> 無形の型とても言うものが、存在するのでしょうか?
抽象的に言えば、「心の力」みたいなモノでしょうね。
具体的に言えば、福島の原発事故が起きた当時を想像してみて下さい。
未曾有の不測の事態に遭遇し、東大卒が当たり前みたいな経営陣や官僚など、頭で考えてた連中が、原発事故の初動において、何か役に立ったでしょうか?
例えば保安院や安全委員会には、不測の事態を想定して立てられた対策などはゴマンと有りましたが、それらは、ほぼ何の役にも立ってません。
コイツらは、不測の事態を想定するコトまでが、お仕事だったんでしょう。
またその結果、東電の経営陣が下した判断は、「撤退」だったと報じられていますね。
確かに人類史上でも屈指に過酷な「不測の事態」ではありましたが、日本を代表する企業経営者の知性で考えた結論は、結局「逃げ」ですよ。
福島原発事故が、チェルノブイリの様な最悪の事態に至らなかったのは、現場で心が折れなかった人達の力だと思いませんか?
彼らの心が折れなかった理由は2つではないでしょうか?
一つは、彼らの「経験」でしょう。
彼らが誰より福島原発を熟知していました。
彼らの経験を以ってしても、恐ろしい状況だったとは思いますが、彼らの経験を、自信や自負とか、責任感に置き換えて、その恐怖感と戦い、勝ったんですよ。
もう一つは、「覚悟」でしょうね。
たとえ「最悪の事態になっても」「自分の命と引き替えにしてでも」と言う覚悟さえすれば、恐怖感を乗り越えられます。
モチロン経験も含め、多くの知性は必要ですが、頭の中で考えた知識的な知性だけでは無く、やり遂げるため、生き抜くための知恵と、やはり自信・自負、責任感、勇気・覚悟など、「心の力」の存在は大きいと思います。
さすがに日常の職場で、そこまでのコトは要求されませんけどね。
ただ、不測の事態や有事には、日々、緻密に備える部分と、最後は腹を据えて、「自分が解決する」「自分が守る」と言う気持ちが必要かと思いますし、腹を据えることで、目先の問題に煩わされたり、責任感などの恐怖感から逃れられ、冷静で客観的な適切な処置・対策などを思い浮かべる「余裕」を捻り出すコトが出来ると思いますよ。
逆に言えば、質問者さんも不測の事態に遭遇したら、もっと腹を据えれば良いと思います。
そしたら、腹を据えた者同士になり、同じ立場なら、緻密に予測を立てている人が勝ちますよ。
他人のプレースタイルは、他人のモノです。
振り子打法を真似たら、誰でもメジャーで活躍出来ると言うワケでは有りません。
質問者さんのプレースタイルは、真面目で緻密であり、それは質問者さんの「良さ」です。
ソコに、相反する「不真面目さ」などから、取り入れるべきモノなど無いと思いますよ。
普段、緻密に考えていないからこそ、白紙からアイデアが構築出来るだけでしょう。
ただ、そこには「余裕」がありそうですね。
また、その場当り的なアイデアが、問題解決や局面打破に対し、適切・有効なワケですよ。
「その理由は何か?」だけを取り入れて下さい。
私は経験則の豊富さと、当事者意識と、状況分析の正確さ(≒客観性,冷静さ)などかと思います。
当事者意識は、腹を据えるコト・逃げないコトであって、「自分で何とかしなきゃ!」みたいな焦る気持ちとは違います。
ヤル気は将棋盤の上で、敵の王将に向かえば良いですが、思考は常に冷静な将棋の棋士のまま。
その状態で100手先まで予測すりゃ、並みの棋士なら勝負にならないと思いますよ。
お礼
大変たくさんの回答有難うございます。 >不測の事態や有事には、日々、緻密に備える部分と、最後は腹を据えて、「自分が解決する」「自分が守る」と言う気持ちが必要かと思いますし、腹を据えることで、目先の問題に煩わされたり、責任感などの恐怖感から逃れられ、冷静で客観的な適切な処置・対策などを思い浮かべる「余裕」を捻り出すコトが出来ると思いますよ。 ポイントは覚悟と余裕を持つこと、ということですか。私も私なりに覚悟・責任感は持っているつもりですが、またまだ足りないでしょうし、余裕さえ少しも持っていません。いざとなったら、混乱してまともな思考できないかもしれません。 原発事故の問題で私が特に興味を持ったのが、日本人とアメリカ人の思考の違いでした。アメリカ人は常に最悪を想定してるんだなと常々思いました。あの国の危機管理能力って凄いですよね。日本と違って、常に戦争をする国だけのことありますよね・・・。 何でも良いからって言っちゃなんですけど、常に危機感を持つようにするのが大切なのかもしれません。