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SADか統合失調症か・・・?

神経の高ぶりと、イライラとあと、対人恐怖、視線恐怖などで、 ジプレキサを飲んでいましたが、今ひとつ良くならず、 他の曜日の別の先生にイライラが激しいと、リボトリール(ランドセン)を飲んで、症状が良くなりました。 対人緊張とかましで、精神的に安定しました。 私は、統合失調症なのでしょうか?SAD(社会不安障害)でしょうか?

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回答No.1

関係念慮、被害妄想、妄想などがあれば 幻聴、幻覚がなくても分裂病 (=精神分裂病=統合失調症)と診断される のですが質問者さまはどうでしょうか。 希死念慮、自傷行為などがないのは 大いなる救いですね。 期待心、依頼心、依存心、承認欲求、 偏執的自己愛、自他比較、 自己中心主義などがあれば 早期に消滅させることで、 穏やかな気持ちで静かに暮らせるでしょう。 対人恐怖の症状が顕現しない相手も いるのでしょ。どうして症状が出ないのか 極限思考してみますと環境に変化が みられるかもしれませんよ。 お大事に!

toyocchi
質問者

お礼

関係年慮があり、統合と診断されています。 いまいちジプレキサという薬は、イライラと神経の高ぶりを取ってくれません。 参考になりました。 ありがとうございます。

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回答No.2

神経症の中に、対人恐怖も、視線恐怖も入っていますので、神経症の治し方を書いてみます。神経症の場合では『如何いう風に精密検査をした場合でも異常がありません。』 と言う意味は『全てが健常者と同じ』と言う意味ですが、神経症の場合では『症状に苦しんでいます。』 神経症の枠の中には、相当違うように見える症状も混在していますが、神経症が発症する原理は全て共通していますので、神経症と言うものを『良く理解して』神経症から抜け出して下さい。 神経症の症状は様々な症状が有りますが、その元は同じです。その原因は『意識するところ』です。その意識したところが、人に会う事の場合に『対人恐怖症』となり、上がる事を意識した場合では『上がり症』ですし、不安な事を意識した場合では『社会不安症害』 そうしてその不安を『心臓に在ると意識した場合では』心臓神経症と云う事になります。神経症は『意識した内容』が症状名になっています。 従って神経症の治し方は『意識する自分』と『意識していない自分』と云う事の理解がカギになります。意識し無い様にする事が出来た時に『神経症から抜け出している。』と言う意味があります。 それは『症状があって当たり前』と云う事を納得した時です。 症状とは、誰にでもある普通の事だと分る事です。 例えば吃音や上がり症でも、そういう症状らしきものは『誰でも感じている事』を了承して、その症状が在る事が『自分』と云う事を納得する場合です。 上がって当たり前と云う事を『自分が分かる時』症状を受け入れた事を意味します。只知れ抱けで症状は消えてゆきます。 何故ならば『症状を、心から追い出そうとしたり、或いは感じないようにする』心的態度がなくなるからです。神経症が治る事は、神経症を拠り深く理解するところにあります。 神経症の直りを求める時、決して症状の改善から入る事は『治らない事を保障する事』になりますので、症状は治らないもの、と言う決心が大事です。 そういう決心が出来るのか出来ないかが『治るのか、治らないかの分かれ道になります。』

toyocchi
質問者

お礼

森田療法でしょうか。 そうですね。意識の持ち方もあるかと思いますが、難しいです。 参考になりました。 ありがとうございます。

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