました。そこから出勤し、1週間ほど過ぎましたが、主人からは会社にも連絡なし。 別れるつもりでアパートも探し始めましたが、家に電話した姉妹から主人が気にしていたと聞かされ帰りました。 主人は何事もなかったように私を笑顔で受け入れました。でも私は原因は主人にあると思っていたのに一言も謝らない主人にまた腹が立ち、戻ったことを後悔しましたが後の祭り。つまり主人は私の性格を知っていて絶対に帰ってくると思って、気もしていなかったそうです。 損をするのは自分なので、その後二度と家出はしていません(*゜▽゜*) あなたもやってみたいと思ったらやってみたらいかがですか?経験してみないとわかりませんから。
お礼
ご回答有難うございます。 見つからないようドキドキして、でも暗くなるし、お腹はすくし、トイレは行きたいし、それに寒かっ たりすると悲しくなりますよね。 お父様は一言「何やってるんだ!」と、語気こそ荒かったものの、それはご自身の安堵の裏返し だったのでしょうね。暗く寂しい外から帰ってきたわが家って、とても暖かかったことでしょう。 わたしの友達もハデな夫婦喧嘩をするときまって家出。そうですよ、妻が自分のワガママなんか で家出するほどのケンカになることなんてそうあるものじゃない。ほとんどは夫の無神経さか理 不尽さが原因ですよね。彼女の場合も、少し時が経てばパパさんが恋しくなるんだし、パパさん だって、気が済めば帰ってくるって信じて心待ちしている…、なんだかねえ。 あなたもやってみたいと思ったらやってみたらいかがですか? 経験してみないとわかりませんから・・・ ごもっとも、質問の書き方がちょっと軽率でしたね。
- localtombi
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Nさん家出したい? じゃあ、いらっしゃい♪・・・はさておき、やったことはないですね。 そういう心境や環境になったことがないし、どこに行こうか、お金はどうするかも全くイメージができませんでした。 家出はないですが、家の中で自分の部屋的な誰も入れたくない空間を作りたいという時期はありました。 自分の世界に篭りたいような、そんな感じ・・・
お礼
ご回答有難うございます。 家出したい?、じゃあ、いらっしゃい♪・・・ あ、あの~、最後の音符マークはどういう意味な のでしょう^^。 そうなんですよねぇ、人並み程度には豊かに、何ほどの苦労もなく育ってしまったせいなのか、 たとえ…家出してやる…と憤ってみたところで、どこに行こうか、お金はどうしょうかなどと 当面の問題が壁となって、もうそれだけでメゲてしまう。結局は甘チャンな自分をしっかり見 せつけられてしまうだけのことに。 辛い毎日に耐えかねて、もう後先なにも考えられず、遮二無二飛び出してしまう…、そうした 方々の想像も出来ないほどの苦悩、そんなことを考えると、たしかに家出などという言葉を安 易に考えたり使ったりしてはならないのだと思いますね。 でも、家の中で、誰も入れたくない自分だけの空間を作り、自分だけの世界に籠りたい、ええ、 そういう時期はわたしにもありました。わたしの場合、広い自室を与えられていながら、それ でも、ロッカーの中の暗くて狭い空間をとても愛したことがありました。こんな人間には家出を 語る資格など無いのでしょうね。
- アウストラロ ピテクス(@ngkdddjkk)
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何回かありましたね。 しかし、外灯も無い田舎だったんで、家から数百m辺りのところで「生きて行けない」と思っていつも引き返しました。 猪も出没するので。昔轢かれそうになって怖い思いをしたので。
お礼
ご回答有難うございます。 何回も…、そのお言葉に心が痛みます。街灯も無く猪も出没するご当地で、家から数百m辺りの ところで、「生きて行けない」と思っていつも引き返された…、経験のないわたしではありますが、 その時の怖さ、孤独感、行き場のない寂しさ、やむなく引き返す際のむなしさ、さぞ辛かったこと でしょう。それにしても、猪に轢かれそうになった…、それはもう聞いただけでも怖いです。 辛く不愉快な思い出を蘇らせてしまってごめんなさい。
- tenten41
- ベストアンサー率10% (37/338)
おちょくりはやめましょう! 家出するには、それなりの理由があります。面白半分で言う事ではありません。
お礼
ご回答有難うございます。 けっして「おちょくり」をするつもりもなく、面白半分で立てた質問でもないつもりだったのですが、 ご忠告を頂いて、必然性という面から、確かに質問としてふさわしくなかったなと痛く反省して おります。 暮れもそう遠くもなくなったこのところ、古い書籍の整理をしておりましたところ、若かった頃の とても古い日記を何冊も見つけました。一冊を手に取って開いてみましたところ、とても乱暴な 字で、…親にも兄にも分かってもらえない、みんな大嫌いだ…といった意味の過激な言葉が…、 でも、読み進むと、…結局わたしには家出なんて出来ない、そんな勇気さえないわたしが情け ない…と、そこでその日の書き込みは終わっていました。 家出をするには、それなりの理由や衝動が無くてはならない、でもそれだけじゃないはず。勇気 とか決断力とか、あるいはどこかで心の中の打算とか…。そんなことを考えていたら皆さまの お気持ちを聞いてみたくなったのです。お目障りとは思いますが、どうかお許しくださいますよう に。ご忠告有難うございました。
お礼
ご回答有難うございます。 とてもいいお話しを…と書いたら失礼でしょうか。とても悲しいことが連続して書かれているのに、 読後感としては、とても暖かいものを感じてしまった、ご回答者様のやさしいお心がそんな印象を 与えてくれたのかもしれません。 高校の卒業、大学への進学、そして東京に出てからも34年。都合40年近く「家出」、つまり、家 を出たまま…。故郷はさぞかし遠い夢の世界なのでしょうね。ただ、思い出され、ご自身でも誇り に思えること、それは、夫婦仲の悪かったご両親、お母様の辛いお気持ちを汲んで、ご両親に反 抗したこがなかった、そのお優しい心情…。 先の奥様の家出と行状、なのに、ともかく家出する先のあてがあるのはいいことですね…とお書 きのご回答者様。男の方ってそこまで大きな気持ちを持てる、そのことにも驚いています。 子供の頃に作った秘密の「隠れ家」、ワンちゃんと一緒にそこに籠っていると、そこは別世界。まる でご自分だけが世の中とは別の時間を生きているみたいな、不思議なほど安らぐ空間…、そして、 そんな隠れ家から出てくると、そこは一転理想の世界に変わっていて、ご両親は優しく、夫婦仲も 良く、テーブルの上にはご馳走が…。でもしかし、そっとお勝手口から家に入る…と、まぶしい光の なかに、現実の冷ややかな世界が。 「父がこぶしを振り上げ、母が泣いて止める。巨人の星の星一徹をTVで見た時、僕は何の違和感 もいだかなかったのは、この父のせいだ」 「僕は一人で映画館に入った。途中から見始めて、次の回を最初からもう一回終わりまで、都合4 時間ちかくが過ぎていた。冬の日はとっぷりと暮れていて、私は意気揚々と家路にむかった」 「考えてみれば映画館というのは、ちょっとした家出の小宇宙だなんて、当時小学生の僕が思うわ けもない、鉄道の陸橋をわたってその先を見たときだった」 そこいらじゅうを探し回ったのよ…と、ただならぬ様相ながら、しっかりご回答者様の身体を抱きし めてくださったお母様。しかも、意外にも、涙を浮かべてまで息子の無事を喜んでくださったお父様…。 『だから、僕は家出はできないと思った。その僕が40年近く故郷を離れて家出してしまった。存在 感の希薄だった弟は10歳の時に小児癌で夭折した。もうじき父の命日だ。今年の冬こそ墓参りに いこうと思う…』 辛く悲しいご経験、そして読むにも辛いお言葉、なのに、読み終えてみて感じたことは、とても暖か い文章。親子の愛、ご兄弟から先妻さんにいたるまで、暖かい視線をお向けになっているご回答者 様、なんて暖かく優しいご回答。なんですか、一冊の文学作品を読み終えた後のような清涼感、わ たし、うまく言えないけれど、本当に感動しました。おもわず涙が…、いえ、熱い涙が…。