• 締切済み

他人のために働く?

20代後半のサラリーマンです。 今は一応会社勤めをしていますが、昔から「他人のために働く」ことの意味が分からず、現在に至ります(今の仕事は嫌いではありませんが、収入獲得の手段と割り切ってやっています)。 仕事というのは多かれ少なかれ他人のためにするものだと思うのですが、私の場合、なぜ他人のために働かなくてはならないのかが分かりません(自分だけのために働く仕事があればよいのですが、そんな仕事はないでしょうね)。 http://www.d1.dion.ne.jp/~kshigeta/hataraku_imi.htm 上は「働くことへのヒント」というページです。 ここに、 「次に家族や大切な人の為に働く。その先には他人や社会の為に働くことが(=感謝されることが) 自分にとっての大きな喜びにはならないでしょうか? そして、あなたの働きが、大きく社会に影響を及ぼすことが出来たなら、すばらしいとは思いませんか?」 という言葉がありますが、私にはこの意味が全くわかりません。 私は「家族や大切な人」がいないので彼らのために働こうと思わないし、その先にある「他人や社会の為に働く」ことの「喜び」も分かりません。 当然、「大きく社会に影響を及ぼす」ことについても、「すばらしい」とは思いません。 こんな私に「他人のために働く」ことの意味を教えていただければ幸いです。

みんなの回答

noname#227653
noname#227653
回答No.7

「他人のために働く」ことの意味がわからない、ということですが、もう少し正確に表現すると「他人のために働くことに喜びを感じる人の気持ちがわからない」ということですよね。 どんな仕事でも他人のためになるのは当たり前のことなので(だからお金がもらえるわけですから)、それを喜びと感じる人の気持ちがわからないんですよね。 これは感覚や感情の問題なので、意味を説明する、というのは不可能だと思います。 スポーツの嫌いな人はいくら「体を動かして汗をかくのは気持ちいいよ」と言われてもその感覚は理解できないでしょうし、草花に興味を持てない人には何時間も庭いじりをしている人の気持ちはわからないでしょう。 ものの考え方や感じ方はほんとうにさまざまなので、「そう思う人もいるんだな」と思っておけばいいのではないでしょうか。 仕事に人生のすべてを捧げているかのように働き、大きな会社を経営してる人の日々をテレビで見ると、本当にその仕事が楽しくて仕方がない、自分のしていることが社会のために役立っていることがうれしくて仕方がない、という人が多いようですが、私にはその感覚はわかりません。「これだけ財産があるんだからとっとと引退してのんびり暮らせばいいのに」と思ってしまいます。でも、その人には私にはわからない喜びがあるのでしょう。 最近読んだ本によると、人の感情や価値判断についても、遺伝の占める割合はとても大きいのだそうです。 他人のために働くのは楽しいと思う人と、仕事は自分が生きていくのに必要なお金を稼ぐためのものだと思う人と、どちらもその人の考え方であり、個性であって、わからない部分があっても当然だと思いますよ。

回答No.6

「他人のために働く喜び」というようなことは、よく企業の研修やセミナーなどで言われることです。単に、「給料をもらっているのだから、給料分はしっかり働け」というよりも、「他人に感謝される喜びのために働け」という方が、聞こえがいいから言っているだけでしょう。 質問者様や他の回答者様がおっしゃっているように、働かなくても生活できる人以外は、みんな、お金のために(生活のために)働いているのです。 販売業やサービス業などでは、本来の商品やサービスの販売以外の面でいろいろな対処(いわゆるサービス)を求められることがあります。例えば、マクドナルドのスマイル0円のように、笑顔でサービスしてもその対価はもらえません。でも、笑顔でサービスはしなければいけない。そのときの自分の励みになるのが、お客様のからの無償の対価、つまり、高評価や感謝の気持ちだということでしょう。 販売業でなくとも、こんな仕事をして何の意味があるのか、と空しくなることもあるでしょう。そういうときに「この仕事は誰かの(あるいは、家族や社会の)役に立っている」と思って、何とか自分を励ますこともあるかと思います。 結局、仕事をお金のためではなく、自分のやりがいとして感じられるようにするための、ごまかしの言葉、じゃなかった、魔法の呪文、なのだと思いますよ。 質問者様のように、仕事はお金を得るためと割り切って考えられる人には必要のない言葉だと思います。 話が少しズレるかもしれませんが、たまに、80歳とか90歳とかのご老人が全く儲からないお店などを年中無休でずっと続けていて地元の人に親しまれているなんて話がテレビで紹介されるときがあるでしょう。ああいうお年寄りは、たぶん、それこそ、お店を続けていることが評価される=自分の喜び・生きがい、なのだと思います。地元の人は、実際にはそれほど評価してないし、長期の夏休み・冬休みをとったとしても誰もそんなに困らない。でも、お店を開いていれば、誰かが買いにきてくれて、「いつも開いてくれて助かったわー」なんて言ってくれるときもある。それだけで、プライベートを犠牲にして、何十年もお店を続けちゃう人もいるんですよね。私財をなげうっての寄付とかボランティアとかもそうでしょう。お金よりも、他人に評価されたいわけです。それくらい他人の評価を生きがいにしてしまう人もいるってことです。そういう話を聞くたびに、ちょっと悲しい気持ちになりますが、本人がそれで幸せなら、それでいいんだと思います。

noname#253071
noname#253071
回答No.5

>なぜ他人のために働かなくてはならないのかが分かりません ということですが、「他人のために働かねばならない」ということはまったくありません。すべての人間は自分の目的のために働けばよく、もし目的がなければ別に働かなくてもいいのです。「他人のため」を意識して生産性が上がるかどうかは、人によりけりのはずです。目的が「自分のための収入獲得の手段」ということで一通りうまくいっていれば、それで構わないはずです。 ところで、お金がもらえる仕事というのは、多かれ少なかれ他人の役に立っています。役に立った人が直接・間接にお金を出してくれているのです。対して、「自分だけのために働く仕事」というのもきちんとあるのです。それが、「自給自足」や「節約」などの行為です。たとえば、最近は米が高価なので、私は1キロ100円の小麦粉(米の1/3の安さ)を主食にしているのですが、白い粉を水で練って1枚ずつ焼くのがとても手間だし時間もかかります。もちろん、3食すべて自炊なのですが、好きではないので大変に面倒です。人によっては、野菜を買わずに自分で育てて食費を節約をしたります。こういったことが「自分だけのために働く仕事」です。ある意味“生活費が稼げている”のですが、他人からはお金はもらえません。他人と関係を持ち、他人のために働き、満足してもらっているから「お金が稼げる」のですね。 >「次に家族や大切な人の為に働く。その先には他人や社会の為に働くことが(=感謝されることが) 自分にとっての大きな喜びにはならないでしょうか?そして、あなたの働きが、大きく社会に影響を及ぼすことが出来たなら、すばらしいとは思いませんか?」 と問われた際、「いいえ」という答えも十分ありえますので、「この意味が全くわかりません」との反応は決して間違っていません。家族への帰属意識(「自分は家族の一員だ」「自分=家族だ」「自分と家族は切り離せない」などの意識)、もしくは、他人への帰属意識、社会への帰属意識、などがあればこそ、家族や他人や社会の喜びを自分の喜びにできるのです。したがって、「家族や大切な人がいない」ということであれば、家族を喜ばすことを自分の喜びにできないという感覚も別におかしくはありません。社会に関しても同様です。 >こんな私に「他人のために働く」ことの意味を教えていただければ幸いです。 これを書いている私も、家族や社会への帰属意識は極端に低い人間です。なので、それそのものを教えて差し上げるわけにもいきませんが、何かヒントをご提示できるとすれば、何か「自分自身の一部」といえるもののために骨を折り、成果をあげることを考えてみるとよいと思います。いつも使っているパソコンのメンテを少し苦労をして行った結果、速度が向上しスイスイと動くようになったり、しつこかった迷惑メールがゼロになったりしたとします。素直に嬉しいのではないでしょうか(「よかった~!」との感覚)。仮にパソコンに心があって、「今回はありがとさん。またそのうち面倒みてね!」と言われたら、「ほいきた、よっしゃー」と喜んで答えられるかもしれません。次に、自分と親しい人のパソコンに同じメンテをしてあげたことを考えてみます。同様に調子が改善したのち、「パソコン、スイスイに動くようになった。ありがとう!」と言われれば、自分のパソコンでなくても嬉しいのではないでしょうか。これがもし、嫌いな人やどうでもいい人のパソコンだったら、パソコンが調子悪いままでも全然気にならないし、タダで頼まれても何もしたくないはずです。 要は、「自分が何に・誰に帰属しているか」という意識の問題なのであり、もしも家族や社会への帰属意識が低く集団主義ではない個人主義の人であれば、「他人のために働く喜び」は仕事のモチベーションにならなくて当然だということです。URLのページの作者に共感ができなければ、それはその人とはタイプが違うということです。十人十色で人それぞれなので、それはそれで構わないのです。自分と同じタイプだったり共通点の多い先輩、成功者、憧れの人を探し、その人の言うことに耳を傾けたり、真似たり、思考・行動を取り入れたりすることが、多くの場合幸福・成功への近道になったり、大きな問題の解決に寄与するものだと思います。

  • doorakanai
  • ベストアンサー率27% (758/2746)
回答No.4

>他人のために働く 全然違う解釈をする、建築関係の職人兼デザイナーです。 >感謝されることが自分にとっての大きな喜び 多少はあるが、誰もが派手に感激や謝意を表明する人でもなし。 その謝意がしばらくなければ死ぬのか?ものすごい他人由来。 >あなたの働きが、大きく社会に影響を及ぼすことが出来たなら ノ-ベル、アインシュタインレベルなぐらい分かり易くないとダメなんですかね。 上っ面しか見てない印象です。その足元を支えてる人間がどんなにたくさんいるか。 よくいるのは「クライアントがこう言ってるから、こうしときゃいいんだ」と言う人。 でも、その人が知らないとか気付かないだけだったら、言ってあげる方がいい。 別の職人の技術の程から判断するに、ここは自分がやった方がいいと思ったら 別の職人には他の部分を頼む。 こう言われたからこうした という理屈が通ると思ってる人はたくさんいて それで済むわけがないのはよくある事で 相手を思って考えて動いたら、スムーズに進んで 結果、自分の為になるついでに他人の為にもなるのだと思います。 下手したら悪い意味で大きく社会に影響を及ぼす事になります。 つつがなく時間が経過するなら、水面下で良い影響を及ぼしている事になるのだろうが 建築関係では何の影響もないのが当たり前だったりします。 ものすごいアイデアを思い付く人なんて、そういないし それを目指さなければならないわけでもないと思います。 ある建物に入ってって、天井が落ちるかも なんて普通考えないもの。 その普通を作らなければならない業界は 分かりやすい影響が出る=死傷者が出る ですもの。 あなたがどんな業界でお仕事されているのか知りませんが、 他人の感謝ばかり求めてて一体何が出来るのか 派手で分かりやすい事以外は全て無意味なのか 自分8割、他人2割程度でいいんじゃないのか と考えている、個人主義の裏方気質なのではないですか。 リンク先のページがどうこういうわけではないのですが こういう他人ありきの思想は非常にモロいと思います。

  • ariakun
  • ベストアンサー率37% (186/494)
回答No.3

「他人のために働く」というのは結局は「自分たち」の為に働くという事なのですが・・・ この「意味」をわからない、という事ですが簡単、かつ単純に説明すれば一つの例を挙げます。 例えば、貴方が普段使う物はどのように手に入れていますか。 食べ物、ガス、電気、洋服、この様な物を「自分で作って」生活していますか? 人間社会においての仕事とは、私達人間が必要かつ便利に暮らす為に必要な物を「自分たちが使うために」作る事という事になります。 もちろん「貴方の使う物」もそうです、そして労働の対価として賃金、お金をもらいそれを使って生活する。 「大きく社会に影響を及ぼす」というのは大げさかもしれませんが「携帯電話」なども今の世の中「当たり前」ですよね、ですがこの「当たり前」を続けてきたから「現在の社会」があるのです。 「社会貢献」というのは色々な意味をもちます、精神的な満足や感謝される喜びを得て、それが自分たちにも帰ってくることを目指す「ボランティア活動」もあります、「ボランティア活動」もある意味自分たちの為の行動でしょう。 「仕事というのは多かれ少なかれ他人のためにするものだと思うのですが、私の場合、なぜ他人のために働かなくてはならないのかが分かりません」・・・ この場合の「他人」には自分も含まれているという事を忘れてはなりません。 「人は一人では生きていけない」・・・ これは「人間社会」において生活する為の言葉です、無人島で自分一人、衣食住を全て賄うのであれば必要ありません。 「他人のために働く」事は「自分のために働く」と言う意味なのだとこれでわかると思います。

noname#160893
noname#160893
回答No.2

多くの方が、そのように思っているでしょう。例えば、クレームの多い仕事をして喜び・幸せを感じるかというとそうではないと思います。道徳観に因り、そう思って働ければ素晴らしいとは考えられますが… かと言って仕事をして幸せを感じる人が多いかどうかも、はっきりしません。「他人のために働く」⇒「いつか役に立てればいいや」ぐらいの気持ちだと、悩まなくてもいいと思います。

  • mac1963
  • ベストアンサー率27% (841/3023)
回答No.1

全く気にする必要は無いと思いますよ 結果として社会の為になったり他人が喜んでくれたりする場合も有るという事でしょう 他の人が喜んでくれるのを自分の喜びと感じているのであれば結果として自分の為に働いている事になります 結局自分の為なんですよ 苦痛なのかそうでないのかの違いだけです

関連するQ&A