人はなぜ混浴するのだと思いますか
混浴の文化ってありますよね。
日本の温泉に一部残っていますし、ドイツのサウナでは、すっぽんぽんの混浴がスタンダードなのは有名です。またノン・セクシュアル・ヌーディズム(ネイチャリズム)なんてのも世界各国にあります。
いろんなサイトを見ると「裸とセックスは違う」「風呂で裸になるのにいちいちセックスと結びつける方が不自然だ」というような主張が見られます。たしかにもっともだと思います。
混浴のマナーとして、「じろじろ見ない」というのがあります。また「人間の裸なんて、慣れてしまえば何とも思わなくなる」「誰にだって、ついてるものはついている」「ドイツで混浴している人たちは、非常に上品で紳士的だよ」というのもあります。これももっともだと思います。
でも、やっぱり人間である以上、異性の裸に性的な興味を持つ、というのもまた「自然」だと思うのです。何しろ、仕事でいつも「見ている」産婦人科医だって、わいせつ行為に及んで事件になることがあるのですから。
そこで、質問ですが、混浴しておきながら、「ジロジロ見るな」とか「私は露出狂ではない」と言い張る人たちは、ではなぜ混浴するのでしょうか?
彼らに言わせれば「いや、むしろ混浴が自然で、別浴が人工的なのだ。私は原則に従っているだけだ。湯あみしているだけなのに、いちいち性的な目で見られるのは迷惑なのだ」ということになるのでしょう。
それはそれでわかりますが、でもやっぱり、今は古代ではないのだから、現実世界でスタンダードなのは、別浴の方でしょう。もしまったく見られたくない、見たくない、のであれば、なぜ彼らはわざわざ混浴するのでしょうか。地方の混浴温泉でも、まったく混浴しかない、というのはむしろ少数派で、別浴と混浴の両方がある、と言う方が多数派だと思います。
そうだとすれば、やっぱり混浴をする人たちには「体を洗う」とか「湯につかる」ということ以外の目的もあるように思えるのです。それは何でしょうか。たとえば「理性と品性を保ちつつ、自然な状態で異性とも交流する」とか?その場合、「混浴のマナー」はどのようなものになると思いますか。
変な質問ですみませんが、ちゃんとまじめにきいています。よろしくお願いします。
お礼
おばちゃんはやはりと思いますが若い女性でも平気なのですね。 回答ありがとうございました。