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講義は合理的か?
大学などではどこでも講義というものがありますが、 個人的にはあまり合理的とは思えません。 教える側にとってはいっぺんに同時に教えられていいかも知れませんが、 教わる側は、それぞれのペースというものがあるからです。 みなさんは講義についてどう思われますか? アドバイス等よろしくお願いします。
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ppooooさんは学生であることを前提に回答します。講義は集団教育の一貫であります。合理的であるか無いかは、受講者側の価値判断にも違いがあると思います。tminnetさんの云うように、大学の教授は研究者であることは確かです。しかし、研究に熱中してばかりいるわけではありません。私立大学では学生の納付金で大学を支えています。良い講義をしないと大学はリストラされてしまいます。国立大学のように30人前後の学生に講義をすれば行き届くと思いますが、私大では200人位のクラスで、マイクを持って講義をしています。講義の途中で出入りが自由な場合もあります。大学の教授は研究者であるだけに講義が下手な人もいます。しかし、熱意があるかどうかだと思います。思い出してみてください。小・中・高校時代に、自分の好みの先生が居て、その先生の授業の時には、先生の話に引き込まれて、のめり込んだ状態になり、時間があっという間に過ぎてしまうといった経験がありますか? 自分の好きなことをしているとき(ゲームなど)と同じ状態です。著名人が講演会を開くと、会場は満員になり、静かに講演を聴いているときが、その状態だと思います。 私は選択科目の講義を担当していますが、200名位の学生が履修してくれています。みんな熱心に講義を聴いてくれます。大学の講義は教科書を教えるのではありません。教科書は自分で勉強できるのですから。専門教育は、自分がどの様な研究をしているのか、現在の研究の最先端はどうなっているのか、何処まで分かっていて、何処が分からないで居るのか。どういう問題が残されているのか、などを講義しています。このような講義は学生の卒業論文の研究テーマに直決します。新聞や雑誌に掲載された問題点についても講義で話をします。自分が学会に行ったときの最新報告やシンポジュウムの内容についても、講義に取り入れています。なにか、うまい話ばかり書いているようですが、たまには眠る学生も居て、自分の講義が悪いと反省もしているのです。自分の得意分野の講義では学生は決して眠らないものです。しかし、基礎学問は大切です。時代が変わっても決して変わらない学理や法則があってこそ、応用学問が生かされます。基礎学問が高校で終わっていれば良いのですが、大学での講義では学生はつまらなく思うかもしれませんね。 アメリカと中国の大学での講義を参観しましたが、みんな熱心に聞いていましたよ。一人一人がしっかりとした目的を持って受講しているのです。それにひきかえ日本の学生はと思うのですが、(大学で目的を探そうとしている学生もいる)。それでも日本の大学生の約80%は私立大学で学んでいるのですから、合理的に頑張らなくっちゃ!!
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- rosepink
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一度に大勢に知識を与えることができる、という点では合理的だと思います。 「教わる側のペース」にはもちろん、ある程度の個人差はありますが、大きく差がある時期は小学校や中学校くらいまでかと思うのです。 ただ、毎年同じ内容の講義で、テストや成績評価の形式も変わらない教授って必ずいますよね。 先輩のノートを借りてそれを読めば、出席しなくても単位がとれるような・・・。 こういう講義に対して、学生が授業料を払うのは合理的云々の問題ではなく、お金の無駄です。 しかし、例えそのような授業でも、さぼってばかりいて講義を聞かないことは、更にお金の無駄です。 こんな話を聞いたことがあります。 ある大学の教授は、講義の始めにこう言うんだそうです。 「君たちが講義をさぼってアルバイトしたとしても、せいぜい自給1,000円程度。君たち(或いは親)が年間に払っている授業料を単純に時間数で割ると、アルバイト代の2~5倍だ。つまり、授業をさぼるということは、何千円をドブに捨てるようなものなんだよ」 この話を聞いた学生たちの出席率は格段に上がるとか。 ちょっと脱線しますが、昔、フランス語のテストが 「枯葉」をフランス語で全部歌えれば"優"というものでした。 当時は「こりゃラクチン」と思っていましたが、今思うと これが果たして評価の対象と見るべきものなのか、疑問です。 自分の不真面目さを棚にあげるようですが 当時、kawakawa教授のような方が大学にいてくれたら、もう少し有意義な学生生活が送れたかもしれないですね。
- kawakawa
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医学部と薬学部で教えている者の端くれとしての考えを述べさせていただきます。私の場合、両学部で専門分野に関しての講義をしているということを前提にお読みくださいネ。 医学部にせよ薬学部にせよ、1年生のときから卒業まで、必須教科がほとんどで、選択科目は非常に少ないという特殊性があります。膨大な専門分野に関わる知識習得に個人レベルのつけいるスキはありません。元来、大学とは自分の意志により学ぶために通うところであり、卒業後に国家試験を受けるということを前提に入学したのであれば、講義ペースについてくることが当然のことであり、それに、ついてこれなければ、留年するしか無い訳です。 講義の後などに質問に来る学生さんはおられます。私の態度としては、「ここまで、これとこれとこれを調べたけれどもわからなかったので教えてください」という態度であれば、調べるべき本だけを、喜んで教えます。何も調べずに聞きにくる場合もありますが、とりあえず調べ方だけを教えます。 どれだけのことを覚えているということがプロなのではなく、調べるべきものを知っていたり、聞くべき人を知っているのがプロだからです(私見ですが)。 私の場合、講義で出席はカウントしません。出なくてもわかるのならば、その時間をもっと有効に使ってもらってもいいと思っているからです。また、テキストは勝手に読んでくださいということで、滅多に使わないですネ。講義はオリジナルでしています。留年した人が複数回聞きに来ることがありますが、同じ講義はしていません。 これは、学生さんを信じているが故にできることで、一歩間違えば、本当は非常に大きな賭けの要素があると思います。けれども、大学は高校や中学とは違うのです。あくまでも、大学ですから。 私にとっては、講義システムは合理的であると思います。また、専門分野でそれ以上に突っ込んで勉強したい場合にはゼミがありますから、それを活用すればよいでしょう。 文科系の先生のご意見も聞いてみたいですネ。 kawakawaでした。
- toufuzuki
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合理的であると思います。 ppooooさん個人で考えると非合理的であるかもしれませんけど、、 只、私の経験から言わせてもらえば、「専攻に関係ない講議は沢山有るのに、必要と思われる講議がない」という点で非合理的だと思います。 私は美術系の学校だったのですが、「生物学」や「憲法」など、全く庭違いな講議を沢山とりました。「美術に関係の有る」生物学や憲法etcだったらまだ良かったのですが、高校レベルの内容だったのでがっかりでした。「なぜ、高校の授業の復習をここでしなければならないのか?」という疑問を持ちつつ単位を取るために講義に出ていたように思います。 質問とは違う話になってしまいましたが、、 学校にしろ会社にしろ、団体の中では個人的なもの(教わる側のペース)を考えていては非合理的です。それが会社であったらすぐに潰れてしまうでしょう。誰のペースで行うか、と言う事では無いのです。 「限られた時間の中で、どれだけ質の良いものを多くこなすか」 これが問題なのです。団体・組織というものはそういうものだと思いますよ。
お礼
ありがとうございます。 たしかに高校でやるようなことを私も大学でやらされてまして、 何か納得が行かないような気がして、 そういったわだかまりを抱えながら授業に望んでいる限りは 学習効率も下がっているのではないかと思っています(あくまで個人的にですが)。 勉強だけなら本でも、インターネットでもできますよね。 講義だと教授の顔と声がついてきますが、 その付加価値はそれほど高くないような気がしているんです( 個人的にですが)。 後半についてですがたしかにその通りかと思います。 団体側の主張するところはそうなのでしょう。
- tminnet
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ppooooさんこんにちわ! ppooooさんは恐らく学生(1~4年生のこと)でしょう?つまり大学の先生という人と親しく接した経験が少ないかと思います。僕は既に大学院生でそのため研究室にず~っといるから大学の先生というものがどういう人種なのか、ppooooさんよりも若干分かるんじゃないかと思うので、回答してみることにしました。 まず、ppooooさんにご理解いただきたいことは、大学の先生とは“先生ではない”ということです。あくまで研究者なのです。だから相当熱心な先生でもないかぎり自分の研究する時間を割いて名前も顔も一致しないただの学生に真剣にモノを教えようという気は更々ないのです。自分の興味のある研究だけをやれたら最高に幸せなのです。先生方はあくまで定められた指導要領に従ってノルマである講義をやってるだけなんですよ。「それじゃ駄目じゃないか!」と憤慨する気持ちも分かりますが、高校や中学の先生とは違い、大学の先生になるためには例えば「教育倫理」など教わらないですから、俗に言うてきと~な先生に文句は言えないかも知れません。 あくまで大学では自分で学びたい学問を探し当て、自分で勉強するところ。与えられる勉強だけをやって来た現在の若者には難しいんですが、その必要性を感じる人は自分でやらなければならないんです。 ただし、自分でやりたいことを見つけ、勉強する意欲が旺盛な学生に対してはたいていの先生は相手して下さいます。自分と共通する分野に興味を抱く学生の相手ならさほど無駄には感じないようです。 さぁ、頑張って自分の興味は何かを見つけてください!そして運良く素晴らしい教授と巡り会えることができるようお祈りしております☆
お礼
熱いメッセージありがとうございました。 もう講義というものは古いのではないかと感じています。 たしかに昔であれば、教授だけしか知らないような最先端の情報なるものがあったかと思われますが、 いまはそのような時代ではないですからね。 また何かご意見があったらお返事下さい。
こんにちは。 合理的か、といわれれば、一度に沢山の学生に対して教授できるわけですから、そのとおり、ではないでしょうか。 教わる側にペースがある事は、講義が合理的であるかどうか、とは論点が違う事ではないかと思います。 個人授業は、学生のペースに合わせて行なえますが、人数、時間を考えると、それは非合理的である、という事になってしまいませんか? 学生にはそれぞれのペースがありますが、大量の学生を抱え、数多くの講義をある程度自由に選択でき、一つの講義が1時間~1時間30分程度あるような大学の環境で、学生のペースに合わせた授業が出来るかといえば、それは時間的、物理的に不可能な事ではないでしょうか。 合理的に授業をさばけるという面もあるでしょうが、それよりも、より多くの学生に、限られた時間の中で知識を伝達したいが為に行なわれているのではないかと考えています。 教わる側は、ほとんどの場合、講義が終わった後、復習する時間はいくらでもあるはずなので、その時間を持って、追いつく事が出来るでしょう。 と、少し脱線しましたが。。。 質問された問題に関しては、合理的である、と私は考えます。
お礼
ありがとうございました。 回りに人がいると緊張感が上がると言うことでしょうか。 それはたしかにそう思うのですが、 なれてしまえば、自分でいかに緊張感を高めるかが重要になってきます。 そうすると本を読みながらで自分で緊張感を高めながら勉強するのと同様の結果になるのではないかと思います。 独学に対して講義の付加価値がそれほど高いのだろうかと思って こういった質問をしたんです。 またご意見があったら聞かせてください。