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学級内身分制について考える
- 学級内身分制について思うことがある。思春期を迎えると学校で自然にできるものだと言われており、上位に入るためにはコミュニケーション力や活発さ、異性へのアピール度、見た目のファッション性が重要だとされている。自分の子供を考えると、口下手でコミュニケーションに不器用なうえおとなしくて内向的なため、身分的に下位になっていじめられることに納得がいく。しかし、身分制は人格や性格とは関係なく、下位だからといって恥じる必要はないと思える。
- かつては勉強やスポーツができる人よりも中身のある人を尊敬したものだが、今は芸人のような人がウケる傾向にある。テレビや他のメディアの影響なのか、ノリや見た目の薄っぺらさが重視されることに違和感を感じる。
- いじめに関わっている人たちは学級内身分制にどう思っているのだろうか。
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日本ではこういった偏った基準における偏った優劣評価がよく行われます。 故に「私は歌がヘタ」と思い悩んでしまう子を生み出してしまい、その子の自信そのものを奪ってしまうんです。 そこへいくと海外では歌がヘタでも平気で歌います。それに対して笑っても「何よ?」と平気です。 それは他にその人には優れている部分があるからです。 どんな子にも必ず持って生まれた特徴があって、それを優れているか劣っているかを決めるのはその子本人だけです。 周りが評価することは大変失礼なことであり、全く気にしなくていいと思います。 ですから親がしてあげるべきことは、そういった周りの評価に捉われて自分を見失わず、その子が心が良いと 思っている物や生き方・考え方を応援してあげることです。それがその子そのものなんですから、親や周りの評価や考え方 は関係ないんです。
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- mirukumiya
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今の日本は本当に変です。 こんなことは海外では通用しません。 これから否応なく国際競争にさらされるのに、 低IQ人間を沢山生産していまう今の日本の文化に不安を感じます。 鵜呑みにせず、自分の子供だけでもこの薄っぺらで下らない文化から距離を置いて、 自分を成長させるようサポートして上げてはいかがでしょうか? このままでは間違いなく中国・韓国・インド人に頭下げて使われる身分になりますね。 何が「見た目のファッション性」ですか。バカもほどほどにして欲しいものです。
お礼
回答、ありがとうございます。 本当に変ですよね。 本当に日本の未来に不安を感じてしまいます。 昨今は「重い」という言葉がさも悪いことのような風潮ですが、 重くて何が悪いのか、逆に「軽い」必要性がわかりません。 これからの日本のためにも、 若く未熟な世代に多くの価値観や向上心を教える教育の場であって欲しいです。
- bekky1
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【いじめに関わっていると思われる皆様はどう思われますか?】 ・・・関わってもいないですが、'学級内身分制'とは、言葉を変えても、身分基準を変えても、人数がいれば、 結局、1番から、ビリまで序列化されるのはいつものことです。 そして、それが、それで、いじめていいということになるかどうかは、また話は別です。 あなたの論旨としては、いわば、お笑い系の能力が高い人が上位に位置するということが問題なのか、 序列化=身分制そのものが問題なのかということが明確になってません。 子どもたちの間での、序列化そのものは大人がそうであるように、縮図としてその世界はありますから、 身分制度廃止といっても表面上のことだけになります。 薄っぺらだと書かれてますが、国語ができたほうがいいのか、算数ができたほうがいいのかというような違いでしかないと思いますし、笑いを取る能力というものそれはそれでえがたい才能ですから、 国語ができたほうが、算数ができるようり、エライ・・・・というようなものではと、私は思います。 勉強ができたほうがいいのか、スポーツかというのも、両方に決まってるし、 何でもできる人であればなおのこと、人格者であれば、いいですが、その人はいじめの対象にはなりにくいでしょうが、 友達として、「もてる」かというと、それはまた、話が別でしょう。 結局、'人気'のある人というのは、ある意味、受けを狙えるということ。 {好かれる」を軽薄というなら、そういうことになります。
お礼
回答、ありがとうございます。 そうですね、人が多く集まれば自ずと身分制が生じること、 それは避けられないことだと私も思います。 ただ、毎日の学校生活でその序列化にのみ慣れてしまって 表面に現れない、人それぞれにある価値に目が行きにくい事に 問題があると思うのです。 実際このカテで悩む人も学校で人気者になれなくても 他にいっぱいいいところがあるだろうにと感じることが多いので。 明るくてアドリブがきいて気の利いたジョークがすっと出るような人は 見ていて本当に楽しい人と思いますが、 やたら大げさに話を盛ったり、他人をいじって笑いをとったりという 昨今のゴールデンアワーのバラエティー番組のようなものがいいなんて 安易で取っ掛かりやすい笑いがウケて しかもそれで優位に立てるという状況がやるせなく、 そういう意味で薄っぺらいという表現を使わせてもらいました。 言葉が足りませんでしたが、 私はどう思うかと言われれば 今はこういう身分制になりがちだけど、それだけで判断しないで!っていうことでしょうか。
お礼
回答、ありがとうございます。 本当に偏った優劣評価で、驕っている子・自信を失っている子、どちらもいます。 学校だけでなくたまたま行ったファミリーレストランとかでも、 全く知らない相手に悪口を言ったり言われたり・・・ 『いじる』なんておかしなことが普通に行われていることがとても残念です。 本当は学校でそんな偏った身分制の意味の無さを先生が正してくれるといいのですが、 先生の中にはそういう状況を許してしまう方も多い気がします。 多くの親がこういう事態に疑問を持って、 驕っている子にも自信を失っている子にもその間違いを諭してあげられたらと 強く思います。