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聴覚はどれだけ必要?聞きたくないものに耳を塞ぐことはできない
- 聴覚は五感の一つであり、他の感覚とは異なり、聞きたくないものを遮断することはできない。
- 視覚や触覚がなくなると不自由になるように、聴覚がなくなると生活が大きく制約される可能性がある。
- しかし、聞きすぎることも問題であり、うるさい音や耳障りな音はストレスになることもある。
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目をつぶっても光は感じられます。 触らなくても、地面の感触や、相手が触れてくれば関係ありません。 何も食べなければ人は死んでしまいますし、 嗅覚が無ければ味を感じないといいます。 見たくなかった光景、触りたくなかった感触、食べたくなかった料理、嗅ぎたくなかった臭い 皆さんそれぞれたくさんあると思います。 戦争で片耳が聞こえなくなった祖父は、常に片側からしか音が聞こえないようで、 話しかけても一定方向以外からの声は通らなく、喋る側も辛い思いをしていたのを 覚えています。 嫌な音も多々あるでしょうが、その音も、生まれつき耳が聞こえない人にとっては、 もの凄く聞いてみたい音かもしれません。 どうかそのような悲しいことは言わずに、 聞こえるという事に、幸せを感じられるような音に出会える事を、心から願います。
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> どうでしょうか? ある程度は千差万別。耳障りなだけではなく、目障りな、触り心地が悪い、味わいたくなくても具材として入っていることもあるし、匂いたくなくてもエレベーター内でおならをする人いる。そのある程度の線引きは自分勝手な基準です。 それに拒絶したいのならそれぞれを徹底して実行してみればいいんじゃないの。音漏れがする場所から離れる、完全防音する、無虫状態の部屋に籠る、乗り物には乗らない、呼ばれないように人間関係は断つ。 拒絶したいと言いながら、ある程度聞こえればいい。どっちなんだろう…。やっぱり他の感覚のように徹底的に拒絶するように自分がしないとね。
お礼
回答ありがとうございます。 すいません。私も自分が何を言っているのか分からないので、私は自己虫野郎ということで。
暴走族のマフラー音が聞こえなくなるレベルってどんだけ!?(爆) まぁ冗談はさておき。 不快なことを不快だと感じるのは心じゃないですか^^ 耳障りだと判断し、イライラしているのは耳ではありませんよ。 友人と話しているときは友人に意識が集中していますが、そのなかでもふと店に流れたBGMに耳を傾けることがあります。自分の好きな曲であったり、友人との思い出のある曲であったり。 かすかに聞こえてくる心地よい音楽に、気付くことができるのはとても幸せだと思うのです。 人間の耳というものはよく出来ていて、聞きたい音だけを選別することは可能です。 嫌な音は気にしなければ良いのです。 ですから聴力が衰えたほうがいいなどと考えるのは問題解決に繋がらないと思います。 危険を察知するのにも聴覚は非常に重要ですよ。 聞きたい音が聞こえなくなるのは辛いものです。 聞きたくない騒音に悩むよりずっと。 一度耳栓をして体感してみるのは如何ですか(笑)
お礼
回答ありがとうございます。 冷静な人間からの判断だとやはり私が言っているのは愚かなことでしょう。 毎日騒音を聞かされ続けて精神が参っている人間にはまともな判断もできなくなってくるのかもしれません。
私の祖母は最近耳が遠くなってきたとぼやく様になりました。その事を父に話したら『あれはよく出来てる耳だなぁ、都合のよい耳なんだよなぁ。聞きいれたくない言葉は【年のせいにして】聞こえないし、慰めの言葉や耳あたりのよい言葉には反応が早い!都合のよい言葉だけを拾う優れた耳なんだ』と言っていました(笑) 年をとったら 都合のよい耳になるらしいので 今は雑音から離れる工夫しかないでしょう(^_^;)
お礼
回答ありがとうございます。 都合のいい耳ですか。私も欲しいものです。
- Jonny_desu
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もちろん、冗談でおっしゃっているという前提で回答しますが、視覚に障害がある方と聴覚に障害がある方の両方に、『もし選べるならどちらの障害の方が受け入れられるか?』という質問をすると、まず間違いなく両者とも、視覚の障害の方がマシと答えるそうです。 健常者の立場での与太話程度ならともかく、実際に聴覚を失うということは生活においてそうとう大変なことのようです。 確かに、真っ暗な部屋でも、ある程度なら障害物に当たらずに動き回ったり、机の上の物をとったりはでき、実際にそのような体験は出来ますが、全く音がしない世界というのはまず体験できません。 あるのが当たり前だから、『なくてもいい』と言えるのであり、実際に無くすとどれほど大変かは、想像してみるしかないですよね。
お礼
回答ありがとうございます。 無くなればどれだけ大変かは想像できます。 私はある程度聞こえればいいと思っています。聞こえすぎるのに困っています。
回りの音が聞こえなくなるテクニック。集中です。 パズルのものすごく難しいのに挑戦、ゲームで没頭している最中、面白くて腹を抱えて笑っている時。 怒り心頭、ドッカーンの最中。エロ思考中。ものすごい痛みに耐えている時。 細かい仕事(針仕事や小さい文字を書いている時)をしている間。 何でも聞こえてしまうのは、精神がゆるんで解放されている時と言う事で、悪くはないんですが、コントロールしたかったら本に集中するとか、没頭出来る物を探します。 昔から個室も無い貧乏でも茶の間で勉強して優秀な学生がちらほらいました。多分コントロールの仕方を心得ているのだと思います。 でも何もかも嫌な音に聞こえるのは、精神が参っている状態じゃないでしょうか。大自然に一度浸って命の洗濯が必要みたいですよ。波の音、葉ずれの音、風の音、こういうものは嫌な音と感じないと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 そうですね。精神が参っているのかもしれません。 精神科に行ったら、大きな病院を紹介されました。
- cucumber-y
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うーん、比較するべきモノではないと思うので全面的にとは言えませんが仰ることには一理有ると思います。 大ヒットギャンブル漫画の「カイジ」で「片目か片耳を賭けろ」と言われた場合、人間はほとんど片耳を選ぶというエピソードが有りましたね。 (映画版でもこの話は使われてたような・・・。) だからこそ音楽を聴きながら歩く(走る)がSONYのウォークマン発売以来約30年続いているとも言えそうですね。
お礼
回答ありがとうございます。 それは私でも方耳のほうを賭けるでしょう。 耳が千切れても鼓膜が機能していれば、音は拾えそうですし。
- localtombi
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聴覚は単に聞こえる聞こえないということ以外に、自分の喋っている発音に大事な役目を持ちます。 喋っている言葉はその発音を聴覚機能で確認して、正しい発音と認識して発していますが、耳が聞こえない・聞こえにくくなると、自分の発生する声も聞こえにくくなって正しく発音しにくくなります。 要するに、自分が発している声の発音が正しいかどうかの判断が難しくなってしまうということです。 ですから、必要がないということはありません。
お礼
回答ありがとうございます。 私も全く必要ないとは思っていません。ある程度聞こえればいいのではと思っています。 私が困っているのは聞こえすぎることです。
人間は意図的に耳に入ってくる音を選ぶことができます。 聴きたい音だけを選ぶことが出来るのです。 実際は雑音も聞こえてるけど脳が選別してるのです。 でも情緒不安定だったり何らかの障害があったりすると、聞きたくない音が異常に気になってしまいます。 もちろん体調にも左右されます。 耳で聴いてるつもりでも本当は脳で聴いてるわけだから「ある程度聞こえれば良い」状態は健康な人間だったら自分で作れるのです。 もちろん視覚も触覚も味覚も嗅覚もみんなそうです。 大きなショックを受けると一時的にそれらが働かなくなる事がよくあるのも頷けます。 雑音が気になり過ぎるのは何らかの病気の兆候かも知れません。
お礼
回答ありがとうございます。 何らかの病気にかかっているのでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 そういう音があればうれしいのですが。