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ダウン症の人との漫才コンビについて
- ダウン症の人と仲の良い友人が漫才コンビを組み、ダウン症の方の外見をネタにすることになりました。
- 漫才コンビの相方が障害者の外見をいじることはタブー視されていますが、みなさんはどう感じるでしょうか?
- 障害者の外見を売りにするこの漫才コンビについて意見をお聞かせください。
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質問者が選んだベストアンサー
賛成派ですね。 反対派の人が多いようですが、それはつまり、ダウン症であることが「チビ・ハゲ・デブ」であることより「かわいそう」な事だということでしょうか。それは「差別」なのではないでしょうか。 イギリスでしたっけ? 隻腕の女性アナウンサーが子ども番組に出演してクレームの嵐だったという嫌なニュースを思い出しました。いわく「そんなもの見せて子どもがトラウマになったらどうする」といったものでした。ダウン症の特徴に一切触れるな、不快だという意見に同じものを感じます。障害者をメディアから隠す、あるいはパラリンピックなどで「一生懸命頑張っている健気な障害者」だけをクローズアップするのは、かえって障害者への理解を遠ざけることになるのではないでしょうか。 ところで、綾小路きみまろが「老い」をネタにしたギャクが許されているのは、本人が「若くない」からなのでしょう。同じギャグを、20代のお笑いタレントが言ったとしたら非難轟々でしょうね。ダウン症をネタにしたギャクも「本人」なら許されるのではないでしょうか。 ダウン症だったかどうか忘れたのですが、とにかく障害者の落語家で「ダウン症親の会」かなんかで「ダウン症ってなんでみんな同じ顔なんですかね」と言い放ち「大ウケ」したという話を聞いたことがあります。参加者の親曰く「本当にそうなのよ~。言っちゃいけないことだと思ってたからず~っと黙ってたけど、本当はずっとそう思っていたのよ。はっきり言ってもらって痛快だったわ」ということでした。 勿論、上記のような感想ばかりではなく「不快だ!」「けしからん!」「ダウン症がみな同じ顔なんてとんでもない!」という関係者もいることでしょう。ですが、「だから認めるべきでない」というのはどうなのでしょう。綾小路きみまろの「老いをバカにしたギャグ」が嫌いな人も勿論いるでしょうが、求めている人も数多くいます。しかもその多くはネタにされている当人の高齢者です。ダウン症のことには触れてほしくないという関係者(本人・家族)もいるでしょうが、同じ障害を抱えた人が頑張っているということに勇気づけられる関係者も決して少なくはないでしょう。 勿論「純粋に面白くないから淘汰される」というのも当然アリだとは思いますけど。
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これでプロになるなら大したもんだ。パラリンピック芸人もありだと思うのですが、微妙です。エレファントマンやギネスのフリークショーと一線を引かねばなりません。 話術が売りの漫才やコメディアンに実は障がい者は世界中にいます。そしてそれを隠さずにネタに使っています。マイノリティは表に出せばマイノリティでなくなるのかもしれません。 日本文化とマイノリティの扱われ方が一見総中級家庭の平等に見える日本の「恥の文化」に隠されている様です。 武士の勤めとして、健康でない者ははずされました。戦で腕を切られたり失明した者が生きながらえるのも恥でしたし、病人は穢れた存在で、精神病は閉じ込められました。そして皆で口をつぐむのです。 この社会では国が豊かになっても駅にエレベーターをつけたのは先進国で一番最後です。弱いものを見たくない、聞きたくない、どこかに隠しておきたい態勢が見えます。 外国では人種ジョークなどでマイノリティはいくらでも使われますが、日本ではあと50年程待たないと無理でしょう。お笑いの質が違います。 この漫才は海外では売れるかもしれません。
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- zappa-z
- ベストアンサー率23% (291/1232)
なしです。たとえ本人が良くてもほかのダウン症の人や家族がどのように感じるのかも考えるべきだと思います。 それに何よりも全くおもしろくないと思いますので、やる意味がないです。 デブハゲチビと一緒にしていいものではないと思います。 デブでもハゲでもチビでも生きていくのに問題はないですから。 アシュリーはプロジェリアでしたね。
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アシュリーというダウン症の子どもがいましたよね。 確か、「神様はいない。いたら私のような子どもは作らないから」と言っていたのをTVで見ましたが、これは、本人も自分の病気について自覚し、相当思い悩み、苦しんでいるんだという証拠だと痛感しました。 まあ、その漫才師の人の場合、本人が自分の病気のことをどう思っているかはわかりませんが、僕なら、 自身の病気という苦しみから何とか前向きに生きようと努力しているのだな、その時は意識せずとも、そのような生き方が現れているのだな、と思って見ると思います。 並大抵のことではないと予想します。
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- ichiyouha
- ベストアンサー率17% (58/324)
やっている本人たちは良くても 画面、劇場で観ている人たちは どう思うのでしょうか。 私は嫌ですね。
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- okapi-home
- ベストアンサー率40% (24/59)
本人たちはいいかもしれないが、 障害について熟知している私には心痛ましい… 漫才を見ている人は心痛めると思う。 やらないで…
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- Nannette
- ベストアンサー率26% (1499/5697)
大変不快に感じます。 どんな状況であれ、弱者をからかうような行為は、人間として厳にやってはならないことだと思います。 それは、タブー視…といった社会性の問題ではなく、人間としての正常な感覚から出るものです。 知人に、ダウン症の方がひとり居ますが、とても気持ちの優しい、いい人なんですよ、その意味で、このような質問が立てられることにすら、すっきりしないものを感じます。
お礼
回答ありがとうございます。
- localtombi
- ベストアンサー率24% (2911/11790)
微妙ですね! 四肢の障害を自虐ネタとして、それを“売り”にしている車椅子の芸人さんもいますが、結局のところそういう部分を面白おかしくさらけ出さないと生活できないという悲しさがあるような気がします。 本人にしたら障害となったことは仕方がないので、それとどう向き合っていくか・・だったら一層のこと障害を前向きに捉えて逆に利用しようというバイタリティもみえますが、やっぱり見ている側としては複雑かも知れません。 昔、手と足がない傷痍軍人が、軍服姿で路上に座って物乞いをしている姿を見たことがあります。戦争の悲惨さを訴えるならばそういう方法もあるかと思いますが、前にお金を入れる箱を置いていたら、それはまた目的が違ってきます。 しかも、そういう格好をした傷痍軍人は今も時折見かけます。 年齢的には到底戦争を経験した風には見えませんが、手足をなくして軍服姿で座っています。 障害者手当等をもらうにしても、到底仕事できない、生活できない身体、経済状況だとしたらやっぱり考えるのはそういう手段(物乞い)しかないのかと思いますが、本人としては、本来はそうしたくない、不本意という気持ちが伝わってくるので悲しいです。
お礼
回答ありがとうございます。
少しズレルかもしれませんが、こういう場面が実際にありました。 輸出用コンテナの中で荷積みの作業をしていたナイジェリア系 アメリカ人(黒人)Bとオーストラリア人(白人)Wとの会話です。 W: おいB! どこだ? 暗くておまえがどこにいるかわかんねぇだろ! 笑ってくれ!(白い歯を見ればわかる、という意味) B: はっはっは。 外はいやに明るくて、俺もおまえが見えねぇよ! 私は日本の貿易商社の社員として、少しびっくりしました。 また”失礼” だと感じました。 日本では「肌の色を話題にすること」はタブーと教え られたような気がするからです。 でも、今私は移民の国に暮らし、この事を思い返すと、確かに上記の ”外国人たち”は二人とも別の移民社会に暮らす・暮らしてきた人間で、 肌の色が違うことをごく当たり前の現実として育ちました。 話題に しないのは不自然なのですよね。 私が言いたいのは、エンタテイナーというのは、漫才であれ、どんな ショウであれ、見せるパフォーマンスがその社会でその時点で、どう 捉えられるか(=どの位デリケートな問題であるか)を見抜けたら、 一流だと思います。 個人的には、ダウン症をヘンに区別せず、そういったジョークが 爽やかに笑えるような社会になるのが理想だと思います。 結論からすると、質問者さんにはまだワダカマリがある。 としたら、 しない方がいいです。 ダウン症の子供とピクニックに出かけたり、絵画クラスでアシスタントを した経験がありますが、彼らは本当に純粋なんですよね。
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回答ありがとうございます。
- 192455631
- ベストアンサー率12% (204/1573)
やらされているならそれは問題のある行為だと思うけど ダウン症の方が気にしていない、むしろ笑いを取ることに喜びを 感じているのならばいいと思います。
お礼
回答ありがとうございます。
- Ae610
- ベストアンサー率25% (385/1500)
一つの仮定を置いた上で・・・、当方の個人的意見として書かせて頂く・・・! #「漫才」がその方達にとっての「稼ぎ」或いは「生活の糧」、「自分たちの表現の場」として考え及んでいる場合 どしどしやって欲しい・・・! 偶々「ダウン症」である一個人が収入を得るための独立」のために社会に出て活動するそのこと自体極めて一般的で普通の考え方のように思う・・・! それが、例え自分自身の(敢えて「いわれのない!」と言わせて頂く!)ハンデを逆手にとって売り込むような事であろうとも、周囲の目など気にせずに堂々としていて欲しい・・! (是非そうあって欲しいと思う!) 今はもう無くなって(・・・!?)しまったが、昔、当方が好きでよく観ていたTVで「ミゼットプロレス」なるものがあった。 「小人症」の人同士で対戦する一種の「ショー」ではあったが、その滑稽さが面白くて「ミゼットプロレス」のところだけ観戦していた・・・! (天草海坊主、ダイナマイトキング、ミスターボーン、リトルフランキー、隼大五郎などなど結構なファンであった・・・!) ・・・それがある時期から観る事が出来なくなってしまった・・! 当方はこの辺の経緯の事は知らないのだが、「障害者」を「見せ物」にすることへの(健常者の側から観た一方的な・・・!!)「配慮的措置」のためなのか・・・? ---もしかしたら、当方の見当違いがある哉も知れないので、この辺の経緯を知っている方がいたら是非教えて頂きたい!--- 結果、それまで「ミゼットプロレス」の興行で収入を得ていた・・・ハズの上記各氏はその後どうなってしまったのだろう・・!? ・・・と思ったのと同時に、我々(少なくとも当方は!!)を楽しませてくれた番組が一つ消えてしまった。 「要らぬお世話」のためにその人達の「生活の糧」を取り去ってしまう事が本当に「良い事」なのだろうか・・・?? 好きでそのような「体形」になったわけではない・・・! でも、どんな人たちであろうと、自分自身で社会に出て生きていくための糧を得なければならない筈である・・・! それを、「きれい事」でしか見る事が出来ない「健常者」の側の論理で事を推し進めても良いのだろうか・・・!? 自分自身、未だにモヤモヤして疑問であるのと同時に社会通念上!?の考え方でどうしても納得のいかない部分でもある。 話が脱線してしまったが、「ダウン症漫才師」大いに結構な事だと思う・・! 仮の話でなくとも、どんどん社会に出て売り込んで欲しい・・! 個人的にはそう思っている。
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