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大津の中学校いじめについての加害者と保護者の報道や意見について
- 大津の中学校いじめについて、多くの方が加害者とその保護者の意見や行動が報道されないことに不審の念を抱いています。
- 加害者と保護者の一言や事情が報道されず、多くの行き過ぎた情報が飛び交っていることが問題となっています。
- 加害者と保護者は自己の弁明や陳謝、事情釈明の権利と義務があると考えられます。
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質問者が選んだベストアンサー
1.陳謝していないから無い 弁明はいくらでもあります。 http://www48.atwiki.jp/tukamarosiga/ うちの子が死んだらどーしてくれるんだ、とか プロレスごっこだったとか 2.人権なんて無いよ
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- ks5518
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>1. 加害者とその保護者の弁明、陳謝、或いは事情釈明の報道なり記述を読めるサイトはないでしょうか? >2. やはり人権問題やら、更にはこの方々の保護のためにそういうことは慎み、控えることでしょうか? ・今回の事件では、学校側、教育委員会の調査のいい加減さ、対応の悪さを露呈し、現在、警察の介入までされている状況です。今後、色々な方向から事実確認と聞き取り調査が行われていくと思います。要するに、現時点では「犯罪」が確定されていない事になります。という事は、「謝罪・弁明の必要性」は今のところ無いとなります。そこで先走って謝罪・弁明をしてしまうのも、おかしい話だと思いますよ。 ・実証がなされれば、当事者はそれなりの処分がされるでしょうし、保護者についても、現在の地位や社会的信用を失いかねないでしょう。おそらく、何らかの罪が確定しても、当事者・保護者より“公的な(メディアを通じての)”謝罪は無いでしょう。 ■質問者様とは、以前より“哲学”などのカテゴリーでご一緒させていただいていますので、一言お話をしたいと思います。また、人生の先輩として、質問者様が成し得る思考、行動をされる事を望みます。 考えてほしいのは、「人は何故、人をいじめるのか?」という事です。同じ一人と一人の人間なのです(複数の場合も有りますが、最終的には一つの命と一つの命です)。“人間”というものについての、認識不足・思想の欠如としか言いようが有りません。仏法では、一人の人間の生命の尊厳を説き、依正不二として過去世の業、色心不二としての心と環境の結びつきを説いています。また、「何故、自らの命を捨て、あるいは他人の奪うのか」ということです。戦後と違い、物も増え、益々便利になっていく世の中ですが、その中で日本は『人間』を何処かに忘れてきてしまったのではないでしょうか。私たちは、『人間の在り方』、『生命の尊厳』を改めて考え直し、足元の地域社会から、社会環境を変えていく必要性に迫られていると感じてなりません。
お礼
ks5518さん、哲学カテにての記憶は御座いません。ご忠告とお教えを感謝します。馬齢76を重ねても、やはり怒る(いかる)べきことに対して、怒ら(いか)らないことはできない。まことに未熟なことをお詫びします。 明白な事実があれば、ごてごてと論を重ねる必要はなく、それを見つめ、そこから出発するべきでしょう。 無論、いわれるまでもなく派生して、或いは事件のつながりとして新たな過ちや行き過ぎは顰蹙ではすまなく、自殺とされる若人を悲しませるだけでしょう。 しかし感情の正義、正義の感情。 これをたしなめる前に、ともかく事実がどうなのかが必要ではありませんか。 ks5518さを私は哲学カテでも他のどこでも記憶しておりません。申し訳ありませんでした。 お教えとご忠言を感謝します。
補足
ks5518さん、哲学カテでご一緒させていただきましたか。有り難う御座います。 『一言お話をしたいと思います。また、人生の先輩として、質問者様が成し得る思考、行動をされる事を望みます。』 未熟な年長者でもうしわけありません。私は本件についてはやはり、大津市などにおける人と人のかかわりについて、そして生きさせられている状況について考えております。 当事者でもなく、専攻でもないので無責任です。 『足元の地域社会から、社会環境を変えていく必要性に迫られていると感じてなりません。』 のお話は地域関係論、モミュニティろんですね。そういう抽象性の論に行く前の生々しい感情論も必要ではないでしょうか。 ご忠告とお教えを感謝します。(重ねて年を重ねての未熟をお詫びします。)
お礼
迫力有るネットページでした。 保存して、私も何かメッセージを送りたいと存じます。 有り難う御座いました。
補足
有り難う御座います。 すごいページでした。 逃亡という身の隠し方ですね。 結果とはいえ、暗澹たる人生の歩みです。 言い訳はできないということですね。 一生背中に背負うのですね。何枚かの写真を悲しく拝見しました。 PTA会長さんも出てきて、喋っているんですね。 予想していた通り、たいへんな人生の中にはいっているのですね。 自殺者が痣だらけだったとかの記事。 弁明と陳謝はありえない、人権はあってもそれは枠として保障するだけで、認容するための同情事由はそんざいしない、ただ償う一生しかなさそうですね。 私も本人達も、そして人も決して忘れないでしょう。 なんともやりきれない事件です。 PTA会長の発言に何らかの正当性があるなら、世間は決して頑迷ではなく、双方の悲劇として理解することにやぶさかではないでしょう。 決して逃亡したり、身を隠したりする必要はないでしょう。 戦う足場は世間が保障するでしょう。 有り難う御座いました。