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オリビアを聴きながらの歌詞について
- 尾崎亜美さんが書いた「オリビアを聴きながら」の歌詞の一部について質問です。
- サビの一番最後の歌詞「疲れ果てた あなた 私の 幻を愛したの~」について、どちらが疲れ果てているのか皆さんの意見を教えてください。
- 質問は尾崎亜美さんの曲を書く際に考える要素についてで、普通どのように受け取られるのか気になっています。
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歌詞として発表されている物を見ればわかると思いますが、歌詞は「疲れ果てたあなた 私の幻を愛したの」です。 疲れ果てたのは彼氏、その彼氏が、私の幻を愛したという意味ですね。 彼女は終わっているのに、夜更けに電話をしてくる彼氏、まだ彼氏は終わっていないか、終わらせたくはないと思っていますね。 彼女の中では、終わってしまうのを感じていた、愛が消えそうなのを感じていたのに、それに気付かなかった彼氏は彼女が自分を愛しているという幻を愛していたのですね。。。。
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こんにちは。 そうですねぇ・・・確かに、どちらにもとれる歌詞ではありますね。 私なら、こう解釈します。 私の幻を愛して、どうしてそんなに彼は疲れ果てるでしょう・・・? 私の幻とは一体、何でしょう? それよりも、疲れ果てたのが私なら、とても素直に胸に入ります。 男性は愛する人に自分の理想の女性像を求めます・・・。 彼女は彼の理想に応えることに疲れたのかも知れませんね。 「私は、あなたの考えるような女ではありません」・・・ 彼女はそう言いたかったのでしょうか?それなら幻の意味も頷けるのです。 私にはどうもこの解釈が自然のように思います。
お礼
ありがとうございます。確かなところ、やはり、No.1のお答えが正解なのかもしれませんが、turukamejirouさんの解釈されているように、実際この曲を聴くと、私が疲れているほうが、自然に思えます。 問題は、この曲の何がそのように聴き手に感じさせるのかというところなのです。 回答感謝します。また、お礼が遅くなってしまい申し訳ありませんでした。
- ultra900
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どちらの意味にも取る事が出来ますね。 もしかしたら疲れたのはお互いだったのかも知れません。 日本語的に見ると、この歌の流れの中で「(私が)疲れ果てた」と解釈するには少し表現がダイレクトすぎる気がします。 幻を愛したと表現が続くくらいなので、自分が疲れている事を表現したいのならばもう少し比喩的な語を使いそうな気がします。
お礼
>幻を愛したと表現が続くくらいなので、自分が疲れている事を表現したいのならばもう少し比喩的な語を使いそうな気がします。 なるほど、なるほど、 難しいのは、これが、詩ではなく、歌の歌詞であるというところにあるのだと思います。つまり詩は読みますが、歌詞は聴くのであって、いいかえれば、目から入ってくる情報と耳から入ってくる情報の違いがあって、しかも、同じ耳から入ってくると言っても朗読とメロディに言葉がついたものとのかっての違いもあるわけで、このあたりを考慮しながら、曲を書いて行くことの難しさを実感します。 貴重なご意見ありがとうございます。
お礼
なるほど~。 オフィシャルに発表されている歌詞を見れば解り易かったのですね。 ありがとうございました。 確かにこれならば、お答えいただいている通りですね。 ですが、問題なのは、そうした作り手の意図が、聴いている私たちに伝えきれていないところにあるようです。 そして、なぜ、そうなのかというところを考えていけたらと思います。 貴重なご意見ありがとうございます。