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条文や判例の文章がおかしいのイライラします

法律の勉強をしてますが、文章が難しいというよりおかしいし、わかりずらいし、現代文法的にも間違っているし、回りくどく、意味不明で、馬鹿が書いた文章じゃないか?なんで頭のいい人がちゃんと作らないか?って思うほどイライラします。少なくとも、我々より低能者が条文や判例を書いてるとしか思えません。 なぜですか。なぜそのような頭の悪い法曹(特に裁判官)を野放しにして世間を腐らせるのですか。 もっとわかりやすいほうがいいじゃないですか。

みんなの回答

  • n_kamyi
  • ベストアンサー率26% (1825/6764)
回答No.5

法律が作られた時期を考えれば、現代文法と違っていても仕方ないでしょう。 どちらかというと古文に近いのではないかと。 古文をわかり難い!これ書いたやつ馬鹿じゃないか?とは思わないでしょ? んで、何故、現代文法に変換していかないかというと、変換する過程で法律の解釈が変わってしまったら困るわけです。 誰がどういう責任で法律を現代文法に変換していくのか?という話になります。 だから解説本が売れているわけです。 解説本はあくまで書いた人の解説ですし、それが100%正しいとは限りませんからね。 従って、裁判等で条文をもとに判例が形成されているわけです。 判例は法律よりも重いことがあると言われる所以もそこにあります。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.4

法律というのは、理論的に矛盾があってもいけないし、 隙間が出来ても困る訳です。 体系的にも整合性が要求されます。 また、必要十分な文章であることが要求されます。 足りないのは勿論駄目ですが、余分なども解釈上 の問題が発生しますので、駄目です。 こういう色々な性質があるため 普通の日本語とは違うような文章になって しまうのです。 小説などとは違うのです。 専門書ですから、普通の日本語と違うのは当然でも あります。 電子工学の専門書を読んで、解りづらい、文章が おかしい、と文句は言わないでしょう。 それと同じです。 数式が書いていないので、素人でも理解できるはずだ、 そうでなければオカシイ、と錯覚してしまうのです。 文句をいっても、しょうがありません。 慣れるしか方法はないのです。 尚、憲法などは、特に前文は外人が三日で造った英語の条文を 翻訳しているため、おかしな表現になっています。 その他、民法とか刑法、商法はそれほどおかしな文章 にはなっていないと思いますよ。 何か、例を挙げてもらえませんか。 そうすれば、説明しやすいです。

noname#210617
noname#210617
回答No.3

まったくそのとおりだと思います。 漏れをなくそうとするあまりのことではないか、とも思うのですが、それにしてもなんとかならないのかと思います。 役人とか、法曹界という狭い世界では、平易な文章を書くのは頭が悪いということになっているのでしょうね。

  • Streseman
  • ベストアンサー率24% (131/542)
回答No.2

ん?ちょっと主張が混乱しているように思う まず、条文の類に対して苛立ちを覚えるのは、制定時の語彙をそのまま改正せずに利用している関係がある 旧刑法などもそうだし、未だにその類の法律は存在しないでもない これらは現代文としては馴染まないにしても、制定当時の言葉としては通用したものであって、それに対して苛立ちを覚えるのは仕方ないにしても、特殊事例として辞書と相対して対処するしかないだろう。 もっとも法学・法曹でその部類の読解が難しい条文はそんなに頻繁には出てこないだろう 他にも条文でも、例えば条例などで意味不明な条文は多々ある。よく見受けられるのが、条例前文などの「○○都市宣言」の類の議会の自己満足的な立法経緯を感じられる条文である これは醜悪だが、あくまでも法的拘束力のない目的・理想論の条文として特段に留意する必要性はないだろう もっとも、憲法・教育基本法などの基本法前文については、ある程度整理された条文であることが望ましいだろうが 次に判例だが、指摘されるような苛立ちを覚える文章が多々ある ただし、これも理由が指摘できる 例えば、下級審の場合では、上級審の難解な判例をそのまま引用して判示することから、難解になっている事例も見受けられる ただし、質問者が抱く判決文への苛立ちは、価値観・政治思想に依拠しないものだとすれば、概して質問者の知性の程度問題だと言うしかない つまり、質問者が低脳だと思うのは、質問者の水準が裁判官が世俗向けに残した文章の水準に対して、相応に高い水準にあることに由来するのだろう 要は、質問者の水準が異様に高いか?もしくは、裁判官が意図的に文章水準を下げているか?もしくは、無理に難解にして判示をファジーにしているか?という可能性が想定できるだろう ちなみに、質問者は”もっと分かり易い方が良い”というが、実にその分かりやすさの危険性を顧慮する必要性がある 例えば、『違法ではない = 合法』  ではないわけだが、世間をそのように誤認する。その誤認を裁判所が「分かりやすさのために」と表現をねじ曲げれば法理論・法的安定まで崩れる 上記の指摘が理解できない水準なら論説しても無意味だろうが、報道にしろ、一般人の認知にしろ、厳格さ適確さにかける部分が多いのであって、判決文の類がわかり易さを求めるものではないだろう まぁ、権威主義者からすれば、「わかり易さ」は反権威だと言う見解もあるようだが・・保守系の論者の言葉だがw

  • 1582
  • ベストアンサー率10% (292/2662)
回答No.1

とりあえず例文でも出してくれんと 判断しようも無いわけだが この質問文そのものそことかと思ったぞ