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教員への道
質問を見ていただきありがとうございます。高校体育教員を目指す筋肉大好き18歳男と申します。 将来についての危機感を持ち、以前の ''専門学校に通い適当に就職して・・'' という考え方から ''大学に通いたい。行くならしっかりと勉強をして埼玉大学等(教育学部or教養学部?これについては後述します)で4年間勉強したい'' と、考えを改めることにしました。 私が大学に行くなんて天地がひっくり返ってもありえないことだと考えていましたので自分自身とても驚いています。 今の教育現場での惨状(教員であるという意識のなさや一般常識が欠けていたり教員という狭い視野でしか物事を見れない結果、間違った知識を生徒に教える等)を見聞きする内に、これはまずいんじゃないの?と思った次第です。(何年も前から問題視されていますが) 志を高くもつ生徒の気持ちを平気で踏みにじる教員が多いことも多々あります。私がそばにいる事によって安心して学校に通えるように心にゆとりを持たせてやりたい。生徒たちに安心感を与えたい。運動が出来ない子も運動を好きになるように無理なく導いていきたい。 体育教員の多くが態度のでかさや意味のない威圧をしています。まるでお山の大将です。これでは体育を嫌う生徒が多く出るのも無理はありません。 それで偉そうに健康云々言うので本当に頭がおかしいとしか思えません。(現代の体育はスポーツ教育を重視するきらいがある。スポーツライフ充実化・・?運動はできない子供にとっては放っておいてくれという話です。武道必修とか何を考えてるの?と。そのような運動嫌いの生徒さんに運動等によって楽しさ、あるいはそこから何を学ばせるかが教員の仕事であるのに、出来ない生徒を怒鳴ったりしている体育教員が多い。出来ないと怒られる→体育が嫌い→学校に行きたくないと。 武道必修化もそうで、強制しては意味がない。 やりたくない→学校に行かない 等問題になるのではと推測します。スポーツを手段として用いるのは大いに結構。しかし、スポーツは手段であって目的ではない筈です。スポーツのできる出来ないで生徒を評価しているのはおかしいのでは。体育教員は''教育者''であり''コーチ''ではない) 私は教員こそ色々な世界を知るべきだし、体育教員であれ勉強も人並み以上に出来なければ(勉強をもって何を学んだかを教えるには、努力や辛さの共有が出来るか否かで言葉の厚みに差が生じると考える。((勉強は人生に於いてぶち当たる壁ですが運動は出来なくても生きることに困らない事から共有が難しいのでは?))自分の経験や憶測だけで何かを教えるのはあまりに危険である)教壇に立つなんて恥ずかしくて出来ないことだと考えています。 とても読みづらい文章で申し訳ございません。 そこで私が考える教員になるまでの計画としては、11月11日にある高校認定検定に受かり、予備校に通いつつ一年間とにかく勉強し、埼玉大学やその他教育学部等がある国立大学で四年間勉強し、(この四年間で毛筆等習い事をしたり、色々なバイトを経験することによって視野を広げたり、検定等を取得したい)教員免許を取得後、難関な教員試験に無事受かる事。(体育教員と社会教員は倍率が高い。そもそも体育教員はあまっているので人手が足りている?)ここまでが私が考える体育教員になる計画なのですが、ここでいくつか気になることがあるので質問します。 先ず、体育教員になるには大学で学ぶ実技以外で何かひとつ''実績''を作らないといけないのか。又そうであった場合大学の四年間で何か学べば良いのか。 (インターハイだとかメダルだとか空手等) 二つ目に、教育学部と教養学部では何がどのように違うのか。どちらでも小中高と免許が取れるのか。 三つ目に、筑波大学の教育学群を受けるとして入試に実技等はあるのかどうか。 埼玉大学には絶対に入ります。生徒のために入らねばなりません。恥ずかしい話ですが偏差値45の高校に通っていました。(ドロップアウト)無理を通して道理ちゃんにちょっと引っ込んでていただく形になるかと思います。 四つ目に、筑波大学の人間学群の教育学類と体育専門学群ではどちらでも体育教員の免許は取れるのでしょうか。 私自身18の若者で嫌なことからすぐ逃げて勉強からも逃げてばかりでしたが、あまりの惨状に体育教員になることは俺に与えられた使命なのではないだろうかとドンキホーテばりの妄想を膨らましてしまいます。(これは危ないので現実に戻りましょう・・)また、ここで努力しないと一生努力しない人間になってしまう気がするのです。 理想と現時の狭間で悪戦苦闘している教員の方々はとてもたくさんいらっしゃると聞きます。 唐突ですが、教員はお給料の面ではとても快適でこの上ない職業だと感じます。税金を挟んでお金をいただいているので文句をいえるはずがありません。 また、散々体育教員や学校を貶しましたが、自分もこうならないように常日頃から気をつけないといけないと反面教師にして常に客観的に自分を監視し、謙虚であり、さまざまな方とお話をし、心穏やかに生活することを心がけて生徒を守れるように(勉強面でも精神面でも)難しいですが日々精進して参りたいと思います。 *大学を偏差値で基準にしているわけではなく、すべての教育者は並以上勉強はできるべきであるという持論があるので埼玉大学に入りたいと思った次第です。(日本体育大学を貶しているわけではありません。あそこは教育者になるというより自分が学ぶ意味合いのほうが強いのではないでしょうか。勿論教育者を目指してそこに行く方もいるでしょう) 又埼玉大学の教育学部に現在通っている方、現役教員でいらっしゃる方のご意見等があれば尚嬉しいです。 私の性格から物事にすぐ感化されて信じ込んだりしてしまいます。親や友人にもよく言われました。 たとえば本を読んでこれいいな!と思った情報やネットの情報だとかひとつの情報を盲目的に信じてしまうような気がします。これはどうしたら治るのでしょうか・・・まさに自分が正しい!少し見ただけで判断してしまいよく考えない、中身を見る前に自分の経験で物を言ってしまい自分自身嫌になることが多いです。(無意識に言っていると後で気が付くのです)指摘されたらそうだな・・と柔軟に物事を考えるにはどうしたらよいのでしょうか・・これは大学に通う四年間でなんとかしたいです。 質問ばかりですみません。 支離滅裂でまるで決意表明であることを深くお詫びいたします。最後まで見ていただいてありがとうございました
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- おに ぎり(@onigiri2011)
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お礼
おそらく数学(小)英語後(中学)レベルからやり直さないといけない状態だと思います・・・ 体育の先生に聞いてみるというご意見感謝いたします。 時間が許す限り勉強したいと思います。 何度も回答していただいてありがとうございます。