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「カーネーション」不倫の描き方

朝ドラで不倫をどう描くか話題になった「カーネーション」。 二人が別れを向かえた今、脚本家や演出家はどこまでの関係を意図していたのかが気になります。 今日の放送では、一度切りの最初で最後の夜を過ごしたというのが、一番素直な解釈のように思いますが、 それでもなお、ずっとプラトニックのままとも、とうに男女の関係だったようにも感じられます。 推測の域を出ないものとは思いますが、皆様はどう思われますか?

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  • ucok
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回答No.3

#1で回答した者です。もちろん鑑賞の仕方は人それぞれですし、ましてやフィクションの登場人物の真意ははかり知れませんが、ちょっとだけ補足してよろしいでしょうか。 このエピソードのポイントは、組合長との場面で示唆されたように「浮気でなく本気」であることです。このドラマの中で「本気の裏切り」を経験している人は、糸子以外に一人もいません。いえ、実際には一人います。糸子の「駆け落ち同然」だった両親です(まあ、ナッちゃんの夫はグレーゾーンですが)。しかし、勝も浮気が「浮気」であったと判明した時点で、心の許しを得ています。 それから、現実の世界では、「二人は肉体関係をもったと誰もが信じているが、実際にはそうではない」という状況がいくらでもあります。これは史実に基づいているだけに、その解釈の余地を残しているのだと思われますが、一方では糸子も結局、「曲がったことが嫌い」ですから、肉体関係があろうとなかろうと、基本的には気持ちをごまかさないわけで、ごまかさない以上は「罪を背負う」覚悟でいるという理屈なんだろうと思われます。 そこがこのドラマの特徴だと思います。つまり、避けきれない恋に直面した時、人がどう落とし前をつけるか、ということです。もともとこのドラマは、洋服をテーマにしているようでありながら、「違う価値観に直面した時に、どう切り替えるか」がテーマですから。 また、きれいごとで済ませないのが、このドラマの特徴でもありますが、例えばネット上の恋愛相談などで、いろいろな人が浮気や不倫の定義を議論しては「ここまではオッケー」とかそうでないとか言っているのを見るにつけ、このドラマは毎度毎度、「境目なんて関係ねえ(あるいは、関係あらへん)」と言っているようで気持ちがよくもあります。糸子は「けじめ」とか言っていますが、実際の「けじめ」は曖昧模糊とした存在ではあります。 今後の花言葉が楽しみ。

noname#164674
質問者

お礼

お礼が遅くなってしまってすみません。 ♯1と3、回答ありがとうございました。 外泊のときが最初で最後というのがもっとも多い解釈になると思うし、そのように作られた構成だとは思いますが、 それでもまだプラトニックなのか、以前からの関係なのかの想像の余地がある、そのことも狙った脚本のような気がします。 とっても奥深い考察ありがとうございました。

その他の回答 (2)

noname#159989
noname#159989
回答No.2

何せ朝ドラですから肝心な部分はぼやかしてあとは視聴者のご想像におまかせ、という手法ですよね。 まあ普通に考えて男女が一夜を過ごして何もなかったと考えるのは不自然かと思います。 実在の人物をモデルにした実話が元ですから、実話とドラマのギャップは観る側が埋めるしかないでしょう。 ドラマには表現されてませんが夫であった勝さんも浮気していたし、男性であれば愛人を囲うのも別に珍しくなかった時代です。 店を繁盛させてる敏腕経営者なんですから男性であれば世の批難も受けなかったというものでしょう。 男なら見て見ぬふりしてもらえるのに女性だけが不貞を許されないのはおかしい。 そんな気持ちも見え隠れするように思うのは私だけでしょうか? ただ周防さんの妻子に対しての贖罪の気持ちだけは拭えないからけじめとして別れを決意した。 まあそんな風に見ています。

noname#164674
質問者

お礼

お礼が遅くなってしまってすみません。 回答ありがとうございました。 色々勝手に想像するのが楽しかったから、良かったかなという感じです。 >店を繁盛させてる敏腕経営者なんですから男性であれば世の批難も受けなかったというものでしょう。 きっとそうですね。勝さんも問題ナシの扱いだったし。 でも上記のパターンでも、女側は夫を見捨てた淫売女って言われるんだろうなあ。

  • ucok
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回答No.1

あ、史実に基づいているので、別れたとはちっとも思っていませんでした。でも確かに公式サイトの相関図には「別れ」とありますね(でも相関図に入っているということは登場はするということ??)。 「意図」はさておき、人というものは別れても生きている限りは地球上に存在しているわけで、またすれ違うこともあろうかと思います。「お約束通りに行かない」を公言しているリアリティを追求する『カーネーション』としては、なおのことでしょう。 いずれにしても、恋の高揚感と後ろめたさと先のなさが、現実感を伴って見事に描かれていると私は思いました(あくまでも主観です)。べつに、否定も肯定もせず(というのもモデル双方のご家族はご健在でしょうし)、淡々と心模様を描き出していたと思います。なんか、甘く優しいんだけれども、すっきりしなくて、それでいて浪花節でもないような、あの感じ。お御堂(?)とのツーショット「かなわんなあ」は私の永久保存版シーンです。 いわゆる男女の関係かについては、完全に視聴者にゆだねられていると感じました(朝ドラですし)。それでわざと、影にセリフをしゃべらせたのでしょう。でもむしろ、もはやそういうことは関係ないとも私は思いましたが。というのも、お互いに、心はそれぞれの配偶者にある点は小道具で描かれていましたよね(団子とショール)。けれども、道具は使えても、恋というものは、人の力でどうこうできるものではありません。 かつて鈴木京香主演の『君の名は』には「体を重ねるなんて、なんぼのもんでもありません」みたいなセリフがありましたが、それをわざわざ言わせない『カーネーション』が好きでもあります。 余談ですが、泰蔵が奈津にまんざらでもなかったと思わせる太郎の描写が心にくかったです。ナッちゃん、はよ、ドラマに帰ってきてね。