控えるかどうかは個人の選択によります。・・とりあえず読んで選択してください。
勘違いしては困るのは、忌中においてしてはいけないのはお祝いだけではありません。
もちろんお中元やお歳暮も含まれます。
そもそも忌中とは何でしょう。喪中とは・・・。コレを知らないから迷うのですよ。
忌中とは穢れた状態というのが世間の理解ですよね。だから穢れが祓えるまでの49日或いは50日間は人との接触を絶つ。これが本来の解釈です。
穢れた状態で、お世話になっている人への感謝というか贈り物を差し上げる??
実は忌中とは穢れとは関係ありません。「貴方お父さんが亡くなったのだから穢れているんですよ」そんな風に言われたら腹が立ちませんか?私は怒ります。
一般的には「忌み嫌う」という事から良くないことだと思いがちですが、「忌」という字は古来より神様の食事を作る「忌み火」、神様のための作業をしたり神様の言葉を聴く「物忌み」というように神に近いことをあらわす言葉なんです。
それがイザナギ神話の誤解によって死=穢れと勘違いしたのです。ちなみにイザナギはイザナミの死によって穢れたのではありません。生きながら死の世界に足を踏み込んだことによって穢れたのです。
話を戻すと、忌中とは神仏の傍にあって故人のために世俗を忘れて祈り尽くす期間を言います。だから精進潔斎し、世俗の全ての関わりを絶つのです。
感謝などいつでもできます。忌中につきご挨拶が遅れましたといって怒るような常識の無い上司はいないでしょう。もし怒ったら心の中で常識の無さに軽蔑すればイイだけです。
喪中は現代の制度では存在しません。一年間喪などというのは嘘八百なので信じてはいけませんよ。
中元がお礼なら、新年の挨拶だって祝いの文を削れば出していいことになります。でも年賀状は駄目といいますよね。
謹賀とかあけましてなどと書かず「旧年中はお世話になりました、本年もよろしく」とだけ書けば出せるはずでしょ。でも年賀状は欠礼葉書だというのは矛盾以外の何物でもありませんね。(欠礼はがきは旧郵政省の販売戦略です)
喪中とは当人が悲しみに沈んでいる期間であって何日間と決まっているものではないんです。
服忌令は「この期間が過ぎたら平常の生活に戻りなさい」というもので「期間内は祝いをしてはいけない」ではないんです。その証拠に服忌令や現代の神社本庁でも“祓え”あるいは水垢離をすれば短縮してよいと書かれているのです。
つまり祝い事をしたい、旅行に行きたい、遊興をしたいと思った時点で喪明けなのです。だから現代の忌引き規定には喪という概念すらないのです。
と、ココまでは一般常識です。さて本題。
服忌令は正式に破棄されました。つまり守るべき既定はありません。あるのは宗教上の忌中のみです。
ですから例えば無神論者やキリスト教徒が忌中など考える必要もないのです。つまりそれを守れとか守るのが常識とか考えること自体非常識です。
コレだけでも世間の常識とかマナーだとかを得意満面に解説している人たちが、如何に個人の信仰や思想を無視した非常識人であるかが判るでしょう。
そして戦後官公庁の忌引き規定に倣って、各団体で独自に忌引き規定を制定しています。
ですから守るべきは会社の忌引き規定だけです。その期間を過ぎれば平常の生活に戻って差し支えない。
個人的に身内の中だけで49日、あるいは50日の忌中の作法を守ればよいということなのです。
ですから会社の上司などへの中元や歳暮などのお礼も当然忌引き期間を過ぎれば関係なくなります。
当然年賀状もですが、中には間違った常識を鵜呑みにしている人もいるので、念を入れて先ほどのように礼状にしておくこともひとつの方法です。その際絵柄も落ち着いたものにすることを忘れずに。
何か言われたら「礼状を以って新年のお祝いに代えました」といえば通じます。年賀状にその旨を書いてもいいでしょう。(中には通じない愚者もいますけどね)
お礼
ありがとうございました。 御礼が遅くなり、すみません!!