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相手を否定する発言なの?

例えば、死刑賛成派の友人がいて、 死刑反対はのわたしがネット上で「死刑は人を殺すのだから、それを賛成する人は、人でなしですね。だから反対です。そんな人にはなりたくない。」 という書き込みをすると、 その友人から「きみは私(友人)を否定するの?」と言われました。 あくまで価値観の違いであって、その友人を否定しているわけではありません。 たしかにその友人の一部を否定することになるのでしょうが。 「そんな人にはなりたくない。」というのは「友人を否定」になるのでしょうか?

みんなの回答

  • kyo-mogu
  • ベストアンサー率22% (3398/15358)
回答No.9

 私も「人でなし」という部分が気になります。私も言われたらその部分で怒ります。  そんな人の部分ではないですよ。それは人でなしに輪をかけて友人を否定している形も成りますが。    死刑制度は命の大切さが有るからこそ生きている刑罰です。命の大切さ。命を失う悲しさを理解しないと死刑は意味を成さないと私は思って居ます。  言葉をよく考えて使わないと、あなた自身が友人を傷つけているのが多いのでは。他にも。

noname#190213
noname#190213
回答No.8

こんにちは。 このようなデリケートな問題を議論するときに、日常の砕けた会話のような、「人でなし」という言葉を使った相談者様は、少し配慮が足りなかったのではないかと思います。 もっともそんな深い意味で使ったわけではないのでしょう。現に、「価値観の違いであって、友人を否定しているわけではない」と思っていらっしゃるのですから。 問題が問題なだけに、この質問には、皆さん過剰な反応になってしまうと思いますよ。 友人関係を壊したくないのであれば、表現を間違えたと素直に謝って、きちんと説明したほうが良いのではないでしょうか?

  • hunaskin
  • ベストアンサー率30% (1854/6060)
回答No.7

「死刑は人を殺すのだから、それを賛成する人は、人でなしですね。だから反対です。そんな人にはなりたくない。」なんてことをいうやつはそもそも自分と考えの違う人間を「人でなし」なんて言葉で全否定できる無神経で考えの浅い人間で生きる価値もない。 と、言われた時に、 質問者様は自分の人格を否定されたとお考えになりませんか? ・もしもそう考えないのなら正真正銘のウスラバカですし ・そう考えるのであれば自分が同じことをしているのにそれに気づかないやっぱりウスラバカ ということになります。 と、言われた時に 質問者様は自分の能力も人格を否定されたとお考えになりませんか?

  • lions-123
  • ベストアンサー率41% (4360/10497)
回答No.6

>相手を否定する発言なの? 例えば、死刑賛成派の友人がいて、 その友人から「きみは私(友人)を否定するの?」と言われました。 あくまで価値観の違いであって、その友人を否定しているわけではありません。 「そんな人にはなりたくない。」というのは「友人を否定」になるのでしょうか? ↓ そんな意図や意味で仰っていないのは分かりますが、文章だけですと誤解を受けやすい表現であると思います。 ◇それを賛成する人は・・・「そんな人にはなりたくない」 ◇人でなしですね・・・「そんな人にはなりたくない」 賛成する人と人でなし、何れもが「そんな人にはなりたくない」に繋がっており、友人にしては、その意見・考え方を知っている 貴方に対しては自分の考え方・価値観を否定され、そんな人には成りたくないだけでなく、人でなしとまで言われているように感じたのではないでしょうか。 それは、考え方や意識や価値観を人格やパーソナリティの中の一部とは見做さず、友情や信頼の基盤であると考える場合には、価値観・意識や考え方の否定は友人としての信頼関係の否定に繋がると思われたのではないでしょうか・・・ 詳細な経緯やお二人の関係を知らない者の、傍観者としての一般論、客観的な感想で言えば・・・ 会って話す場合には、表情や傾聴する態度、イントネーションや前後の会話の展開で誤解を防げたり、同じことを言っても確認やフォローでメンテナンスが利きますが、ネット上の一方向の表現では受け止め方の誤解やバイアスが掛かり易い弊害の出た事例でしょうね・・・ 友情や信頼は価値観や感性(意識や受け止め方)が異なっていても成り立つし、色んなシチュエーションや問題で各々が違った反応や受け止め方をするのが気質であり、キャラクターやパーソナリティだと思います。 そして、その違いが有ろうとなかろうと、多かろうと少なかろうと、差異を尊重し認め合うのが相性・心地良い関係→信頼や敬意や相互理解であり、友情だと思います。 つまり、死刑制度に対する見解の相違・評価の違いを以て、人格や生き様や価値観を否定するかのような表現の不適切、言葉足らずが、誤ったメッセージに受け取られた誤解の原因だと思いますので、こじれた糸(誤解)は友情を大切にしたい気持ちと会話でほぐす事だと思います。

  • Saturn5
  • ベストアンサー率45% (2270/4952)
回答No.5

多分、死刑に反対する理由が生理的、ファンダメンタルすぎて、全否定に近いような ニュアンスになっているのがまずいです。 >死刑は人を殺すのだから、それを賛成する人は、人でなしですね。 >だから反対です。そんな人にはなりたくない 「人殺し」をする人でさ、犯罪者であっても人間なのです。 死刑を絶対的に肯定している人はほとんどいないのではないでしょうか? 世の中の凶悪な犯罪を見て、設置することが必要であるので仕方なく賛成している 人がほとんどです。このような人たちは人間ではないのでしょうか? この人たちに「人でなし」は言い過ぎだと感じませんか? 誰も人殺しがしたくて死刑を存続させようと思っていません。 死刑を設定することで、新たな凶悪犯罪を防ぐ効果もあるのです。 (抑止力は日本では実証されていませんが、古代中国等では明らかでしょう) また、自分の命より大切な子供を殺されたとき、親は自分の命と引き替えでも 犯人に復讐したいと考えます。 このような切実な親の気持ちにはどのようにこたえるのでしょうか? 死刑に反対するのに「人でなしだから」というのは理由になっていません。 犯罪者であっても命を奪うことは良くない、更生の可能性がある、などの具体的な 理由が必要でしょう。 「そんな人にはなりたくない」が問題なのではありません。 「人でなしだから」が相手を全否定しているのです。

  • ad884657
  • ベストアンサー率27% (10/36)
回答No.4

思いっきり否定しているじゃありませんか。 >人でなしですね この一言だけで絶交されても文句は言えません。   「私は死刑に反対です。死刑は人が人を殺すのですから賛成できません。」 のように、個人を特定しない表現を覚えるべきです。それが知恵というものです。  

  • kaisyu63
  • ベストアンサー率18% (54/295)
回答No.3

私は死刑賛成派です。 なぜかと言えば、何の過失も無く金目当てなどで殺された方の気持ちや、遺族の事を考えた事が有りますか。 貴女の親族が殺されても死刑反対ですか。 遺族には幼児も居ます。 父親を殺されたら収入の道を絶たれ、次の日から生活の事を考えなければなりません。 それだけでなく、親は子供が殺されたら何年経っても、よその子を見たら あー、今頃はあれくらいに成長していただろうと、悲しみは永久に続きます。 自分の価値観だけで判断しても良いのでしょうか。 死刑は判決後一ヶ月以内に執行すべきです。 その様な人間はこの世には必要が無いのです。 昆虫や微生物は役に立ちますが、死刑囚は何の役にも立ちません。 言えば、廃棄物と同じです。 貴方も価値観を変えるべきです。

  • netenjin
  • ベストアンサー率33% (327/973)
回答No.2

>「そんな人にはなりたくない。」というのは「友人を否定」 >になるのでしょうか? なるでしょう。 だって、質問者様は「賛成する人は人でなし」と言ってる 訳ですから、その友人が賛成してるなら、「友人=人でなし」 となりますよね。こういう賛成反対が分かれる議論をする場合、 意見そのものに対する反論や批判は問題ありませんが、 「意見する人自体」を否定する言論は問題を大きくし、収拾が つかなくなるので注意が必要です。また、論点がずれてきます。 今取りざたされている「領土問題」も似た様なものです。 「ここは我が国の領土だ」と主張する国が複数あったとき、 「自国の領土だ」という意見を主張する事と相手国の主張を 「それは違う」と反対する意見をいう事は問題ありませんが、 「その土地を○○の領土だと言う奴はアホだ」と言ってしまうと、 「領土問題」ではなく、ただ人格を否定する「個人攻撃」に なってしまいます。 つまり、質問者様の言い方だと死刑の良し悪しを超えて、 「個人攻撃」をしている(様に聞こえる)訳です。

  • usaty
  • ベストアンサー率41% (248/604)
回答No.1

友人が否定されたと思うのも仕方ないと思います。 質問者さんの言葉 「死刑は人を殺すのだから、それを賛成する人は、人でなしですね。だから反対です。そんな人にはなりたくない。」 この中の「それを賛成する人は、人でなしですね。」の部分が、言い過ぎた言葉だと思います。 それを賛成する人→友人 人でなし→友人 そんな人→友人(友人のようにはなりたくない) と受け取れます。 「死刑は人を殺すのだから、反対です。」 ↑これだけにしていたら、友人に対してではなく、質問者さんご自身の考えのみですので、問題はなかったと思います。 言葉といいうのは、「そんなつもりで言ったのではない」と思っても、受け取る側からすれば批判されたようにうけとれたり、否定されたと感じたりするものです。 でも「死刑は人を殺すのだから、それを賛成する人は、人でなしですね。だから反対です。そんな人にはなりたくない。」 これはやはり「友人は賛成しているので人でなしだ。友人のようにはなりたくない。」「友人は人でなしだが私は人でなしにはなりたくない(私はひとでなしではない)」 と受け取れます。 思ったことを正直に言うのは良い事だとは思いますが、 人間関係の中では、言わなくても良い言葉があるのです。