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遺影とお水について

先日父が亡くなり、お葬式も無事終わり、 その際、遺影の入った小さなフォトフレームを頂きました。 私は実家住まいではないので、そのフォトフレームを自分のアパートに持ち帰ったのですが、 母から、毎日お水をあげてねと言われました。 でも、父の顔がよく見える場所にフォトフレームを置くとお水を添える事ができません。 かと言って、見えにくいところに置きたくはないし....。 私の所には仏壇もないのに、お水を添える意味を教えて頂ければと思います。

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  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2724/5433)
回答No.4

遺影にお水を供えるのは仏教や宗教とは全く関係ありません。 お母様がどんな気持ちから水を差し上げるようにとおっしゃったかはお母様に聞かねば判りませんので、ココでは一般的な解釈について答えます。 亡くなった人に一杯の水を供えるのは、施しという意味なのです。または陰膳というものから来ています。 様々な意味合いがありますけど、まずは長い死出の旅に、のども渇くだろうからせめて一杯のお水をと言う意味。 仏教では浄土信仰ではそのまま仏になりますが、あの世でも悟りに至る(仏陀になる)まで長い修行が続くという考えもあり、せめて一杯にお水をという考えもあります。コレは全て布施の精神から来るものです。 また、陰膳という風習があります。 これは本来は生きている人で遠く離れた人の無事を願って食事が出来るようにという意味で自分たちを同じ食事を差し上げます。自分達の食事の最後に陰膳も皆で食べます。コレが次第に簡略化され、小皿にご飯だけを盛ったり、水だけになったものです。 仏教では生きていても死んでも魂は不変という考えからやがて亡くなった人にも食事を備えるようになりました。(施餓鬼とは少し意味が異なりますけど) 様々な起源があり様々な風習が重なっているので特定することは出来ません。いずれも故人の冥福を祈るという気持ちの現われということは共通しています。 お水の差し上げ方ですけれど、毎日新しい水に取り替えて捧げるという方法だけではなく、手を合わせる際に水を差し上げて祈り終えたら下げてしまうという方法もあります。コレであれば日常では姿を拝する事も出来るでしょうし、衛生的で安全でもあります。 捧げたものはそのまま捨ててもいいし、祈る間だけなら短い時間ですので飲んでしまってもかまいません。 先ほど書いたように、陰膳やお供えは下げて皆で頂くと言う風習も昔からあるのです。ですからそれはご自由にしてください。 陰膳は必ずしも写真の前というわけではありません。昔は写真などなかったですからね。いつも座っていた場所とか皆のお膳の一角とか、棚の上とか、決まった場所も特にはないです。

noname#197844
質問者

お礼

お礼の返信が遅くなり申し訳ありません。 とても分かりやすく、納得がいきました。 勝手なイメージで写真の前にお水を置かないといけないのかと思ってましたが、 どこに置いてもいいんですね。 さっそくお水を添えて、写真に手を合わせました。 ありがとうございました。

その他の回答 (3)

  • mibuna
  • ベストアンサー率38% (577/1492)
回答No.3

故人によって状況は変わりますが水が欲しい場合は現世から 供えて貰わないと飲む事が出来ません(目の前にあっても飲めない)。 他の方への回答で書いた事がありますが花は枯れてカサカサ、水も 供物も何も無い放置プレイの実家の仏壇を掃除したら嬉しくてご先祖さんが 私の体に入ってしまった事があります。門徒(浄土真宗)なので 教義では極楽浄土に全員行っているはずなのですがなぜか4人も・・・。 なぜ体に入っているのが判ったかというと当時御世話になっていた 天台宗の方(故人)の所で月並際があって(天部の神様も祀っている) そこで玉串でお祓いしてもらったところ猛烈な吐き気が・・・。 そして不動明王さんの前で燃えている蝋燭が垂直に左半分だけ 燃えるというあり得ない現象も・・・。 神仏に訪ねてもらったところご先祖さんが嬉しくて子孫の 私の体に入ってしまったそうですが除霊して体から出て行ってもらいました。 この時、神仏からの指導で我が家に仏壇は無いが陶磁器(ガラスは不可) の容器に水を供え『ご先祖さんお水どうぞ』と声を掛けなさいと 言われて今も台所の片隅に水を供えています。 この時初めて判ったのですが人霊はガラスのコップだと水が 飲みにくいそうです(神仏はガラスでも大丈夫)。 別件で私の友人の知り合いで(若い女の子で)体はどこも悪くないのに 原因不明で倒れてしまうので困っている(てんかんではない) というのでこの天台宗の方を紹介したところ、神仏に原因を尋ねると ご先祖さんで水が欲しい人がいたのですが位牌のない仏壇で何も供物をお供え しないので苦しいご先祖さんはこの家族の中で一番弱い娘さんに くっついていてその影響で時々倒れていたのです。 位牌は故人の霊魂が取り付く島なのですが位牌がないと子孫に くっついたり入ったりする事があるのです(溺れる者は藁をもつかむ)。 この家族も門徒で真宗禿にお参りに来てもらっても何も変わらず 仏壇に供え物があると下げるように指導されたいとのこと。 (報恩のお参りであって先祖供養はしないんだからそりゃ何も変わらん) 幾つもの有名な宗教団体も渡り歩いたそうですが全く治らず 天台宗のこの方の所に来るまで全く解決出来なかったそうです。 水がほしいご先祖さんがいても此方(現世)からは分かりにくいので ご先祖さんの為にも子孫の為にも水は供えてあげた方が良いと思います。 (長文ですみません)

noname#197844
質問者

お礼

ちょっと難しかったですが、回答ありがとうございます。 こういったことにとても疎いので、勉強になりました。

回答No.2

フォトフレームの遺影はご位牌でもなくお墓でもありません。記念品なので、お水を上げることは意味がないと思います。どうしても拝みたいのなら、ご位牌をもう一つ造り、お寺さんに魂をいれて戴かなければなりません。お母様は気持ちで言った事だと思います、責めないでください。

noname#197844
質問者

お礼

さっそくの回答ありがとうございます。 私も記念品のような感覚でいたのですが、 母にもう一度どうしたらいいのか聞いてみます。

  • kool_noah
  • ベストアンサー率33% (95/285)
回答No.1

宗派によって違うと思いますが、昔から、お茶か水と仏飯を供えます。 浄土真宗とかだとお茶や水は飾らなかったと思います 曖昧で申し訳ないんですが、、たしかあそこの教えでは浄土には池があって、そこの水があるから心配ないって教えだったような・・ 他にも臨済宗とかですと、お茶や水は供えるけど、仏壇の中には入れないとか・・あの中はお釈迦様が見守ってくれている浄土だから入れないとか・・ フォトフレームといった写真もなるべく仏壇の中には入れないようにといった、教えをされるところもありますし。 曖昧な回答で申し訳有りませんが・・この機会に質問者さんのご実家で入られているお寺の教えをみてみるのもいいのではないでしょうか。最近ですと、その教えを心に留めつつも、やはり故人を思う気持ちが一番ということで、ある程度は自由でいいですよ。とおっしゃってくれる住職さんも多いみたいですけどね

noname#197844
質問者

お礼

さっそくの回答ありがとうございます。 確か実家の仏壇の中に写真は1枚もなかったです。 宗派によっていろいろですね。 頂いたフォトフレームの反対側に法要の日程のようなものが書かれていたので、 故人を忘れない為の写真だと私は思っています。 今度実家に行った時にでも母に詳しく聞いてみたいと思います。

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