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こんな紆余曲折の私でも教師の夢を目指すべきか。

私は三十路の独身おばさんです。誰かに聞いてもらいたいと思ったので、これから私が今まで経験してきた事を書きます。支離滅裂で長くなりますが、よろしければ読んでください。 私は高校2年の春に10歳年上の国語の男性講師、T先生と出会い2年間お世話になりました。T先生は授業中にも関わらず、生徒に乗せられた勢いで、時々余談な話をしました。その話がおもしろく、私は週2回しかないT先生の授業が楽しみになり、おかげで国語が好きになりました。他の教科は散々でしたが、国語だけはテストも必死に頑張りました。そればかりか気さくでおもしろいT先生にだんだん憧れるようになりました。高校を卒業する間近、私は思い切って先生に年賀状を出しました。すると、先生からも年賀状が来ました。高校卒業後、私は親に勧められた栄養専門学校に進学しましたが、T先生の事が忘れられず、今度は手紙を書きました。T先生からも「最初は驚いたが嬉しかった。」と返事が来ました。それから4年ほどの文通が始まりました。 (専門卒業後) 私は某病院の厨房に就職しました。ところが、そこは50代独身女性F、20代女性、私の3人しかおらず、おとなしく要領の悪い私は、初日から毎日のようにFから頭ごなしに怒鳴られ、嫌味を言われ、時には鍋でどつかれもしました。私は泣きながらも必死に耐えていました。院長も事務長もFには頭が上がらず、相談しても「あんな人だから。」で終わってしまい話になりませんでした。辛い時、先生の手紙にどれだけ支えられた事か・・・ それから2年後の秋。私の家の周辺では、K町のイベントが開催され、母校のK高校もバザーで参加していました。私がバザーのブースに行くと、なんとそこにはT先生がいました。でも、先生は私には気付いていなかったようでした。私は終わるまで待っていることにしました。そのうちイベントが終わり参加者が片付けて次々と帰って行きます。先生もリュックを背負って帰ろうとしていました。私は迷っていました。「せっかく目の前にいるのに、今、話しかけなかったら次はいつどこで会えるかわからない」でも気がつくと、「T先生!」と言って先生の所まで駆け寄っていました。「お久しぶりです。」(今思えば当時の私に「自分でも思い切ったことしたなあ」と言ってやりたいです。) すると、先生もやっとわかったようで「あぁ、どうもご無沙汰しています。」と会釈をしてきました。しばらく話をしているうちに後日、一緒に食事ばかりか映画を観ることになりました。私にとってはこれが初デートでした。デートの帰り道、「一目惚れしたから付き合おう。」といきなり先生が告白してきました。突然だったので私は驚きましたが、交際することになりました。T先生(Mさん)は高校があり私が住んでいるK町より南のH市に住んでいます。それでも仕事が終わると、家に帰らず、私を迎えにきてくれて色々な所へ行きました。 ところが翌年、新年度になったと同時にMさんはH市よりもさらに東のA市にある中学校へ異動することになりました。遠くなってもどんなに忙しくてもMさんは私と会ってくれました。夜中に家を抜け出し、こっそり会ったこともあります。しかし、秋になると最初の時と比べて会う回数もだんだん少なくなってきました。「忙しくて疲れているのに悪い。」と私が頑固になって気を遣ったのと、まだ自身が子供だった事も原因でしょう。 (突然の別れ) 付き合って1年経った冬、Mさんからメールが来ていました。怒鳴られっぱなしの仕事が終わり疲れていた私は喜んでメールを見ました。しかし、そこに書かれていた内容は「ごめん、別れよう。好きな人が出来た。本当に好きな人ではないと付き合えない。」というものでした。 ・・・突然訪れた別れに私は頭の中が真っ白になり、心にぽっかりと穴が開いたようになりました。これまでのような絵文字がなく、冷たい文字ばかりが並んでいました。実感が無く、夢だと思った私はメールをして電話をしましたが、Mさんは返信もせず、電話も出ませんでした。既に別の人と大人の恋愛をしていたのです。私は幼くてまだ子供だった・・・ それが現実だとわかった瞬間、泣きました。まぶたが腫れるまで、目が真っ赤になるまで大泣きしました。 それからは、そのうち時間が忘れさせてくれると2年ほどは仕事に打ち込んでいました。しかし、前にも増してFのいびりはひどくなってきました。「もう4年にもなるのに、進歩がない!!こんな物作ったら将来の旦那さんがかわいそうだな。」「まあ、あんたなんか彼氏いるわけないし、出来るわけないだろう!見合いでもないと結婚出来ないだろうな!」と嫌味を言われ、休日出勤の翌日の休みにも早朝6時に電話をしてきて「まだ寝てたのか!今日使う昼分の野菜見たけど、あんな切り方しろと教えたか!!」と叱責してきました。それぐらいから腰痛、悪夢、不眠、食欲不振、体重減少、涙もろいといった症状が出始めました。近所の病院に行くと、心療内科を紹介されました。そこで初めてストレスから来る「心身症」と診断されました。仕事があわず無理していたのでしょう。とうとう約5年勤務した厨房を退職しました。 それからしばらく家で療養していました。その一方でこれから本当に自分がしたい事は何なのかも考えていました。その時、Mさんが「お前が学校の先生だったとしたら、たぶん良い授業をすると思うよ・・・」と言っていた事が頭をよぎりました。付き合っていた当時は冗談だと意識しませんでしたが、今になってそれがより明確なものとなりました。思えば、Mさんと再会出来たのも、一通の手紙で文通を始めたからでした。手紙がどれだけ私を励ました事か。 「文章を通して自分の思いや考えを表現できる素晴らしさを誰かに伝えたい」そこで、国語の教員免許取得を目指し、一念発起で大学へ社会人入学しました。(大学に入学して) 周りは7歳年下の学生ばかりで、最初は戸惑いましたが、年齢は関係ないと気にせずに何人かの子たちとは親しくなれました。3年になり、教職課程の講義も多くなり、人前に立つ機会も増えました。模擬授業や発表をする教科教育法の時間でした。自身についての3分間スピーチを一人ずつ前に出て行うことになりました。私の番が来て、受講生の前に立った時の事です。急に頭の中が真っ白になり、顔が火照り、足がぶるぶると痙攣を起こし始めました。話そうとするのですが、思うように言葉が出てこないのです。そればかりか、私を見る受講生の視線がとても恐ろしく感じました。自分でも理解できないスピーチになってしまいました。前とは全く異なる体調不良に、以前行った心療内科を受診しました。すると『社交不安障害(SAD)』と診断されました。再び薬物療法をすることになりました。 4年になり、母校の中学校へ教育実習に行きました。しかし、担当クラスの生徒たちともあまりコミュニケーションが取れないばかりか、授業実習、研究授業は不安と緊張が強くてひどかったです。それでも、生徒たちは一生懸命発表してくれました。最終日にもらった寄せ書きにも「必ず先生になってください「授業、楽しかったです」と書いてくれました。生徒たちには、教えるどころか教えてもらってばかりでした。でも、実習が終わったあと、一挙に先生方と生徒たちの貴重な時間をこんな心を病んでいる情けない実習生の為に受け入れてもらって申し訳なかったと思うようになりました。一応教採を受験しましたが、当然一次で不合格。その後、非常勤講師の電話がありましたが、全部断りました。「対人恐怖でまともな授業も指導も出来ないのに、そんな者が本当に先生になっていいのか。採用されたらその学校に迷惑がかかるのでは?」と思ったのです。 (大学を卒業してから現在) 結局講師登録もせず、現在は薬物療法を続けながら人に慣れようと畑違いのスーパーでアルバイトをして2年になります。 そんな今年の春の事でした。朝刊に入っていた『先生の異動』を見ていました。すると、1人の名前に目が留まりました。『A市立K中(H市立K中へ) T・M 』 T先生、Mさんでした。あれから8年の間、A市の中学校で勤務しながら教採に合格したらしく、講師から正規教諭になっていたのでした。しかも、異動先はMさんの住むH市内の中学校です。「本当の先生になってH市に帰ってこれたんだ。おめでとう。」もう関係がなく、二度と会うことのない人なのに、なぜか私は泣いてしまいました。別れた直後の夢でも見ましたが、おそらくMさんは既に結婚して子供もいるでしょう。それでも元気で幸せに暮らせているんだったらそれでいいと思いました。  とはいえ、私も完全に教育への関心が無くなり、教師の夢も諦めたわけではありません。「子供は好きだし、子供の心と成長の手助けをしたい。」という思いは持っています。しかし、どうしても自分に自信が持てず、自己卑下が止められない状態が続いています。あと一歩が出ないのです。心療内科の先生にも将来、このままモラトリアム人間になってしまわないかと心配されています。 そんな中、母校の小学校で放課後教室のボランティアを募集している事を知りました。低学年が一緒一緒に下校する高学年の授業が終わるのを待ちながら宿題をしたり、遊んだりするのを見守るのが活動内容です。私は子供たちとふれ合って交流を深めたい、SADを克服したいと思い、この4月から午前はバイト、午後は週3で小学校に行く生活を送っています。子供たちは時々、考えても見ないことを話し、行動するので楽しいです。最近、再び教師の夢に挑戦しようかという気になりつつもありますが、こんな病んでいる私でも夢を目指すべきでしょうか。

みんなの回答

noname#190213
noname#190213
回答No.5

こんにちは。 まず、30歳でおばさんなんて言わないで下さい~。私から見たらホントに若い人!ですよ(笑) さて、ワタクシは心理専門家でもない、フツーのおばさんですので、参考までに・・。 相談者様は、きっと学校側に認められたんじゃないでしょうか。非常勤講師の電話があったのですよね。 だめだと思われたら電話なんてかかってこないと思いますが・・。 相談者様は子どもをよ~く見ていらっしゃる。この文章から相談者様の子どもへの気持ちが伝わってきました。 病んでいる教員なんてた~くさんいますよ!自分じゃ気付いてないだろうな・・。と思うことも結構ありました。(子どもがいるので先生方と話す機会が沢山在りました)まあ、そんな先生方でありますが、教員に向いている人とそうでない人のことは実はすんごく見ているものです。 子どもを本当に好きかどうか?ってことです、そして子どもの気持ちを理解できるかどうか?。 その視点で行くと、相談者様は適正があると判断されたと思います。 プライベートでのそのなんといいますか、色々あったワケですよね。ああ、つらかったんだろうなあ・・。と思いましたが、まあ人生イロイロありますよ。教員だからって皆さんの人生が高潔そのものであったという保障はないですよ~。皆イロイロありますって。 そんなことより、相談者様。子どもたちはいい先生を求めています。そんなに自分を責めないで下さい! その繊細な感性はきっと役に立ちます。 ただし、現場にいらっしゃる方のご意見がありましたが、職場のイジメや保護者からのクレームはあると 思ってください。それはどんな仕事でも同じです。現場の方がモンスターペアレントとか言ってますけど、どんな会社にいてもお客さんからのクレームはありますよ。それと同じです。 お金をもらうのですから、いろんなことはありますよ。けれど、教員は子どもたちに影響を与える大切な仕事です。憎たらしい子どもでもやっぱり子ども。私はカワイイと思います。 子どもがかわいい!かかわりたい!っていう気持ちがあるなら、頑張ってみてください!

  • 310f
  • ベストアンサー率53% (630/1185)
回答No.4

こんばんは。 今年30歳、 高校の非常勤講師8年目になる者です。 夢見ることは自由です。 目指したいのなら、とことん目指せば良いと思います。 ただ、 やはり不安要素は取り除いておかないと…と思います。 なぜならば、 教える、生徒にも、 さまざまな不安定さをもつコがいるからです。 自身の常識が通用しないような、 今まで出会った事の無いタイプのコもたくさんいます。 苦手なタイプだって当然います。 言うことを聞かない生徒を、 きちんと言い聞かせることができなければ、 ちゃんとしているコ達に迷惑がかかり、 結果的に、 頼りないと、生徒から信頼されなくなると思います。 嫌なことがあっても真正面からぶつかって、 解決することができないと、 正直、学校で働くことはとても厳しいです。 生徒はとても敏感です。 先生を見て態度を変えてきます。。。++; 例えば、 心配して 慰めたり、声をかけたり、 説得したり、注意した時、 こちらが、心から心配して言ったとしても、 生徒が、その先生のことを 「頼りない」「不安定」といった印象をもっていたら、 いくら言っても、納得してもらえず、通じません。 “自分のこともままならない人に言われたくない。”と。 まぁ、それは最もな意見だと思います。 楽しいだけじゃ、教師の仕事は勤まりません。 何よりも、責任があります。 質問者さんが先生と出会って さまざまなことに影響を受け、人生観が変わった様に、 今度は、こちらが子供達に、 良かれ悪かれ、 そのコの考え方に何かしらの影響を与えるわけですからね。 自分なりの責任感をしっかり持てた時が 教員を目指す時期かなと思います。 今の子供達と触れ合うバイトを続けながら、 まずは、ご自身が自信を持てる様になって欲しいです。 教員になるかどうかは、 それから決められてはいかがでしょうか^^?

  • blazin
  • ベストアンサー率50% (20252/40150)
回答No.3

こうして書き込めただけでもスッキリしたでしょ? 貴方にとっては小さいけど、でも確かな一歩だよ。 どうしても抱えた「まま」の状態だと考え方も篭ってしまう。 書き込むプロセスは当然主観も強く働いていく。 同時に、 主観で書き込んでみた自分の文章や思いに対して。 貴方は「客観」の目線も送れるようになるんだよ。 それが一番大事な事であり、 書き込みや、相談の「意味」なんだよね? 相手から何か大きなメッセージを頂く事よりも、 自分の中の風通しが変わるきっかけになるから。 こうして僕が書き込んで貴方に伝える事も、 貴方の中に届いていく、 小さなそよ風の一つだと思ってもらえれば嬉しい。 ハッキリ言えば「べき」なんて無いんだよ。 貴方の人生だから。 貴方「が」どう生きていきたいか?進んでいきたいか? どういう自分に対して、 自分なりにオッケーを出していけるのか?いきたいのか? それって貴方が決める事だよ? 確かに紆余曲折はあったんだと思う。 体調を崩したり、メンタル的にバランスを欠いてしまった貴方。 でも、 貴方は何も失っていないんだ、という事。 その先生とのお付き合いにしても。 確かに当時の貴方はバタバタしていたし、 とてもゆとりを持って、 お付き合いを活き活きと感じる所まではいなかった。 突然の別れだけど、 実は突然の始まりで動きだした関係。 最初も最後も実は「同じ」形だったとも言える。 彼からのアプローチで始まった関係。 彼は最初から最後までマイペースだった。 貴方は嬉しさはあっても、 自分のペースで彼とのお付き合いを丁寧に積み重ねていけなかった。 彼氏が居るという状態が逆に貴方に色々な事を考えさせ過ぎて。 身軽なコミュニケーションが出来なかった。 色々考えやすい、抱えやすい貴方は既にその時点から見えていた。 彼が他の女性と~という部分は貴方の「外側」の問題。 ただ、 お付き合いとしての充実という目線で捉えるなら。 彼は彼の感覚で貴方に向き合い、 貴方は貴方の感覚で彼と向き合っていた。 実は「二人」ではなくて、「それぞれ」だったんだよね? 今の貴方ならわかるんだと思う。 貴方はそういう「経験」が出来たんだよ。 厨房での仕事だって、 やってみなければ分からない事でしょ? 貴方なりにもがいた5年間。 とても積み重なったような感覚は無いのかもしれないけど。 貴方は貴方なりに取り組んだんだよ。 自分を持ち崩した姿「だけ」に光を当て過ぎない事。 結果的にはしんどい時間の方が多かったけど、 その当時の貴方の精一杯だった、という事。 それも実は失った経験では無いんだよね? 大学への再チャレンジにしても。 貴方は誰に頼まれる事無く、自らの一歩を切り開く力が「ある」んだよ。 そして、 ある程度形になる所まで自分を導いた。 バタバタした部分はあっても、 実はそれって意外でも無いんだよね? 失恋にしても、前職場での精神的な不安定にしても。 貴方は気負いやすい、背負いやすい部分があるんだよ。 たまたま発表のタイミングでグラグラとなり始めた貴方だけど。 そうなり「やすい」貴方っているんだよね? 今もあるんだと思う。 大切なのは、 今までの経験値をいかに丁寧に抱きしめていけるのか? そして、 「今」の貴方に丁寧に活かしていけるのか? 教師への夢、という抱え方も。 下手をすると「気負う」自分と簡単にリンクしやすいんだよね? そうなったらまた貴方は自分を持ち崩す。 そういう自分をいかに「わかって」進んでいけるか? 夢が実現できれば嬉しいよ。 でも、 ハイ実現出来ました、と。 一つの「点」で判断出来るものでは無いでしょ? 教師になれた時点はハッピーでも。 またすぐにバランスを崩してしまったら幸せさえ持続しないじゃない? 大切なのは、 貴方が何を得ていくのか?というよりも。 貴方なりにどのように求めていくのか? 子供たちの成長を支えるスタンスなんて色々あるじゃない? 何より貴方自身も「一緒に」成長していきたい。 導く側で穏やかに存在できるほど、 まだ貴方自身の足元って出来ていないんだよね? 今のバイトと小学校に通う生活。 無理の無いスタンスの中で、 自らの肩の力を抜いて、 自らが「ほぐれた」状態でコミュニケートしていける経験。 実は今の貴方って、 子供たちに癒されている部分が大きいんだと思う。 その今の貴方が、 直ぐに一念発起して教師の夢を掲げる必要があるのかな? 今の自分なら目指していけるなと。 目指していき「たい」気持ちも大事だけど、 心技体の充実も含めて、 貴方自身のバランスも含めて。 今の私なら、 少なくともプロセスを大切にしていけるんじゃないか? 不安定になっても、 そういう不安定の中でも自分なりに折り合えるような。 そういう自分として進んでいけるんじゃないか? 貴方なりの手応えって必要なんじゃない? その時が本当のタイミングだよ。 年齢的に背負うものもあるのかもしれないけど、 年齢は数字であって、 貴方が本当に進んでいきたいと思った時に年齢は関係ない。 それよりも、 今までの自分史に本当の意味で素直になった貴方として。 その歴史を重たく背負うのではなくて、 貴方なりに丁寧に昇華した貴方自身として。 どんなプロセスになっても丁寧に向き合っていける、 進んでいける貴方が必要なんじゃない? 焦る必要は無いんだと思う。 自信という言葉を背負わない。 貴方は貴方。これからも貴方。 私は私なんだと。 これからも私なりに進んでいけば良いんだと。 優しくて穏やかな志。 それが「自」分を「信」じる=「自信」なんだから。 自分をもっと大切にね☆

回答No.2

過去にいろいろな辛い経験をしたようですね。 まず、質問者様に一言言わせてください。 夢は、誰にでも持つ権利はあります。 そして、夢を持つこと、追うことに遅いことなど 一切あります。 いいじゃありませんか? 今からでも全然遅くはありませんよ。 私は、素晴らしい夢だと思いますし、素晴らしい挑戦 だと思います。 また、教師にとっては、生徒の気持ちを理解することも 最重要課題です。 紆余曲折の人生を歩んできた質問者様だからこそ、優しく 人の気持ちを理解できるかと思います。 いろいろな人生経験をした人こそ、それが自分の貴重な財産になり、 それが間違いなく生かされ、役に立つことがあります。 それは、間違いなく、これから目指す教師という仕事には、必ず 生かされます。 過去の辛い経験は、決して忘れることや消せることではできませんが、 夢を追い、実現すれば、過去のことは、必ずや良い思いでとなります。 決して、夢を追うこと、叶えることに、遅いことはありませんから、 頑張って挑戦して、実現させてください。

noname#171468
noname#171468
回答No.1

教職の方がどれだけ、メンテルダウンで休職して居るか、現実ご存知ですか? 理想と夢は別物です、メンタルコントロール出来ない、ぶれないニュートラルに置けないなら、放課後児童クラブでも、す覚ましさは相当です。  遊んで時間が過ごせると思うなら、子どもの文言は容赦無い、暴言も吐き出します。  「お前、それで良く大人をやれて居るか~」「それでお前な~」非行傾向の子どもの文言を書きましたけど、コレが何時出るか分からないです。  威張る、格好付けで、憎たらしい言葉を吐き出す、それが小学校高学年の子どもです。  正規採用の教諭なら、親御さんと言うバックが来ます、担任として、学級運営など教育、教える立場になれば、親さんは相当敏感です。  親から来るクレームで、メンタルダウンするのも、担任です。  親は「モンスターペアレント」http://matome.naver.jp/odai/2129532802245317001に何時なるかです。  きちんと、病気を乗り越えない限りは、相当難関です。  病みました、お休み下さいは通じないです、動き出した電車は終点までは運転する責任が「教育」と言う生きた子どもを社会へ送り出す課題です。  病気を舐めるなと言いたいです、きついが、現場を知っているだけに認識の甘さを感じます。

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