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鵜沼駅短絡線の歴史
名鉄新鵜沼駅の国鉄との短絡線はWikiなどで昭和47年に新設とあります しかし国土交通省の航空写真画像情報所在検索・案内システムなどから閲覧できる1948/04/17米軍撮影の航空写真、また少し見難いですが同システムで最古の航空写真1947/10/13米軍撮影のものでも短絡線と同じような位置に線路ではないかと思われる跡が写っています。 したがって短絡線は戦前からあったのではないかという疑いを持ちましたが、ご存知の方はいないでしょうか なお航空写真画像情報所在検索を利用するには http://airphoto.gis.go.jp/ のポップアップブロックが無効になっている必要があります
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東鵜沼駅はJRの鵜沼駅に横付けしてホームがあり、鍵状になった位置に新鵜沼駅がありました。長い渡り廊下の形に連絡通路になっているのはこの名残です。 犬山橋の配線ですが、こちらは旧国道41号線の敷地に強制的に線路を敷いたので急カーブが続出しました。国道がルート変更になり、県道に降格するまで改良工事は行われずにいましたので、接触事故は当たり前でした。 それまでの鵜沼駅のスイッチバックですが、こちらは美濃太田駅まではセメントや石灰の輸送をしており、機関車の付換をして犬山線柏森駅への輸送がありました。これらの廃止に伴い名鉄は甲種輸送以外の術を失う事の代償が「北アルプス」の前身である準急「たかやま」の運用を行い、補償した訳です。東鵜沼駅の新鵜沼駅の統廃合によりスペースが空きましたので、夜間退避の抑留線を転用してその1線をJRの線路に繋げて短絡線は整備されました。 ほぼ同時期に大手私鉄や準大手の私鉄は大半が臨海鉄道による輸送変更で、私鉄と共用する駅の管理を大手私鉄に任せて保証し、その対処がない名鉄は衣浦臨海、名古屋臨海に自社の貨物路線を転換させられてしまいましたので、「北アルプス」の乗入を認めた訳です。
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- TooManyBugs
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- TooManyBugs
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No2の続きです 図は昭和50年頃の鵜沼駅の配線図です、朱書きにした所が47年に新設された部分です。 ついでながら北アルプス(前身の準急たかやま)の運転開始は昭和40年です。 また昭和2年の御召し列車は妄想鉄道では国有鉄道車両を使用したようですが現実世界では名鉄車両706+トク3+707が使用されています。
- tetu758
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鉄道サークルで鉄道史を教えていますので解説をします。 鵜沼駅の短絡線は終戦時に小牧市にある米軍基地の兵隊が下呂温泉や高山観光に行く為に既に利用されていますし、この昭和47年は高山線乗入の「北アルプス」が定期になった時の事を指していますのでこの記載は誤りです。 鵜沼駅は各務原線(東鵜沼)と犬山線(新鵜沼)では駅が異なっており、車両の受け渡しを行っていましたので短絡線ではなく、入換線としては戦前からありました。この時は営業が目的ではありませんのでスイッチバックする体系ですし、昭和初期には既に「お召列車」が押切駅(現在の名古屋西区役所)から運転されており、名鉄の80年史等には写真とダイヤグラムが記載されています。この時は国鉄(現在のJR東海)が車両を提供し、運転されています。 東鵜沼駅が新鵜沼駅と統廃合されてから昇圧(600V~1500V)、配線の変更があり、様変わりをしました。又、犬山市内の配線も異なり、広見線の始発駅の犬山駅は現在の犬山口駅ですし、小牧線(当時は大曽根線)の犬山駅が現在の犬山駅です。 これらについては名鉄OBの先輩から指導を受けており、資料も提供して頂きました。
お礼
詳しいお話ありがとうございます 情景が浮かんでくるようです 東鵜沼駅は新鵜沼駅と東端で合わさるような形で高山線と平行にホームがあったのでしょうか?(3つの鵜沼の駅としては西でも鵜沼の町としては駅群が町の東にあったのですね) 犬山橋から各務ヶ原への連絡線はかなりの急カーブに見えます。こちら側は連絡線としては使ったいなかったということでしょうか 犬山橋から高山線への連絡船は一旦東方へ進んで留置線(ここまでは名鉄の留置線だったのでしょか?)に入り直接高山線には入れずに一旦省線の鵜沼駅へ行く必要があったということでしょうか 昭和47年の短絡線の新設とはカーブの連絡線のことではなく、留置線から高山線高山方へ直接渡る線のことっだのでしょうか こういった情景が浮かんできそうな気がします。 でもまだ正しいと確信はしていませんので分かればご教示ください
- TooManyBugs
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Wikiは嘘も書いてありますから鵜呑みにしてはいけません。 名鉄犬山線と高山本線との旅客列車の直通運転が始まったのは昭和7(1932)年でがそれ以前にも貨車の授受用に使用されていたものと思われます。 昭和47年は短絡線から直接美濃太田方へ運転できるようになった日付です。 それまでは高山本線と並行した所で行き止まりになっており直通列車は一旦国鉄鵜沼駅3番線までバックして発車していました。
補足
高山本線と平行したところで行き止まりになっていたという個所は鵜沼駅の東方なのでしょうか?
- ebisu2002
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Wikiの連絡線の項には1932年から存在と記載されていま しかし 「これはもともと貨車の直通を行うための引込み線だったため、 新鵜沼駅を少し各務原線を新岐阜方面へ少し進んだところでバック、 一旦引込み線に入って再びバック、 ようやく鵜沼駅のホームに着いて高山を目指すという二度手間が必要だった。 名鉄は新鵜沼駅をパスして方向転換なしにそのまま高山本線とを繋ぐ連絡線を建設、 昭和47年9月27日からめでたく使用」 http://www.ne.jp/asahi/mulberry/mt/rail9/unuma.html とのことで 1947年の航空写真の犬山橋側は直結されていないようです また犬山線新鵜沼駅は当時は犬山橋からまっすぐ北進して国鉄線や各務原線に対して直角に駅があり 写真に見える今より曲線の強い連絡線では直通されていなく(電圧も異なっていた) 新鵜沼駅構内の大改良工事で電圧も統一され両線の直通運転されたのは昭和39年のことのようです
補足
そのホームページの記述を見て連絡線は鵜沼駅の西方で省線と平行にバックして、その線はホームに接続していないため鵜沼駅の東方でさらにバックして国鉄の鵜沼駅に入線したと解釈したのですが(写っている短絡線を使用した記述ととすると新鵜沼を西方へ少し行って犬山橋のほうへバックして引き込み線に入り、バック=短絡線を通る=で鵜沼駅に入るということになり鵜沼駅の東方で接続するため) したがって、短絡線自体はWikiの連絡線の項の通り1932年頃から存在していたのでしょうが、犬山橋方の接続が直通していなかっただけということなのでしょうか?
お礼
かさねがさねありがとうございます