【1】自己を研鑽する習慣のある人が歳をとった場合
【2】自分勝手に言い訳をしながら生きる人がそのまま歳をとった場合
両者でずいぶん違うと思います。
「多いような気がします」とおっしゃるのは、後者のほうが悪目立ちするせい、人生が変わるほどの苦労をしない豊かな時代のせいでそういった人が増えているせいだと思います。
ですが、痛い目を見て目を覚ます人が増えてますよ。
馬鹿も突き詰めれば「自分が馬鹿だと知るチャンス」ですが、そういった側面はご存知ですか?
また、最近の若者とかゆとりとか、ひとまとめに語るほうも馬鹿ですが、そこは反応するところではありません。
言った側は言った側の人生の中でそういうことを言われてきたのでしょう。
人は無意識に自分がされたことを他人にします。
虐待でよく聞く「自分がされたことは、絶対に子供にしないと誓っていたのに」はその例です。無意識にやってしまうのです。
「一生懸命頑張ってきた結果」 といいますがその世代でも苦しみや自殺なんかが蔓延しているのは、頭を使わないからです。
決められたことをそのままやるだけの仕事があまりに多いと思いませんか?
日本ではそれが良しとされてきました、お役人ですらそうです。
その結果が今の日本なのは当然のことで、じゃあ今から私たちが出来ることは何かといえば、きちんと考えて行動することではないでしょうか。
そこには、他人のやっていることがどうこう、というのは関係ありません。
自分の有り様を磨けば、自然と良い方たちと出会えます。
質問内容から見るとお若いのでしょうから、親や周囲の大人にどうしても目が行くのかもしれません。
ですが、本当の問題は自分自身にあります。
何かに腹が立ったら、そのことを自分の中に落とし込んで、嫌悪するのではなく考えることです。
案外と昔の自分の心の傷にたどり着きますから、他人を責める気持ちがあるうちは自分が苦しみますよ。
歳をとるにつれて、それはそれは悲惨な目にあいます。
今のうちから、マイナスの感情に支配されたとき、それをしっかり見てください。
自分を見ずに他人のせいにし続けた大人が、あなたの嫌悪する大人です。
マイナスが降り積もって全部がマイナスになってしまってる、その腹の立つ大人たちも
元をただせばあなたと同じ、「小さなマイナス」から始まっています。
みんな子供の頃は輝いてました。
自分をごまかして人を責める感情を持ち続け、頭を使わない大人の仲間入りをし、その輝きを曇らせるのか?
その分かれ道にいらっしゃる気がします。
お礼
回答ありがとうございます いまの私にはしみじみする回答ですね 直接お会いして色々話したいところですが、そうもいかないので…笑 ほんと中学生の頃とか思い出すと今より精神力強かったな~なんて思います なにもかもにひた向きで一生懸命で毎日意味もなく生き生きしてましたね 自分に言い訳しない、ってなかなか難しい生き方ですよね 恥ずかしながら私は分岐点どころかはみ出して道に迷っている最中です 未だに自分の生き方見つけられずにいます 未来が見えなくてマイナス思考に囚われてます だからこそ年配の方たちや周囲の言動に敏感にもなっているのかもしれません 回答にあった自殺については当方鬱の経験がありますのでなんともコメントしづらいところですが… 正常な判断ができないくらい、他のことに頭が使えないほどに追い詰められているから自殺してしまうのではないかなと思います そこまで追い詰められると環境が変わらない限りはなかなか自分で気付きがあったとしても自殺信仰を取り除くのは難しいんじゃないかとも思います 私はなんとか気持ちの落としどころを見つけられたのでしぶとく生き延びてますが笑 話がそれましたが、いつまでもキラキラ生き生きしてる人間でいたいですね