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車で攻めた走りをする
最近は車離れが叫ばれているが車を所有すればドライブに行くだろうし、 ある程度スポーティあるいは本格的にスポーツな車を所有したならば郊外の民家や車の少ない道や峠を攻めて走ったりはしないのだろうか? 週末の深夜等どこかへ行くという目的地への移動のためのみならずただ走るため、 愛車と対話をするために一つ一つコーナーを攻めていくそんな走りをしている方はもう絶滅してしまったのだろうか? 車で攻めた走りをすることについてなら過去の経験や思い出話でもどのようなことでも結構であるので是非考えや思いを伺いたい。
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No.5です。再度失礼いたします。 No.6の方に対するお礼を拝見し、思わず父の昔話を思い出してしまいました。父は60近いので、今から35年程前の話になるかと思います。 当時は暴走族全盛?の時代で、車好き繋がりで町の暴走族と付き合いがあったそうです。その暴走族の人たちは、夜な夜な峠でレースをする時以外は、本当に静かにマナーを守って運転していたそうです。暴走族とはいっても、純粋に車が好きで技術を磨くことだけに人生をかけたような人たちでした。 主にド田舎の農家出身の人たちで、なんと、機材置き場をガレージにしたり、サーキット場を作ったりして練習していたそうです。車が吹っ飛び田んぼに刺されば、すぐさまトラクターが迎えに来たとか(笑) その腕前たるや凄まじいもので、父曰く「奴らが乗ると、車が魔法のように動く」そうです(笑)。うまい人はやはり車の限界というものをしっかい押さえているのだとか。 それと父は、「今の人は本当の車というものが分からず、かわいそうでもある」とも言っていました。昔の車は構造も単純で改造もしやすく、複雑な電子制御もないので操る楽しさがある、という意味なのでしょう。私は昔の車に乗ったことがないので実感はできませんが。 私は、夜な夜な峠でレースをするのを推奨するわけではありませんが、車の運転技術を磨くという点は彼らに見習うべきかと思いました。車へのコダワリや愛着が、漫然とした運転を防ぎ、公道での安全運転に繋がるのではないかと思っています。意外と商用バンでかっ飛ばしている人を多く見ますが、自分の車じゃないから蔑ろにしているのでないかと思うときがあります。 以上、長々とすみませんでした(汗)こういう話は人前ではなかなか出来ないもので・・・
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>愛車と対話をするために一つ一つコーナーを攻めていくそんな走りをしている方はもう絶滅してしまったのだろうか? 別にこの行為は、峠を攻めなきゃできない事でもないかと思いますが…。 きちんと車の挙動や能力を考慮しながら、都心の交差点を曲がるだけでも体感できると思います。 そういう車ならなおさらです。以前、ロードスターを所有していましたが、場所を選ばず(さすがに渋滞路は…)楽しいものでした。
お礼
通常の市街地運転ではなくワインディングについての質問である。
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お礼
気になれば何度でも回答していただいて結構だ。 族と言ってもヤンキーと走り屋では隔たりがあり別個であるものは確かにはっきりとしていたな。 知っていることと知らないことの違い無知は罪なりとさえ言える程奥深い世界が車にはあるのだろう。 車を走りを愛する素晴らしい父上のお話とその思いを確かに受け継ぐご子息の意思、 忘れかけていた何かが心にぐっと染み入った素晴らしい良回答である。