この投稿をみて、『屠殺動画』を観ました。
家畜ばかりでは無く、犬や猫もありました。殆どが海外でのものでしたが、音声まで聞く度胸は無かったですね。
完全に意識を失ってからの処理ではなく、半分は生きたままの状態でヤラレていく工程には、胸が悪くなってしまい、途中で止めました。
牛は片足だけを逆さに吊られ喉を切られ、夥しいほどの血が噴き出している・・・苦しみもがいている
すがたもはっきりと分かります。
観たのは昨日の事です。一夜明けた今でも脳裏に浮かびますね。
“殺されるのを知り、涙を流す牛”の画像などは“ショック”としか言い様がなかったですね・・・。
それと、鶏の場合は動画はもういいと思い、観ませんでしたが、『鶏に唾を吐きかけたり、叩き付けたりする○○達・・・。』などと書かれたもの。
豚も『生きたまま処理され熱湯に放り込まれ坂さ吊りにされる。』などと書かれているのを見たら、もう二度と見たくないと思いましたね。
“生き物を殺す”という行為を長く続けていると、しだいに“麻痺”しているかの様な感覚が観て取れます。生きていれば手ごたえを感じ快感としている様にも取れます・・・。(こんなことを言ってはどうなのか分かりませんが。)
かるいTPSDの様なショックを受けましたね・・・。
殺生があり、その恩恵を受け、人は美味しいと頂く・・・それはそれで良いのかもしれない・しかし、現場(現状)とした真実のすがた・ありのままを見てしまったら平常心ではいられない・・・。
だからと言って“見なきゃ良かった”・とは思っていません。事実は知っておくべきと勉強になりました。
相談者さんの言われる『それらを聞いても、私は今まで通り平気で肉を食べられるのですが、、中には残虐な屠殺を知り、食べれなくなる人もいます。この違いは何だと思いますか???』
という質問ですが、よく分かりませんが、・・・育ってきた環境・そして思考性・感受性・潜在意識・価値観の相違・受け止め様の違い・人それぞれとした十人十色・等いろんな事が混じり合っていると思われます。(誤解の無い様に付け加えますが、それを観ても、食べられる・食べられない・としたことは特に問題視される事では無いと思われます。)
・・・食べ物を粗末にすることは許されないことだと感じましたね。
そして、長年“屠殺職”をされている精神鑑定も必要ではないかと・・・。
例えば、米兵などが戦場では人を殺すということに何の抵抗もなくなってしまう。(寧ろ英雄。)
最前線で戦う兵士はやるか・やられるか・の恐怖心で精神的に頭がおかしくなった状態で帰国をする・・・必ず悲劇は起こる。
>>皆さんは食べられますか???
金輪際決して食べたくない。とは言い切れない・・・しかし、少なくとも暫くはそんな気になれない・というのが本音です。
繰り返しになりますが、解体作業をする職人さんがいなきゃ世の中回らない事は確かですよね。
倫理観も浮き沈みします・・・。
動物の殺生として許せると思われるのは、一年中氷の上での生活をしている少数民族の方達が、唯一の食糧として、アザラシや白熊などを捕え、全てムダなく仲間の皆に分け与えるとしたことには逆に感動しますね。(個人観ですが。)
※出来ることなら、せめて完全に意識を失ってから解体作業をしてほしいですね。
こんな想いでいます。