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年齢と共にうわべばかりの人間関係が増える
どうして人って、歳を重ねると社交辞令的な人間関係が増えるんですかね? こころから分かり合える友だちができるのは若いうちだけ、のような 気もしてきます(たぶん間違いですけど) うわべばかりの人間関係が増えるのって嫌じゃないですか?
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他人と話す目的が 『仕事の為』だったり 『円滑に物事を進める為』だったり 『一般常識の為』だったり こういった目的や社会のルールがお互いの気持ち、余裕なんか関係なく 無理矢理距離を縮めようとするからじゃないですか 想像してみてください そういった目的や社会のルールがない中で 貴方と同じ年代が、一つの場所に集まって昔流行った遊びをしたら 友達が出来そうだと思いませんか? 遊びの中では友達は出来るだろうけど 義務や責任の中で友達は出来そうにないですよね。
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- uru-rin
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年を重ねると、人格や考え方が固まってくるので、それほど人と深く付き合う必要がなくなってくるからではないでしょうか。 若いうちは、ぶつかり合っていく中で、人格や価値観が練り上げられてきますが、ある程度固まってくると、それを今度は維持しなければならないために、どうしても表面的になりざるを得ないのではないでしょうか。 それに、多くの人は家庭を持つので、それが一番大事になって、友達は二の次、三の次みたいになるのではないかな・・。 ある年齢を重ねた上でも、人格やら考え方やらを人との関わりの中から根本的に変化させていくことができる人は一握りだと思います。 論語の言葉に、「君子の交わりは淡さこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴の如し」という言葉があります。 賢い人は人と「淡々」と水のように付き合い、愚かな人はベタベタ深入りして酒のように濃い付き合いを好むという意味ですが、、私は愚か者の方が好きなので、未だにベタベタと深入りしたくなりますね。 でもそれはそれで人間関係のことで頭がいっぱいになり、日常生活もうまくできなくなったり、相手にも迷惑をかけたりして、いいことかどうかは全く分かりません。
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- miiiii1224
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うわべだけ・・・ 確かにそうですよね。 付き合いのなかでも、本音の部分って隠し持っていることが多いので嫌になってきます。 あなたもそうだと思うのですが、特に"人"をよくみる人ってそういうのに敏感なんだろうなと思います。 人の奥深い部分を無意識に感じとってしまって、表面上との差に失望したり・・・
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- strbegger-po
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>>うわべばかりの人間関係が増えるのって嫌じゃないですか? 確かに言われていることには間違っては(?)いないと思われます。 しかし、誰しも年齢を重ねる毎にいろんな問題を抱える様になってしまうんですよ・・・。 (家庭内の事・親戚関係・会社・仕事・病・・・etc) 言われている様に『うわべばかりの人間関係』は当然となり“暗黙の了解”とする大人達が“良し悪し”ではなく普通とされるんですよ。
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- ok2775
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少し視点を変えてみましょう 「年を取るとうわべばかりの人間関係が増える」 考えようによっては一番無難の(最良)のことなのです。 それで世の中がまあるく納まっているのです。 逆に皆が心から打ち解けることが出来たとしたら、毎日が そのことで頭の中が一杯になってしまってたいへんです。 ですから、どうしても年を取り長く生きてくると付き合う人が それなりに多くなってくると思います。その人たちと仲間として 仲良く付き合っていくにはある程度社交辞令的なことが必要と 思います。要は大人のつきあいというものです。みんなそのところのことを よーくわかっているのです。 しかし、そのなかにでも本当に心から打ち解けることが出来る人 も必ずいるはずです。でもそのような人は多くは居なくて本当に 少ないと思いますのでのでその人と心から打ち解ければいいのです。 親友は若いときだけに出来るのでは決してありません。 いつの時代にも信頼できる人は出来ると思いますので安心してください。
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- bekky1
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うわべ・・・とあなたは表現されるが、これは個々人の「言語」の意味する違いに過ぎないと思います。 単語一つでその人の日常の意味することがどんどんと違ってくると、その「差異」を埋めるのは至難の業です。 娯楽・趣味として、イロイロ思い浮かべる人のいる反面、「パチンコ・スロット」ぐらいしか思い浮かばない人。 単語は同じ趣味、娯楽ですけど。 その人の背景が年とともに違ってくるので、どうしても、うわべというなら、うわべが意味する、間違いのない範囲での 最大公約数で話をするしかない。 暇な時間は趣味に当てる、楽しいです、ほぼ毎日ですね。・・・あなたもですか? 今度ご一緒できるといいですね。・・・と 話して、パチンコに一緒に行くか、ジョギングに行くか、俳句の句会に誘うか・・・ナドナド。 別に、収入の多い少ないだけの問題だけでもないし、学歴だけの問題でもない。 どうしたって、ほぼ分かり合えることしか話せないでしょうし、互いにすり合わせても今度は、えてして 近親憎悪があるので、微細の違いが気になるようになります。 昔のセクト争い、分派行動などなど。 うわべを一概に否定するのもどうかなッテ、思うところです。
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- toshipee
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歳を取れば、ガキの頃みたいに「仲間を増やさないと不安」って事がなくなった。群れることが嫌いになったね。だから、友達ではなく知り合いが増えたから、それがうわべだけだと思えばそうなるし、それを気にしないとなれば、むしろ必要なヒトしか増えないから、充実していると感じるよ。
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- lions-123
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>年齢と共にうわべばかりの人間関係が増える どうして人って、歳を重ねると社交辞令的な人間関係が増えるんですかね? 裸の付き合い、時間の制約が少ない、無償の親切や相談、徹底した恐怖や悪戯の共犯意識とか連帯感etcの仲間意識とか濃密な同志的な結び付きが幼少・学生時には通い合っていても、年齢を重ねると経験や価値観や環境の差があり、猜疑心やメンツ&意地があり、虚栄心やコンプレックスでわだかまりが有ったり、警戒心とか対立を避ける心理が働き、うわべの付合いに成り易い。 相手への警戒心や猜疑心で距離を持ったり感じるように、こちらの方にも家族や肩書きや責任が重し・鎧・フイルターと成り、心身ともに丸裸での話し合いや遊びや付合いは出来なくなる。 ex、幼少期の悪戯をした悪友でも、大人になっては同じように出来ないし、もちろん、世間も周囲も許さない。 ex、年齢を重ねての同窓会であんなに無警戒・一心同体のような仲良しの親友でも、歳を重ねれば、それなりの距離感が出てくるし、まして同じような裸の付合いの友は居ないし出来ない。 >うわべばかりの人間関係が増えるのって嫌じゃないですか? 嫌と言えば、嫌だが・・・ それは、お互い様。 心の中の奥底まで、見せ合い・覗き合うような濃密で無邪気(?)な関係は、色んな制約や現実の暮らしの中では困難な事も分かり合っての距離は、ぶつかったり傷付けない空間・距離感であり、互いに安心してリラックスして、方向や距離を自然に間合いを取り優しく素直に付き合えるのが、お互いに理解し信頼しあえる大人の友達関係だと思う。 相手も此方も立場があり、家族が有り、責任があるし、利害や感性や価値観の違いを理解してるので、ある種の諦めと言うよりは望まないし適度な距離感や緊張感のあるほうが落ち着き心地よい心境になるのでは・・・。
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- yasuto07
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なにもしゃべらないから、人間関係も増えないです。
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- sergio2010
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同感です。 朝、起きた時点から『虚』の世界で生きているような、 近所の方の『おはようございます』という一言さえ重みがなく、 最近、人の言うことを真摯に受け取れない自分がいます。 反して私の仕事は人と労働時間が少しずれているために、 一般的な人が何を基準に、また何を楽しみに生きているのか、 分らない節もあり、長年、付き合っている友人に対してもどのような 話題を振ったらいいか分らず困ってしまったりしてます。 たとえば、私の仕事場では常に『学習』することが当たり前のことであり、 何気なく『勉強してないと置いて行かれちゃう世界だから』などという話をしたりすると、 まるでこちらが相手のことを馬鹿にしているような態度をとっている、 と捉えられたり、本当にやり辛いことがあります。 また、必要以上に傍に寄って来る人の関係性を考えると、 単なる物々交換をする関係だったり。 まあ、心から話出来る人間て少ないと思いますよ。 だからこそ、自分のやるべきことをしっかりとこなさないとイケないと 思っている次第ですが、でも、何となく気分は良くないですよね。(苦笑)
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そうですね。 結局、仲良くなろうとしてもうまい具合にはぐらかされる事も だんだん多くなってきましたね。 その逆に、自分自身も本音を言う機会も減りましたけど。 結局は「口は災いの元」なのでしょうね。
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自分の行動範囲の拡大 義務や責任といった社会的背景 自我の固定 気遣い、遠慮 考え方の変化 …など複数の原因によって生じる、必要悪といったところでしょうか。 それで世の中うまくいっているので、一概に悪ともいえない、 ということにも気付かされました。おそらく、昔から こういうもの、なんでしょう。 いわゆる、大人のつきあいとはこういうことなんですね。 前向きに捉えて、楽しく生活しようと思います。 ありがとうございました。