- ベストアンサー
ご真影について
ひな祭りの準備がそろそろ始まります。 そこで お雛様の配列ですが 最近の雛人形はお内裏さまが向かって左 お姫さまが右の配列のようですが これは 天皇と后の配列をシンボライズしたものと聞いています。だとすると配列は逆で 江戸時代の雛人形の配列は現在のものと違うようです。 昔 我が家にかかっていたご真影写真は うろ覚えですが天皇陛下が左であったような気もします。 皇居で天皇参賀の時の天皇の位置は 皇后の右(つまり向かって左)であったようにも思います。昔とは違っているのでしょうか。だとすると何故なのでしょうか。歴代のご真影のことなどを含めて、個人的な見解でも結構です。ご投稿をお願いします。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
向かって右に男雛、左に女雛を置くのが古来の伝統です。これは、貴人の側から見て左、つまり向かって右の位置のほうが位が高いとされてきたことによります。左大臣は右大臣より格上なのです。お雛様も明治時代までは、男雛を向かって右に置きました。 しかし、大正天皇が西欧の王侯貴族の例に倣い、皇后を天皇の右側に置かれたご真影を発表して以来、男雛を向かって左に置くようになったようです。しかし、京都地方などでは、今でも男雛を向かって右に置いているとも聞きます。 質問者さんの記憶にあるご真影は、おそらく昭和天皇と思われますが、この時代は、天皇は向かって左のようです。 ※『日本人のしきたりものしり辞典』谷沢永一著 大和出版 によりました。 ―――――――――――――――――――――――― 脱線しますが、 ♪お内裏様やお雛様~♪ の童謡が有名ですが、あれは国語学的に間違っているそうですね。 『広辞苑』などによれば、「内裏」とは天皇の住居を指し、「内裏雛」とは天皇・皇后の姿をかたどって作った男女一対の人形を言うわけです。男雛だけが「お内裏様」ではないようです。
その他の回答 (2)
- teinen
- ベストアンサー率38% (824/2140)
この人は大変優れた人であるということを「この人の右に出る人はいない」と言ったりしますよね。これは向かって右の方が上座であるからです。 男性は女性より上座に位置するものでしたから,お内裏様が向かって右,お雛様が向かって左に飾りました。 ところが,西洋式ですと向かって左が男性で,右が女性なんです。結婚式の披露宴も西洋式に着座しますから,新郎が向かって左,新婦が右に座ります。 このように日本式と西洋式では並びが逆なわけです。 私の亡くなった祖母の話ですと,明治天皇が皇后と並んで写真を撮った時に西洋式の並びで立たれたため,それ以降,雛飾りもお内裏様を左,お雛様を右に飾るようになったそうです。しかしながら,京都などでは,いまだにお内裏様を右,お雛様を左に飾る家が多くあります。うちもそうです。
お礼
お礼の送信が滞っていたことをお詫びします。 送信ボタンの押し方がよく理解できていませんでした。 内裏雛はまさに当時の朝廷の姿をアレンジしているものですよね。そうした背景を、簡単に時代の流れとして入れ替えてしまうことに、疑問を感じます。 京都の人達は、内裏のお膝元として、格式を重んじ、変えないのでしょうね。 基本的には京都人は新しいもの好きのようですが・・
- sagino1st
- ベストアンサー率34% (36/105)
「お雛様」でこちらの質問を検索した中に下記のサイトトップへのリンクを発見いたしました。 お雛様に関しては「西と東」で左右が逆になるという話もありますので、どちらがどうとも言えませんが、「このような説もあるらしい」 というくらいにご覧いただければ。 「ご真影」のことは、知識が乏しく申し上げることが出来ませんので、すいません。
お礼
ありがとうございました。 いまいち釈然としない思いですが、こんなところなのでしょうか。 時代の流れの中で 価値観が変化することは受け入れていかなければとは思いますが、伝統を重んじるということも尊重する必要があると思います。
お礼
ありがとうございます。 『日本人のしきたりものしり辞典』を早速買い求めてみるつもりです。 また 童謡のお内裏様というのが??だったのですが やはりマチガイだったのですね。確か小学唱歌で公認されていたように思います。