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母が重い

27歳女です。 私の母は性格がキツいです。細かいことによく気がつき相手を責め、気に入らないことがあると強く相手を叱責し、自分の非を認めず相手を許しません。そのせいで、母の夫、息子、母、姉、姉の息子など、親戚のほとんどとうまくいっていません。マンションの管理人ともけんかをする有様です。父とも別居状態です。友人もほぼいないようです。皆、疲れて母とは深く付き合いません。母を嫌っている家族からは、母の悪口を言われたり、「××(母)の育て方が悪いから**ちゃんもこうなっちゃうのよ」と悪口を言われることもありました。が、なんとか親戚づきあいを大事にしようと、私は今のところその家族とはうまくやっていっています。 母は、その状態を知ってか、私にはとても優しいのです。物心ついたときから「**は本当にいい子ね」と言われ続け、家族の愚痴などもすべて私に言われます。 それが重いです。その母から距離をとりたくて実家を出ようとしたときは泣かれました。結局、耐え切れず私は実家を出ましたが、罪悪感はぬぐいきれず、実家に近い家を選びました。 できる限り母に会いに行き、愚痴を聞き、サポートしようとしているのですが、その反面正直近くにいると母の人間性に影響されてしまいそうで、自分もこのように人から疎まれる存在に知らず知らずになってしまうのではないかと不安です。 また今後、年を取るにつれて、私にも家族ができますし、この重みをずっとしょっていく自信もありません。 母の人間性を直してもらおうと何度も話したのですが、もうこの年齢(61歳)になると、自分を変えることが難しいようです。なんとか友人を作ってほしいという話をするのですが、難しいようです。 どうしたらよいでしょうか。似た経験がある方がいたら、アドバイスをお願いいたします。

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回答No.2

こんにちは。同じ悩みを持っていた40代女性です。 持っていた、というのは、母が先日他界したためです。 おそらく、質問者様のお母さまは人格障害をお持ちです。 境界性人格障害、自己愛性人格障害などありますが、そのあたりでしょう。 ただ、すべての人に同じ態度、ということから、ちょっと特徴が違うかもしれません。 人格障害の人は、他人には優しく、社交的で明るく、ターゲットは身近な子や夫、妻になる傾向があります。 このような障害は、代々つながっている「連鎖」であることがほとんどです。 お母さまも、お祖母さんから同じことをされていた、という経験があるのではないでしょうか。自分が言われて傷つきながらも、傷そのものに気がつかず、同じことを人にしてしまうのです。 実際に、生存中は私も苦しみました。苦しみ、嘆き、怒り、憎しみ、といった感情が一気に噴出した状態でした。 母が病気になり、亡くなる直前はほぼずっと一緒にいました。 その時に悟りました。「ああ、この人は悲しい過去を持った人だったのだ」と。 友人に恵まれ、社交的で人に愛されてきた人です。 でも私や父には、愛情と比例して、誹謗中傷や暴力も介在していました。 今想うことは、母は苦しかったのだろう、ということです。 どうしようもなく苦しく、そして当たってしまったのだ、と。 私はそんな母が疎ましく憎んで生きてきました。 でも今、深く深く後悔しています。 なぜ彼女の苦しみや悲しみに気がつかなかったのだろう、と。 寄り添い、カウンセラーや精神科につれていく努力をすればよかった。 母の幼少期のトラウマを、母自身が気づき、癒していく過程を与えてあげればよかった。 母を煙たがらず、もっと母のそばにいて、母から色んな話を聞きたかった。 友人からの見舞いは多くても、娘があまり顔を出さず、一人でこの窓からの景色を見ていたんだろうか、と死に際の母と一緒に病室にいて、とても切なくなりました。 私たちのような体験者は、昔も今も結構います。 書物であなたに一度読んでおいたほうが、参考になるのではないか、という本を書いておきます。 ・毒になる親 ・シズコさん 新潮文庫 佐野 洋子/著 新潮社 ・放蕩記 村山 由佳/著 集英社 今まで、「どんな親でも親は親」という世間の言葉に憤りを覚えてきた私です。 その言葉に、被虐待者はどれだけ孤独感や苦しみを抱いているのか、無視されたような気分になるからです。 母が亡くなり、精神科やカウンセリングで私自身が「自分」を見つめなおしてきたことも重ねて、「どんな親でも親は親」という言葉が真実である、と今理解しています。 死ね、産まなきゃ良かった、行かず後家、どうせ幸せになんかなれないよ、など、思春期からずっと言われてきて、何度も死のう、殺そう、と思ってきたこともあります。 が、母の死を迎え、今では心から母を愛しています。 母の死の直前、生まれ変わってもまた出会おう、と約束しました。 今度は、私の娘に生まれなさい、と母に言いました。 母は小さく嬉しそうにうなづきました。 「私が今度は、大切に大切に、愛情をいっぱい注いで育ててあげるよ」と約束しました。 トラウマを抱えながらも、そのトラウマに気がつかず逝ってしまいましたが、天国で私が言った意味を理解してくれるんじゃないかなぁ、最期に癒されて亡くなってくれたのではないかなぁ、と願っています。

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  • bekky1
  • ベストアンサー率31% (2252/7257)
回答No.1

いやー、驚きました、私のことを、娘が書いているのかと。 年齢的も、ほとんど、ぴったりですし、別居状態とか、その他の親戚と・・・とういのも、ぴったり条件マッチなので。 うーん、確かに多少は気難しいと思われてもいるだろうと。 【自分を変えることが難しいようです。なんとか友人を作ってほしいという話をするのですが、難しいようです。】 最初に’ともだち’が前面に出てくるから、人付き合いとおもので、 何か、趣味のようなものがあれば、それで’暇’がつぶれて、あれやこれやに気が回らなくなります。 私も、無駄に親戚づきあいはしません。 必要ないから、多少の角突き合いはあっても仕方ないですが、余分に結局、出費があるだけの親戚になるなら 別に、付き合いがなくても特にまったく、問題ないなら、縁を切るほどでなくても、親交がなくても構わないと 割り切りましょう。 特に、姻戚、そして、親の代の付き合いは今後なくなるでしょうし。 管理人さんとはこれまた、管理人が問題ということもあるので、一概に、母様だけが問題とは言えないと思う。 掃除のやり方や、管理のマナーなど、口が軽い管理人というのも実は、困るのです。 理事長を何度もやりましたのでこれも一方的にではなく、ちゃんと見てあげてください。 ただ、確かに、年は取るし、自分のいうことをわかってくれる人はなかなかいないしで、心さみしいものもあるし、 年代的にも、そうそう、思想は変わりません。 暇つぶしをたくさん用意することです。 ご参考までに、私はいまだにフルタイムで仕事をしています。 夜は毎日ジムで走るか、泳ぐか。 30分単位の暇を見つけては、和裁をやって、今年の夏からは足袋も作ってます。 趣味です、これを生かして、若手の落語家の支援もしてます。 もちろん、時間があれば、寄席にも、通って、現物をみて、うっとりと、勝手に’恋愛モード’で追っかけ。 合間合間に、図書館で借りた本を読んでます。 TVは全く見ない。 携帯電話も持たないので、友達?はすくないでしょう。 それでも、あっちこっちに出張っていくので、顔見知り、知人レベルでの仲良しはたくさんいます。 あなたが思うような’友人’を・・ではなく、たくさんの出ていく場、日々の暇つぶしがあれば、それで十分なので 生活を見直すことだけをまず、お勧めになってください。 ジムには私の年代はたくさん、昼も夜もいますよ。

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