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なぜ1990年頃から反日教育が始まった?
今回の中国の反日デモですが2、30代の若者が8割とか言っておりました。 それは1990年代から始まった反日教育のせいだと拓殖大学教授の石平氏が コメントしておりましたが、戦後直ぐではなく数十年たった1990年頃から反日教育が 盛んに行われるようになったのでしょうか?
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●江沢民前国家主席の時代です。 彼は、1993年から2003年まで国家主席でしたが、彼の時代から愛国教育(=反日教育)が始まります。 国内的には、鄧小平の後継者として改革開放政策を概ね継承し、経済発展を推進したが、江沢民の任期から中華人民共和国は大国意識を剥き出しにした対外強硬路線が目立つようになります。 1999年の国慶節では15年ぶりに軍事パレードを挙行し、軍事力を誇示します。 しかし、江沢民が推進した経済発展は、国民の貧富の格差や都市と農村の地域間格差といった「格差社会」、汚職の蔓延、そして環境破壊などの負の遺産も残し、農民や農民工といわれる若者たちを苦しめています。 ●江沢民の反日教育(ウィキペディア引用) 日中戦争の被害者数を、それまでの軍民死亡2100万(抗日勝利40周年の1985年に中国共産党が発表した数値)から死傷者数を含めた上で3500万とした。 1998年8月には、「日本に対しては、台湾問題をとことん言い続けるとともに、歴史問題を終始強調し、しかも永遠に言い続けなくてはならない」と外国に駐在する特命全権大使など外交当局者を集めた会議で指示を出した。 江沢民の対日政策によって中国では反日感情が高まり、同時に日本でも嫌中意識が強まっていった。 ●こうした江沢民の反日感情の根底には、中国として受け入れがたい日本の自民党など一部政治家の歴史認識や、江沢民自身の生い立ちがあるのではと考えます。 自民党の中曽根康弘が総理大臣(1982~1987)として初めての靖国神社参拝からはじまり、日本が経済大国への成長の過程で、、“戦後政治の総決算”を掲げ、教育基本法や“戦後歴史教育”の見直し、防衛費1%枠撤廃等、強い復古調姿勢により、日本の侵略戦争を否定したり、戦争中の日本軍の行為を矮小化しようとした自民党を中心とする無知、無教養な政治家の振る舞い・・・ 不用意発言をしては、中韓の無用な反発を招き、大臣辞職や罷免。こんな事が度々繰り返されるお粗末さ! 日本側は大臣辞職で一件落着ですが、これが中国にとって、喉に刺さった小骨が、抜けないうちに、その数をドンドン増やしたということでしょう。 とりわけ、江沢民前総書記の時代、彼はこうした日本の政治家の愚行に、我慢できなかったのでしょう。 ●そして、江沢民自身の生い立ちです。 江沢民前総書記の実父は、戦前の日本軍特務機関に所属。江沢民は中国共産党幹部の叔父の養子となり、国を売った「漢汗の息子」と呼ばれずに済みました。 しかし、彼の心の中には、実父を使っていた旧日本軍への増悪と、他人には計り知ることの出来ない実父への複雑な思いがあったようです。 このことが彼を激しい反日教育へ駆り立て、「中国は日本の非を永遠に責め続けなければならない」と言わしめたのだと考えられます。 一国の指導者としてあるまじきミスリード、残念な人です。 ●これからどうするって? 日本人はもっと開き直れ! 行くところまで行くのなら、それでよし! 国際社会の中で、中国がどれ程無法な振る舞いを行なう勇気?があるか・・・ 日本の若者は、日本の馬鹿な政治家のお陰で、何時までも軍国主義者の子孫扱いをされる。 中国の若者は、中国の馬鹿な指導者のお陰で、何時までも真の自由のない一党独裁体制の下でしか生きれない。 哀れな農民工も、無法なデモでしか苦しみを発散できない。 中国は今、戦前の日本と同じ道を歩んでいるが、日本への増悪から、同じ道を歩んでいることに気が付いていない。 成長は未来永劫続くものかな? いつの日か、世界に救いを求めることになるでしょう!
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- Streseman
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>今回の中国の反日デモですが2、30代の若者が8割とか言っておりました。 それは1990年代から始まった反日教育のせいだと拓殖大学教授の石平氏が コメントしておりましたが、戦後直ぐではなく数十年たった1990年頃から反日教育が 盛んに行われるようになったのでしょうか? 江沢民の時代から・・・という類の評論って論理的じゃないんだよねぇ 冷静に考えてみようよ 2012年現在、1990年だから反日教育が始まったとすれば、22歳が原初になるでしょ? デモ参加者には30歳代も見られるなら、90年代という説明の論理性がないじゃん? なんで、1990年という数字が出てきて、納得できるのかな?逆に不思議だよね 数理的にも変だよね? そういう数理的な基本的不整合性を見抜けない質問・回答を見ていると、数学の証明なんか出来るのかな? というが正直不安になってくる これさ・・・自然に論理的に説明できるのは、一人っ子政策なんだよねぇ 基本的には、共産党結党以来、反日思想というのはベースにある。 反日というのは、共産党の御旗であるし、帝国主義の象徴なわけさ。中ソ対立してから、ソビエト批判教育(ソビエトは帝国主義と批判)したようにね だから、特定の時代に始まったことではなく、中華人民共和国発足以前から、反日思想と言える。 それが加速度的に進むのは、1990年代からもしれないけどね 一人っ子政策は1979年から全国規模で実施されている 一人っ子政策によって、教育普及率が高まった。それによって政策対象年齢の多くが、反日思想になりえるわけだ 一人っ子政策以前は、限られた人民だけが教育を受け、限られた人間が反日思想を身につけた 指摘にある2割というのが、一人っ子政策以前の世代として勘案すれば、論理的にも整合性があるでしょ? そもそもさ・・・石平って間違ったことを山ほど指摘している部類なんだよね 特に、彼は中華憲法の改正方式あたりも間違った回答しているし・・・・ そういうのを鵜呑みにしている人がいるようだけど、論理的不整合は小学生でも分からないのかね? 石平氏には、是非、中国残留孤児たちの話を聞いてから、吠えて欲しいね 古くから継続する反日教育を信用してしまった残留孤児たちの話なんか知らないんじゃないのかな? ”悪し様に教わってきた日本が、自分の母国だった”という残留孤児の悲しみとか・・・まぁ、表層面でしか理解してない回答者には、そういう心の通った話は無理かもね そもそも、江沢民時代の変化ってのは、教科書レベルでしょ?つまり、外国から見える変化 んじゃ、教育現場ではどうだったのか?という検証なんかしているとは到底思えない 教科書を離れた教育なんぞどこの世界でも教育者個人の裁量で行われている 中国という性質から考えても、日本を悪し様に論じるような人間が教職員になることは想像できることじゃないのかね? ちなみに、一人っ子政策で計算してみようか? 2012年ー1979年=34歳(これだって、怪しいもんだよ。だって、生まれてすぐ教育受けるわけじゃないからね) それでも、一人っ子政策は、1970年代には地方レベルで実施されているから、論説できるんだけどね 概ね合致するでしょ? 残りの2割の説明だって可能だしね とりあえず、戦中から反日教育はしてます 戦中からね。教科書レベルは別にしてもね その性質が、よりナショナリズムになったのが江沢民時代なのは、政治的恣意性が顕著になっただけの話 デモをよく観察してみれば、一人っ子政策の影響だと言える要素はあるでしょ?女性がほとんど見受けられないとかね 都市部だけで地方ではデモがないとか・・・ これは、長男は都市部に出稼ぎしてて、地方の次男・長女の教育を受けていないのが反日思想が希薄なことで論証できるよね? この類の話って、日中歴史共同研究のプレ会議とかでもネタになって当時プレスリリースされているんだけどね 石平さんは、相手されていないから、認めたくないのかもね 今度、恩師と石平氏が学会で顔合わせるはずなので、ネタとして追求してみることを指定しておくよ まぁ、石平さんは、典型的な卑怯者で、反論に対して反論しない対話逃避型だからね そういう逃避型の人間だからこそ学会では相手されないから・・居場所が・・・ゲフンゲフン
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- hekiyu
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他の方が既に指摘していますが、江沢民の政策です。 彼の父親が日本軍協力者だったので、彼は反日政策を とらざるを得なかったのです。 そして、反日政策を採ったら、日本の左派の協力も得られ 思いの外の効果が出て、良かったね、ということです。 これに反発したのが胡錦濤です。 だから、江沢民と胡錦濤はいまでも対立しています。 反日デモは江沢民派が仕掛けた、と言われています。 戦後は、中国は日本のことは一切無視する政策をとって いました。 日本が資本主義の代表国、米国の下、奇跡的な経済成長を遂げたのを 紹介するのはまずかったからです。 何しろ、あの時は、社会主義こそ最高の思想であり 中国人民は世界一裕福で幸せな国民だ、ということに なっていましたから。
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- pem42391
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No.1 です。1989年6月の天安門事件の他にも、世界に目を向けると1990年ごろを境として共産主義っていうのか、社会主義っていうのか(その違いがよくわからないんで、詳しい人に教えてもらいたいですね)が、ガラガラと音を立てて崩れていきます。 東西ドイツを分けていたベルリンの壁の崩壊がやはり1989年11月。ルーマニア(ルーマニア社会主義共和国)の独裁者チャウシェスクがあっという間に処刑されちゃったのが1989年12月。東ドイツ(ドイツ民主共和国)の消滅は1990年10月。ソ連(ソビエト連邦)の崩壊は1991年12月でいいのかな、その他の「赤い国」も、ものすごい勢いで体制が変わってしまったのがこのころですよね。 中国共産党は焦るどころか恐怖を感じていたでしょう。共産党幹部はいい暮らしをしているけど、当時の支那人なんて底辺層は原始時代に毛が生えた程度の生活です。そういった不満が、他国のように共産党政権に向けられちゃたまらない。何とかして人民同志たちの目を逸らせなきゃ・・・。そうだ、何か国外に敵を作ってそれに怒りを向けさせよう! 反日の一丁上がりです。 それから、中華人民共和国の国内だけではなく国外、しかも日本からの直接あるいは間接の協力もあったと思います。朝日新聞、岩波書店といった媒体や「進歩的文化人」って連中が陰になり日向になりしてね。キョーカショだのヤスクニだのってのは、日本側からの入れ知恵がないと、なかなか思いつかないですよ。そういうのもドンドンと反日教育に取り入れていったんじゃないですかね。 そうした奴らは80年代からやってましたけど、ソ連の崩壊で一段とアクセルを踏み込むことになったんじゃないでしょうか。それまで日本国内の日本が大嫌いな連中はまず第一の候補としてソ連に期待していた、支那人なんて自転車しか持ってない貧乏ったれでしたしね。それでソ連の赤軍が北海道に上陸しやすいように一生懸命に北海道を赤くしようとしてました。今でこそ反日日本人の心の故郷は支那大陸が目の前の沖縄ですが、1980年代までは北海道でしたよ。山田洋次とか加藤登紀子とかね。まあそれがソ連がポシャっちゃったんで、そういう連中は恥も外聞もなく応援先を中国共産党にシフトすることにして、国内外の相乗効果がググっと出てきてますね。
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六四天安門事件が原因です 民主化を求め、集まった学生に対し中国人民解放軍が武力弾圧した事件ですが この事件が起きたのが1989年です そして、中国共産党が中国への愛国心を植え付け 民主化の矛先を変える為に、反日教育を初めました 早い話が中国共産党の為のスケープゴートにされたって訳ですね ↓ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%B2%A2%E6%B0%91#.E5.AF.BE.E6.97.A5.E6.94.BF.E7.AD.96
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- xiansui
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江沢民(こうたくみん)の影響でしょうね。 江沢民の対日政策は、一貫して「反日・強硬路線」でした。 江沢民は、天安門事件で経済制裁を受けたうえに、東欧の革命やソ連の崩壊の影響によって自国の共産主義政権が崩壊することを恐れました そこで、国民に対して中国共産党による統治の正統性を再確認させるとともに、政治への不満から目を逸らせるために愛国主義教育=反日教育を推進したわけです。 そのために、1994年に「愛国主義教育実施要綱」を制定し、「抗日戦争勝利50周年」にあたる1995年から、徹底した反日教育を行っていきました。
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- pem42391
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1989年6月に民主化要求デモが悪化した「天安門事件」が起こっています。こういうのを経験して、中国共産党も人民の不満を反日に向けてガス抜きすることを考えついたというのが、理由のひとつとしては挙げられるんじゃないですか? 他にもいろいろ理由はあるとは思いますけどね。
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