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側室が大勢いた時代、子宮頚がんは頻発していたのか?

かつて、大名が側室をいっぱいかかえていた時代、側室は子宮頚がんになることはあったのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • askaaska
  • ベストアンサー率35% (1455/4149)
回答No.4

んー 一人の男性の囲っている女性が その男性とのみ関係を持っていたのなら そしてその男性がその女性たちのみとしか関係を持っていないのなら 可能性は低かったと思うわ どんなに奔放に思えても 閉じられた狭い世界でのみのセックスなら 外から入り込む要素はなくなるものね その代わり異物がその世界に紛れ込んだら 一気に広がると思われるわ

CRIMSON-X
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。納得です。

その他の回答 (3)

  • Saturn5
  • ベストアンサー率45% (2270/4952)
回答No.3

大名の側室と子宮頸がんの関係性がよくわかりませんが... 戦国時代から江戸時代にかけては、日本人の栄養状態が悪く、 平均寿命が短かったので癌で亡くなる人は少なかったと思います。 労咳(結核)が死の病であり、出産時の破傷風の感染などによって 亡くなる人も多かったようです。また、冷蔵庫もない時代であり、 救急車もありませんでしたので、人口の10%くらいは食中毒で 無くなっていたと推定しています。 今の日本の医療では結核や破傷風、食中毒で亡くなる人は激減しました。 逆に、現在の不治のの病である癌で亡くなる人の比率が増えて、 全体のほぼ50%になろうとしています。 しかし、江戸時代は恵まれて天寿が全うできる人の30%くらいが癌に なたっと推定しますので、全体の胃10%以下だったと思います。 子宮頸がんの原因の1つはHPウィルスであるとわかってきました。 これは不特定多数の性交渉によって広まります。 そういう意味で、大名と側室の関係性を聞いておられるのかもしれません。 しかし、当時は梅毒も死の病でした。 HPVは目に見えないもので、その症状もかなり後になって現れます。 しあkし、梅毒は比較的短い年数で症状が出るもので、大名の側室に そういう病気を持った女性が上がることは考えられず、大名を経由しての HPVの感染は少なかったのではないでしょうか。

CRIMSON-X
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。

  • bekky1
  • ベストアンサー率31% (2252/7257)
回答No.2

心配するなら、お女郎さんとか、おいらんではないでしょうか? sexの回数と、相手人数が多いと、なりやすいといわれているのだから、パピローマウィルスが原因です。 どちらかというと、側室は何人、いても、男は'殿'一人です。 逆に、’原因行為’は少ないでしょう、普通の奥さんよりも。 参勤交代もあるので、一年ごとに殿様は’留守ですしね。

CRIMSON-X
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。「殿ひとり」あっ、そうですね!

noname#152554
noname#152554
回答No.1

>大名が側室をいっぱいかかえていた時代 ↑ 戦国時代?。 江戸時代?。 どっちにしろ、『子宮頸がん』って病気自体が知られていない時代ですよね?。

CRIMSON-X
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。

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