自動放送後に、間違った案内を肉声放送でするのは
クレームではないのですが、何度かあり気になったので質問させて頂きました。別に気にすることでもないのですので、変な質問で申し訳ございません。
先程、乗っていた電車が、上りの終点駅に到着しようとした時の事です。自動放送で、「まもなく(駅名二回)、お出口は右側です。◯◯線、◯◯線、◯◯線はお乗り換えです。本日も(社名)をご利用頂きまして、ありがとうございました。(続いて英語。)」と放送があった直後に、「まもなく終点(下り終点駅名二回)、1番線に到着します、お出口は右側です。ご乗車ありがとうございました。」と車掌さんの肉声案内がありました。
他の時と違い、「ありがとうございました」の発言に心を感じました。また、自動放送と違う情報としては、1番線に到着することを案内していただいた事かと思います。
ただ、せっかく肉声案内するなら、到着駅名を極力間違えないか、間違ったら訂正してくれるくらいの方が良かったなと思ったのと、それよりも、一度方法してくれている内容よりかは、今度の乗り換え電車の案内、例えば◯◯線◯◯行きは◯番線から◯時◯分、とか言ってくれた方が良かったなと思いました。
これまでも、あえて自動放送を遮って(流れている最中に肉声放送に切り替える)間違った案内を不機嫌そうにされたり、何を言っているかわからない放送をされたり、なんかがあり、その時はいい加減な事をするくらいなら、わざわざ手間をかけなくても自動放送に任せればいいのに、と思っていましたが、今回はそういった時と違い暖かみを感じたので、いい加減さというよりかは、一生懸命だけど間違えてしまった感があったので、私は全く不快には感じませんでした。
ただ、ふと思ったのは、間違ってしまったのと、間違えに気付いていないのは確かで、結果としては間違った案内をわざわざしてしまったのが一点あります。また、人によってはよくご意見を耳にするのですが、ファミレス等のように、一度言った事を復唱されるのが嫌な方も多いようで、私なんかは、今回のように間違いを除けば、肉声放送に暖かみを感じたので、あって良かったものと思える場合もありますが、同じ事を繰り返されるのが嫌いな方からはクレームが出るのではないかと思いました。
そもそも、同じ案内だけを肉声でするなら、自動放送の意味が無いようにも思えるのですが、自動放送と全く同じ内容を自動放送後に肉声放送するのは何か意味があるのでしょうか。