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雑踏で古い知人を見かけた時つい身を隠してしまう。
こんばんは。 昔の会社の同僚とか仕事で関係した人とか、もっと古いと学生時代の友人とか、 バッタリ出くわすことが稀にあると思います。 この質問の場合出くわすのではなく私の方が先に少し離れた処から認識する場合です。 向こうは気が付いていない。 すぐ駆け寄って話しかける場合もありますが、少し躊躇してしまう時があります。 躊躇して、話しかけようか、やり過ごそうか、どうしようか、ってなってしまう時がある。 結局雑踏に身を隠してしまうことがあります。 その知り合いに借りがあるとかではありません。 同僚とかも普通にやってきたつもりだし仕事で迷惑を掛けたことも無いと思います。 仕事の場合は過程において小さなミスは有りますが最後の帳尻は合わせます。 事例を申しますと、 ・社会人成り立ての時中学校時代の先生を目撃した、やり過ごした。 ・同じ頃中学校時代の友人を目撃した、やはりやり過ごした。 ・最近ですが同僚だった女性を目撃した、やはりやり過ごした。(お母さんやってた) 私は大学に進学せず独身生活も長く、その辺りで先生・友人を避けたのか? 負い目を感じていたのか? 同僚女性の時は?面倒だった?おっくうだった? そんな風な自分での分析はあります、でも情けない。 「オイ!〇〇かよ!久しぶりだな!」ってなぜ言えなかった?(言う時もあります) 皆さんはこのような行動はしますか?したことがありますか? した場合はやはり何か理由がありましたか? ケースバイケースですが ある、と言う人がいたらモヤモヤも晴れます。 では宜しくお願い致します。
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ケースバイケースですね。 相手が、話しかけてきても、何年もあっていない人なら、 たとえ名前で呼ばれても違います。 と言って知らんぷりする時もありますよ。 久しぶりに見かけた親友なら声をかけるときもありますけどね。
ひょっとして自分の写真を見るのがいやではありませんか? 自分の声の録音を聞くのがショックではありませんか? 若いうちはそんなものです。過去の知人にばったり出会うことは、完璧でなかった過去の自分との遭遇です。若いうちは、自分が完璧ではないという思いとうまく和解できないものです。私が若い頃に同窓生を避けていたのはこういう感情があったようです。歳を取るとそんなことはなくなりました。ずうずうしくなるのか、他人もどうせ完璧ではないとたかをくくってしまうのか。自分のかっこわるさと和解ができてしまうんですね。20年前の写真を見ると、同時あんなに見るのがいやだった同じ写真を、かなりいけてると感心して見ていますよ。
お礼
いや、もう結構なオヤジなんです。 写真を見て「オレはこんなはずじゃない!」ってなりますがもう慣れました。 その人と会っていた頃の自分のみっともない処、それとの葛藤、とのご指摘。 理解しました。 でもそろそろ解消したい、分け隔てなく「ヨウ!」とやらねば。 どうもありがとうございました。
- harurumoka
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あります。理由としては、 ・もしかして人違いかもしれない ・声を掛けても、それから特に話が盛り上がりそうもない ということです。 ものすごく久し振りに会う人って、あまり内容のある話はできませんので盛り上がりません。 気まずい間が出来るくらいなら、話しかけないほうが賢明です。 心の中で、「あ、あんな人もいたな」と思って、そっと雑踏へ紛れることにしてます。
お礼
あー、そうですか。 確かにもう共通の話題は少ないでしょうからね。 でもそこをやり過ごしたら一生会えないかも知れない、と考えると。 なぜあの時。 確かに、声を掛けず心の中に、ってありますね。 どうもありがとうございました。
お礼
えっ、声かけられて知らんぷりですか!? それはないなー、さすがに。 でも声かけない人がけっこういて安心しました。 どうもありがとうございました。