自分らしく自分に正直に、かつ他者にも思いやりをもって接するには
自分自身がありのままでいることを
自分に許すということです
ありのまま、そのままの自分でいるという
許可を自分自身に与えます
ニンゲンの意識には
自覚のある顕在意識と
意識を認識できない潜在意識とがありますが
この潜在意識のレベルで許可を出している必要があります
それをやってのけるには
顕在意識の状態、つまり日頃から
何かにつけ、自分の反応を許す、
というところから始めます
たとえば怒り、悲しみ、落ち込み、批判的になるなど
ネガティブな感情が自分に湧きあがってきたとしても
それを否定せず(→これが一番重要です)
そういう感情も自分にあるのだ、と認め
許してやる、ということを日常のレベルで
意識的に行います
この期間は人によって全く違いますが
繰り返し自分の反応を許す、
自分がやっていることを許していると
潜在意識のレベルでありのままでいていいよと、
許可を出すようになります
そしてありのままに生きます。
「ありのまま」は自分の感性や感情、
「今自分はどうしたいのか」を
何よりも優先し
他に惑わされることなく
自分の意見を真っ先にきく
ということです
どんなニンゲンでも自分の心の声に従う、
ということは
その人の内部で起こっている
すべての葛藤を取り除きます
このようにして自己の内側から
出た想い、言葉、行動は
他人にとっても最適な結果をもたらします
たとえ
他人がそのときにあなたがした行為を
嫌がったり、迷惑がっているようにみえても
ゆくゆくはこれがベストだったという結果になるでしょう
あなたのいわんとされる
思いやりというのは
自分の本心から生まれ出るもので
飾られた自己や、人に気を使って
自分がやりたくないことをやったり
することからは決して生まれることはありません
さて、自己中と自分に正直の違いですが
先述の自分の感情をを最優先するっていうのは
まるで傍若無人にふるまっている
ただのわがまま人間じゃないの?
と心配する方がいらっしゃるかもしれませんね
本当は自分はこうしたいのに
人に遠慮して、本心をださない、というのを
多くの人がやります
それは一見思慮深い人のように見えるかもしれませんが
正確には「思慮深い人のフリ」です笑
これはよくよく考えてみるとわかるはずなのですが
自我というエゴからくる行為です
そのようなとき、実は他人よりも
自分をだましていることが大問題となっています
なぜなら自分に嘘をついていることが
ありのままの自分でいることを許さないからです
ただのわがまま、というのは
自我(エゴ)の怖れからくるものです
一般的にネガティブと言われている
すべての言動は
怖れから端を発し
それがさまざまな形に
変容しているものです
たとえば悲しみ、怒り、攻撃、防衛などです
わがままばかりでやりたい放題、
人に迷惑ばかりかけている自己中心的なひとというのは
このエゴという、怖れから端を発した言動をしています
怖いのですよ
自分の言うとおりに人が動かなければ
自分には力がないと信じているわけです
自分のパワーを他人によって証明しようとしているのです
そんなことはできないのですが。笑
一方の本当に自分に正直に生きている人というのは
言動に怖れを伴っていません
なぜなら自分の力をすでに知っているからです
誰かに何かを言ったとき
それを他人が理解しなかったとしても
またその通りに動かなかったとしても
それをネガティブにとらえることはまずありません
そして人に何かを強いることはしません
なぜならそんなことをわざわざしなくても
自分の力を知っているので
強制したり、押し付けたりする必要がないからです
よって
わがままな人とは
自分の力を知らないが故に
怖れから行動を起こし、他を(たとえ意識だけだったとしても)
強要させ、他人によってムリくり
自分の力を証明したがる人、
正直な人とは
あるがままの自分を許して
自己にも他にもなにも強いることなく
絶えず自分の心の声に従って行動する
自己の力をすでに知っている
本物のパワーを持つ人
となりましょうか。
お礼
ありがとうございます。 嫌われることをおそれないようになりたいです。