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オウム真理教って、結局は何だと思いますか?
オウム真理教って、何だと思いますか? ある著名人は、こう言っています。 「オウム真理教とは、社会のひずみの表れである。ある種の価値観を持っている人がいて、その価値観がたまたま社会に適合していなかった。その価値観自体が悪いのではない。そういった(現代社会に適応できない)人間がいるのに、それを受け入れようとしない社会に問題があるのだ。彼らの価値観を受け入れる場所を作らないから、サリン事件という悲惨な形になって表れたのである。」 一般的に「オウムは悪い集団だ」と言われていますが、オウムをなくしても根本的な問題(=特殊な価値観を持った人たちが社会に適応できないということ)は解決しないんじゃないかと思います。 いくら法律を厳しくして犯罪者を取り締まっても犯罪者がいなくならないように、根本的な解決には繋がらないと思います。 オウムを考えていくうちに、ある意味ではこの社会は一面的で、少し変わった(マイノリティの)価値観を受け入れる懐を持っていないんじゃないかと考えるようになりました。 それらを受け入れるシステムを作るべきじゃないかと。 オウムは、それを示唆してくれたのではないかなと思います。 そこで皆様にお聞きしたいのは、 (1)私の考えをどう思いますか? (2)あなたが考えるオウム真理教とは、どのようなものですか? オウム関連の本を読み、自分なりにサリン事件について考えていますが、考えが自分の中で堂々巡りになってしまいます。 様々な人からの、幅広いご意見をいただけたらなと思います。 すごく簡単なこと、主観的な考え方でもいいので、とにかくご回答をよろしくお願いします。
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- Guan-Yu
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修行と称して、日常的に幻覚剤であるLSD や覚醒剤を信者に投与して、麻原を神格化、そして、麻原の価値観が唯一、絶対的に正しいと洗脳していた集団の価値観自体を別に悪くないと肯定し、彼らの価値観を受け入れる場所を作らないからサリン事件という悲惨な事件が起きたなど、暴論以外の何ものでもない。 このオームのような異常な価値観を持った集団を受け入れる懐を持った社会など世界中のどこにあるのでしょうか!? あるのなら質問者さん、教えてください。
- kido12
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単刀直入に言うと、唯物論的価値観、偏差値的点数評価で教え育まれた人達が、唯心論的価値観にディベートで打ち負かされ、脳に現実と仮想世界が混在して起こした集団ヒステリーです。原因を鑑みるに、核家族化により、家庭内に神仏を祀る場所が無くなり、感謝の行動が、日常生活から無くなったことにあります。人はロボットのような機械ではありません。人智で解明できない命という特殊な作用を持っている生き物です。その命の自覚をいつ持つことが出来るかによって、人の一生が大きく異なってきます。オーム真理教に洗脳された人達は、ほとんど勉学を終えてから命の自覚をしたのでしょう。遅すぎたのです。母親の胎内に居るときから命を自覚できる環境にあった人なら、例え、オームのようなカルトに出会っても、洗脳されて、のめり込むようなことは無いでしょう。物質幸福論に突き進んだ、戦後の教育から生まれた、不幸な社会現象と言っても言い過ぎではないと思っています。詳しい論理は「死んだらどうなるかを知れば幸せな生き方が見えてくる」文芸社刊を読んでみて下さい。必ず得心出来ると思います。 貴殿のお考えは違って居ないと思いますが、やはり、現代的感覚ではと感じます。価値観の違いは、それぞれ個性があるので有って当たり前と思います。個性を認めさせない論理がカルトなのです。個性を大事にして、互いに譲り合い、認め合い、尊重しあって生きられることが、しあわせ社会でしょう。小さいときから、神・仏を話し、命の真理を話題にして、思想・哲学・宗教に触れ合える環境を作ることが、オームのような悲惨な事件を根絶する道だと考えています。
- hekiyu
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(1)私の考えをどう思いますか? ↑ いつの世にもどんな時代にも、逸脱者というものは存在します。 多神教をとる日本では、そういう逸脱者を最もよく受け入れている 社会ではないでしょうか。 日本のオカルト数は世界一だそうですから。 だから、反日売国政党、マスコミみたいのも、堂々と存在を主張できている のです。 こんな国、他にありますか? だから、このような事件が起きたのだと思います。 (2)あなたが考えるオウム真理教とは、どのようなものですか? ↑ 2千年、続かなかったキリスト教。
- nogul2n
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1番の回答者様がご指摘の通りです。逆なのです。自分たちの価値観以外を否定し、自分たちの価値観以外の人は殺しても良いとして数々の殺人事件を実行したのがオウムです。 日本社会は宗教の一つとしてオウムの存在を認めていました。日本社会を否定して日本をひっくり返そうとしたのがオウムです。 著名人氏は全く逆のことを言っています。 オウム真理教について、長年の裁判でも出て来なかった新しい情報がごく最近公になりました。先月のNHKドキュメンタリー(約1時間)は御覧になりましたか? 新証言として幹部だった上裕氏が、「オウムが武器を入手・武器の大量生産をし始めたのはオウムが宗教法人登録をしてわずか数年後の熊本時代からだった」ことを証言しました。 また幹部が隠して警察に押収されなかったため、裁判でも出て来なかった松本教祖の肉声テープ700本の一部が流されました。 肉声テープの内容から、松本は教祖である自分が日本の皇になって祭政一致(宗教が政治の元となる、宗教と政治が一体であること)の国家を作ることを目指していたことがわかりました。日本という国の転覆をねらっていたのでした。 そのためにオウムにとって気に入らないことを言った宗教家や評論家、気に入らない行動を取っている弁護士、日本の裁判関係者、日本の行政の中心(霞ヶ関)などを襲い、多くの人を殺人・殺人未遂しました。 オウムが松本の指示でやったこれらの事件が国家転覆を裏付けています。 祭政一致ですから、オウム真理教の教理がすなわち、国の法律です。オウム真理教の教えが国のあらゆることの基本になるのです。 もちろん日本人はオウム真理教の教祖をあがめ、信仰しなければならない。拒否する人間はひどい目に遭いますね。 オウム真理教の教えにもとづいてあらゆることが行なわなければならない。 そういう国です。 松本は自分が皇(おう、すめらみこと)になりたかったようです。 実際、オウムは「教皇制」という制度を敷いたことは今までにもよく知られていることです。「省庁制度」も敷きましたね。今月逮捕された高橋は「諜報省」の幹部でした。 今日本にいる皇、つまり天皇は邪魔ですのでこれをやっつけるために実際に皇居に向かって変な化学物質を撒いた事は裁判でも明らかになっています。被害が出なかったため、「事件」扱いにはなりませんでしたが。 自分たちの価値観以外を認めない、それがオウムです。 きっと質問者様はとっても真面目な方なのでしょうね。真逆のことをさも本当のことのように言う人っているんです。そんな人のことばにまどわされないでください。
- kawasemi60
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(1)オウムよりましな組織と場所が在ると良いですよね (2)とててもまともな宗教です。ただし仏教では無くて 仏教に似せた一神教なのです。だから邪宗の信者は改宗 させるか殺すかの二者択一が常識です。一神教を信じる という事の意味はそうなのですよね。参考は宗教戦争。 創価学会が戦闘的なのはオウムと同じく正しきは自宗 だけという一神教に近い教義を持っているからなのです。 人殺しは一神教では当然の事なので驚く方がおかしい。 たとえば歴史的に白人がアフリカに武力侵入した頃には 黒人は洗礼を受けていないから人間では無いとして白人 が黒人を殺して食べていました。そういうヨーロッパ人 の国に憧れて海を渡る日本人は多いのですよね~ オウムは人を殺しましたが食べてはいないようですね。 キリスト教徒よりはマシなのがオウム教徒。 でも私は入りません! 一神教は大嫌いだから・・・
- pepsinex0001
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(1)について・・・ 何でも認めればよいというものではない。そういう方向で進むと無秩序となり崩壊が始まります。この国は良いも悪いも多数決で決まる部分がある。大小の沢山あるであろう同じ考えのもの達が一緒にやる上である程度の協調性はいるので極端な考えをもった少数派は細々と生きながらえるか消えていくのが普通です。 (2)宗教を名乗ったテロリストです 普通の宗教と大きく違うのはオウムは布教活動だけでは無く麻薬であるLSDを使って人間を洗脳し、命令に忠実な人間を作り上げ、金を集めさせました。さらに毒ガス製造・拳銃で暗殺を謀るなど、自分達にとって気に入らない邪魔者を排除しました。途中で抜けようとした信者も相当数殺されています。その挙句に国家権力の捜査が及ぶと地下鉄にサリンを撒いて大量殺人を企てました。 このような洗脳を受けた信者の生き残りが今だに布教活動と称して会員を集めてる自体が普通に生活してる者にとっては脅威です。
- key00001
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(1)私の考えをどう思いますか? 「オウム真理教とは、社会のひずみの表れである。」みたいな考え方は、アホだと思ってます。 秋葉原の連続通り魔殺人の時なども、そう言うコトを言う人がいましたが・・・。 何でも社会などと関連付けて、大層に語れば良いと言うモノではありません。 著名人だか何だか知りませんが、その著名人の家族でもが殺されて、そんな悠長な分析を言うワケがありません。 しょせんは「他人事」としてしか、事象を捉えていないのでしょう。 社会が歪んでいようがいまいが、やって良いコトと悪いことの分別の問題です。 「目的」と「手段」の違いと言いますか。 > 少し変わった(マイノリティの)価値観を受け入れる懐を持っていないんじゃないか そもそも価値観が多様なのは当たり前の話しであり、人の数だけ存在しますよ。 仮に「社会に受け入れられない価値観」が存在するとして、存在するんだから、社会はそれを受入れざるを得ません。 いかなる悪性の価値観であっても、社会はソレを排除することなど出来ないので、「社会に受け入れられない価値観」など、存在しないと言っても良いかと思います。 一方、善悪・良否が決定されるのは、行為・行動です。 私など典型的ですが、私の価値観や人間性などは「最悪」「最低」と言っても良いと思います。 しかし私は社会からその様な評価を受けていません。 私は自分の価値観や人間性のままの行為・行動をしていないからです。 自己の欲するままに、行動するサル以下です。 自己の欲するままに行動しても、それが社会に受入れられたのは、人類史上、キリストやブッダなど、どくわずかではないか?と思います。 逆に、社会が受入れざるを得なかった例は、ヒットラーとか北の将軍様などの例もありますが、権力者です。 宗教と権力は、非常に似た側面があるのですよ。 たとえ宗教的な目的が正しくても、テロを行えば犯罪者集団でしかありません。 それを国家的規模でやれば、英雄か独裁者になります。 (2)あなたが考えるオウム真理教とは、どのようなものですか? 宗教と解釈すれば、最低の部類でしょうね。 宗教を一言で言えば「魂の救済」ではないか?と思いますが、他人の魂を奪うことで、自己の魂の救済が得られるのか疑問であり、また奪われた側の魂の救済は、どうなるんですかね? 他の魂の救済を軽んじたら・・パフォーマンスは独裁者と同じです。 それを「現代社会の歪み」などと評論するのは、極めて的ハズレです。 歴史上、権力を誇示したり、行使しなかった宗教は、ほぼ皆無ですから。 我が国でも、平安時代には僧兵の権力が強くなり、白河法皇が嘆いたと言う逸話がありますよ。 一向一揆や、本願寺や延暦寺と織田信長の対立も、宗教絡みです。 キリスト教でも、十字軍を組織してます。 現代の日本社会でも、コーメー党もあるし、幸福のナントカみたいなのも選挙活動してますね。 オウムもやりました。 単なる権力指向の集団に成り下がった結果でしょう。
- pupPeTeer119
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> (1)私の考えをどう思いますか? (回答) もう一度よく考えてみませんか? 質問者さんは、『犯罪者』と『犯罪』を理解して、それを受け止め、受け入れるような社会を作る必要がある、ということを仰っているんですよ? もし自分の近隣に、“あいつ(私)はこちらの考えを理解していないから殺してやろう”と考え、それを実行する人が住んでいても、私はそれを受け入れて、いつ殺されるかもしれない状態を甘んじて受け入れなければならないのでしょうか? もしかしたら、それなら簡単に引っ越せば良い、とお考えになるかもしれませんが、この場合、何故私が引っ越さなければならないのかが問題になります。また、たとえ引っ越したとしても、その人は今度はまた、別の人を標的にすることになります。そもそもの価値観が違うのですから、多くの人がその人の周りから排斥されることになります。 結果として、その人の存在はあたかも自然の暴威のようなものとなり、その人と同じ価値観を持たない人はその地域に住むことが叶わなくなるわけですが、そんな状態が健全な社会といえるのでしょうか? また、言論の自由、宗教の自由などにより、社会は犯罪を犯していないころのオウムをそれなりに受け入れていたではありませんか。 現在も、オウムから名前を変えたアレフなどを法的に迫害などせずに存続させていますよね。この状態の何を不服に、或いは疑問に思われているのかが私には理解出来ません。 ====== > (2)あなたが考えるオウム真理教とは、どのようなものですか? (回答) ただの新興宗教の一派
- k-a-r-a-p-a-n-a
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いや そうではないでしょう 「オウムは悪い集団だ」と言われたのは 結果であって 最初はべつに悪い集団ではなかったことは 国からも宗教の自由で 許されていたわけで ちゃんと場所も許されていました はじめからこの集団を 消滅させようとはしていません はんたいに オウムの集団こそ われわれ一般の人々を受け入れることを (普通に生活していることを) 拒否して あの犯罪に至ったわけです 我々はオウムを許可して そのかわり何の関係もなかったわけですが あちらさんは我々を関係のないものとしないで 邪悪なものとして 抹殺をこころみたわけです 順番が逆ですね 受け入れたからこそ 大きな犯罪になったわけで しかし 受け入れた段階では まだ犯罪の芽がみえず 思想だけが問題でした 思想だけでは取締りがむずかしいので オウムの問題は いい教訓になったのではないでしょうか
お礼
興味深いご意見、どうもありがとうございます。 お礼が半年以上遅れてしまってすみません。 異質なものを排除・攻撃しようとしたのは私たち(マジョリティ)ではなく、オウム側(マイノリティ)だということですね。 それはわかります。 …ではなぜ、彼らは私たちを邪悪なものとみなしたのか? その原因は、彼らの思想だけの問題なのか? 私たち(マジョリティ)にまったく非がないと、言い切れるか? 社会って、どちらかというとマイノリティに対して放任主義ですよね。 これは単に興味がない、どうでもいい、ただ、悪いことをしたら取り締まりますよ、ということです。 マイノリティの考えを、本当の意味で認めようとする態度が足りないっていうか…… そこに問題があるのではないかと思うんです。 この質問はもう少し回答受付中にしておきますので、何かありましたら、またご回答ください。