「私は嘘つきだ」
ある映画の一場面で、こういうのがありました。
サーカスの場面で、ピエロが、観客の中にいる嘘つきの子供をつかまえて、作り物のワニに食わせるというアトラクションがあります。ピエロが観客を見回しながら
「嘘つきはいないかな~?」
とたずねる。子供はみな「いない、いない!」と叫ぶ。
で、ピエロは餌食をひっ捕まえて
「お前は嘘つきだろ!」
で、子供が「違う違う!」と否定すると放してやる。
と言うような場面なのですが、考えてみると、「嘘つきか?」と問われて「違う!」と答えるのは非常にナンセンスなわけです。なぜなら、本当に嘘つきなら「違う」と答えるものだし、正直者でもやはり否定する。嘘つきか正直者か判断できない。
逆にもし、「はい、嘘つきだよ!」と手を上げる子供がいれば、この子は食われないで済む。なぜなら、本当に嘘つきであれば「嘘つきです」という言葉自体が否定されて、嘘つきではない。また、それを表明する段階で、本来の嘘つきを正直に言うはずがない。
もし、正直者であれば「嘘つきです」という言葉は矛盾である。つまり、正直者でもないが、嘘つきでないことは間違いない、ということを表明できる。
いずれにしても、「私は嘘つきです」という表現をすることで、まったくのグレーゾーンの存在であると言うことを確立する。
つまり、子供らがみんな「はーい!嘘つきです!」とそろって答えれば、ワニに食われることはないのです。
それが思いつかないか?どうしても子供はそこまで考え及びませんかね?どうしても、「こわい!どうしても食われたくない!(矛盾とか考えられないし)だから、嘘つきじゃない!じゃない!」
と叫ぶだけ。こういうものなのでしょうかね?